みらいのためにできること ふたつめ
みらいのためにできること
未来のためにしていることをやめること
なーんてのはいかがでしょうか?
誰の未来のためにするの?
自分?親?地球?宇宙?
そのために、みんなはいったいなにをしてるのだろうか?
そもそも、人間にできることなんて
人間ができること以外ない???
そう、ひとつめに書いた。人間にできることは、毎日の自分のカラダとココロでしっかり感じることを味わうこと。
自分の魂が望む生き方をすること。
自然とは、本来、なんの意図も計画もなしに、ほっておいたら、自然にすべてがうまくまるく収まることだと思っている。宇宙全体をみれば、よくわかる。
人間がなにをしたわけでもないのに、全てが調和のもとにまわっている。
人間がなにをした‥どころか、人間はその中の一部でしかない。なので、わたしたちにできることは、それを思い出し、その自然のサイクルのなかに戻るだけ。
流れるプールにカラダを入れると、自然と流れる方向に流されるように。
それに抵抗したり、止まろうとしたりしたことがある?かなりの力を要するし、キツイ。流れる方向に、流されていったほうが、断然楽ちんで、楽しくて、おもしろい!
その感覚を思い出すには、具体的にいうてなれば、地球にそもそも存在しないものをなるべくカラダに入れないことからはじまるのではないか?と思う。
わたしが、はじめて、食品添加物のことを詳しく知った時、自然界に存在してないものをカラダの中にいれてしまっていたー!!!とひどくショックだったのを覚えている。
自分のカラダの細胞が、そもそも鈍感気味であると、何が心地よく、何がそうでないか、凝り固まったほんの初歩的な脳システムで無理やり考えださないとならない。これはまた至難の業である。
みらいのためにできること。
忙しい毎日のなか、スムーズにできる呼吸の不思議を感じる、カラダに吸い込まれては、押し出されていく空気を感じてみる。
混み合った電車の中から、すこしだけ空を見上げてみる。その息苦しさとは全く無関係に、もくもくスガタを変えていく雲のカタチをおもしろがってみる。
ビルの間を吹き抜ける風が一体どこから吹いてきたのか?と感じてみる。ずっとずっと遠くの山の上からなのか、はたまた外国の海のかなたからきたのか?
その口の中に運ばれていく食べ物はいったい何でどのように作られてきたものなのか?しばし、想いを馳せてみるのはいかがだろうか?