『僕が死のうと思ったのは』の歌詞について実況、思考する
”僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で泣いたから”
(以下同様に、””で歌詞を引用します。出典:https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-130709-001)
そう。まず冒頭から、ものすごくいい歌詞だと思いました。
(今回私が言う、「いい歌詞」と言うのは、「心に響く、情景が浮かぶ、そんな歌詞を書きたい、この歌の世界をより綺麗に表そうとしている、要は趣深い、切ない、愛おしい」などと言った意味になります。)
この曲を初めて聞いたとき、最初の言葉の紡ぎだしから心を掴まれました。
さて、ウミネコが桟橋で泣いたから死のうと思うことに疑問を抱いた方もいるかもしれませんが、死ぬことなんて頭の中に全くない人には、きっと桟橋にいるウミネコは視界に映らないと思います。つまり、視界に映る、普段から注目しないような動物を眺めている人は、自分の死と向き合うような心情にあるんだと思うんですよ。
その直後。
”波の随意(まにま)に浮かんで消える 過去も啄んで飛んでいけ”
ここに自分を振り返っている人の思いが映し出されているようで、見事な描写と思います。
皆さん、こんにちは。あるいはこんばんは。
突然、歌詞についての考察風な感想を書きだしたのですが、最近『僕が死のうと思ったのは』という歌に出逢い、共感性と味わい深さを持ち、絶望も希望も隣にあるような歌詞に感銘を受けたのでその想いを少しでも記しておこうと思った次第です。
なのでここからは歌詞について特にいい歌詞だと思った部分について、好きなだけ綴っていこうと思います。くれぐれもこれが立派な考察だとは思わないでくださいね。
そういえば、『僕が死のうと思ったのは』を知らない人はこのページにたどり着いていないと思うのですが、念のためこちらへ迷い込んでしまった人に向けて軽く紹介しておきます。
『僕が死のうと思ったのは』……
楽曲提供のオファーを受けたamazarashiさんの秋田ひろむさんが作詞作曲を行い、中島美嘉さんの楽曲として2013年に発売された曲です。
「amazarashiさんってどなた? 」と言う方、安心してください。
私にとっても最初は知らない方でした。すごく簡単に言うと、バンドです。youtubeの登録者だけでも60万人いました(https://www.youtube.com/channel/UCjU51lhtpje-r0eF4b0jpbw)。そこそこ人気あるみたいです。
と、いうことで、ここからは詳しく感想などを書いていきます。なお、冒頭に続いて順番通りに歌詞をみていく形です。
”僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏(あんず)の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな”
杏の花は3〜4月が開花時期。もしかしたら誕生日はその時期ではなかったのかもしれません。
また杏の花言葉には「臆病な愛」、「乙女のはにかみ」、「疑い」、「疑惑」があり、死に繋がりそうな意味が転がっていそうです。
一方で、杏の花は桜に似ており、木漏れ日でうたた寝するのは、この歌の歌詞でなければ一見幸せそうにも思えました。何しろ景色は綺麗だろうし。木漏れ日が私は好きなので。
むしろその美しさがその時「僕」が思ってしまった理想の死の形として現れていると考えることもできました。
”薄荷飴”
この曲のテーマ的に、これが出てきたときにジブリ映画『火垂るの墓』を連想しました。
”漁港の灯台”
一見、光を放つものとして、ポジティブなイメージも大きそうですが、ずっと誰かの帰りを待つ人の切なさや、近くにある大事なものを照らすことができないもどかしさや不器用さを感じることもできました。
”錆びたアーチ橋”
これは哀愁と結びつきそうな情景が出て来ますよね。そしてきっと、アーチ橋のように長く使われる橋でなければ錆びることもないはずです。これまで頑張って来たという意思がこの描写から見ることができました。
”捨てた自転車”
これも何気ないですが、自転車は日常、生きることそのものだと思えばテーマにすごく沿っていますよね。
”木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心”
「木造の駅のストーブ」からは新海誠さんの『秒速5センチメートル』を連想しました。大雪の中、鈍足になる電車を乗り継いで約束の駅までたどり着いた主人公の青年は特別な再会を果たし、彼にとって最も大切な一夜を過ごす。動こうと思っても動けない、なかなか電車が来ないから。
”今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってるけれど”
繰り返しの表現から、わかりやすく人生のもどかしさが伝わって来ます。
簡単に努力ができる人。努力を努力を思わずに行動できる人。
努力はしたけど実らなくて心が折れた人。努力の仕方を知ることがなかった人。
目的を見失い、とりあえず体を動かしてはたらいている人。
この世にいるすべての人に実は刺さるのではないでしょうか。
”僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから”
”満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから”
「満たされたいと願うから」は、この歌の重要なポイントだと思います。ここから先、「死」という絶望だけでなく同時に叶えたい事とか生きてなくちゃ味わえない幸せな事など、「生」という思いが隣にいることを歌っています。
その前振りのような表現になっていると考えました。
私の解釈だと、次の部分からは歌の後半に入ります。
”僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手だよ 人との繋がりもまた然り”
ここも、死にそうな人が小さな不幸から死を連想してしまうことをとても自然に表しており、これを聞いた人の核心に迫っていくようないい歌詞だと思います。
”僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから”
あぁ。この歌詞は、いい歌詞ですね。
少年に見つめられたら死のうと思ってしまいますよね。
何をしでかしたでもない。死と隣り合わせの人間が放つ靄のような何かを少年が感じ取ってこちらを見ている。きっと。
”ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんなさいと”
土下座という絶望的な描写から入ることで、「あの日の僕」は明るかったのか、希望に満ちていたのかと、考えさせられてしまいます。
また、「あの日の僕」は直前の「少年」に重ねているようにも感じます。
”パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音 耳をふさぐ鳥かごの少年”
”見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ”
”ゴールはどうせ醜いものさ”
ここでは部屋の中にいて、いろいろな音が気になる様子が描かれていますが、音を拒むような「耳をふさぐ鳥かごの少年」はまさに死のうとしている自分自身なんだと思います。
鳥かごに閉じこもっても音が絶対に入ってきてしまいますよね。
”僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから”
あぁ、またシンプルに、刺さりますね。
”愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから”
そしてこの歌の、泣けてくる歌詞の一つ。
幸せを知っているからこその悲しみ、寂しさ。
”僕が死のうと思ったのは あなたが綺麗に笑うから”
涙腺を刺激されます。ひどい追い打ちです。
大切な人、身近にいる同級生なのか、仕事の同僚なのか、わかりませんが、自分にはできないようなまぶしい笑顔で生きている姿が、自分の絶望や悲壮を浮かび上がらせてくる。
”死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目過ぎるから”
さらにここで、死のうとしてしまう核心に近づいてきます。
真面目な人ほど報われない社会なのでしょうか。
真面目な人ほど損をする世界なのでしょうか。
人間、遊ぶことを忘れたらきっと死んでしまうんだろうと改めて考えさせられます。
”僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ”
「少し」という言葉の使いかたが美しい。大きな期待や希望を抱いているわけではないことを表していることはもちろん、口語でよく用いられる「少し」という言葉により、現実的に人の思いがさらに反映される歌詞になっていると私は思いました。
”あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ”
最後の歌詞は直前の歌詞と似ており、この繰り返し的な表現からは、希望に向かって歩き出そうとして、右足だけじゃなくて左足も踏み出そうとしている意志のようなものを感じました。
少しだけ希望や幸福感といったイメージに背中を押してくれる、本当にいい歌詞だと思います。
全体的な感想としては、
死にたいと思った理由として出てくる描写一つ一つに説得力があるというか、聞いて読んで納得してしまう。
また、死にたいと思う人間の視界には光のような存在が映っていたり、人に愛された記憶が脳内をふらついていたりすることをありありと表現してくれている。これがおそらく多くの人の思いを代弁してくれたり、皆の救いになっていたりするんだろうと思わされました。
筆者も自分自身の死について強く意識した時期があったため、共感性が高かったのだと思います。それをなしにしても、私はこの歌の最後のほうに出てくる出てくる、死にたいと思う理由が生きたいという思いに通じている感覚を表している部分が本当に美しいと思いました。
最後に、この曲を教えてくれた、友人Oくんには感謝しています。また遊ぼうね。
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