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ニンゲンのトリセツ 第十八話
「ナイトウ様、初めまして。セラピストのスズキユミです。よろしくお願いします。」
「あ!コホッ、よろしっ‥くお願いしま‥。コホコホッ。すみません。咳がとまらなくって」
施術前には、ソファで問診票のようなものを書いてもらう。そこで、ナイトウは、かなり苦しそうに咳を繰り返した。
「咳、お辛そうですね。いつ頃からですか?」
ユミが聞くと、ナイトウは、息の合間をぬって、遠慮がちなような、押し殺した声で答え始めた。
「先月‥ゴホッ、インフルエンザにかかったんです。それはよくなったのですが、咳が残ってしまって‥ゴホッゴホッ‥す、すみません。こんな状態でセラピー受けられますか?」
「もちろん大丈夫ですよ。心とカラダのバランスを整えるのがセラピーですから、バッチリのタイミングです!」
ユミは、右手の親指をたてて、グッドサインを作り、にこりと微笑んだ。そして、ゆっくりと続けた。
「ナイトウさま、では、少し聞いていきますね。何か心の中に溜めていることはございませんか?」 ユミは、その咳の酷さから、まわりくどい質問は不要と思い、直球ストレートで聞いてみた。
ナイトウの頬が、一瞬ピクリと動いた。「た、溜めている?」
「はい、誰にもいえなくて悩んでいるとか、伝えたいことが、本人に言えないとか‥もしくは、とても嫌なことを思ってしまう自分が受け入れられないとか‥」
ナイトウは、先ほどの遠慮がちな表情から一変し、キッと目を見開いた。負けるものか!と言っているように見える。次の瞬間、その目から、文字通り、滝のような涙が溢れ出た。
ナイトウは、40代後半の主婦である。ポロポロと涙は溢れ、肩を揺らし、ヒックヒックと泣きじゃくるその姿は、まるで少女のようだった。ユミは、ゆっくりとその肩と背中に手を当てて、もう片方の手で、そっとティッシュを手渡した。
時間にして、およそ3分経つかたたないかである。ナイトウは、すっかり泣ききって、恥ずかしそうに、ユミを見上げた。
「ユミさん、どうしてわかったんですか?わたしになにかあるって‥」
「ニンゲンの各臓器と感情はつながっているんです。だから、カラダに出る症状は‥実は、ニンゲンの感情からのサインなのです。」
ナイトウは、ハッと息を呑んだような表情になった。「そ、そんなこと、聞いたことないです。」
「そうですよね。古代から伝えられていることなんですが、今はあまり重要視されていないようなんです。けれど、知ると合点がいくし、原因がわかると症状が和らぐので、わたしのセラピーにはこの考えを取り入れているのです。」
「せ、咳はどんな感情なのですか?」
ナイトウは、咳が本当に辛いのであろう。前のめりになって聞いてきた。
「咳は、肺と関係しています。肺の感情は寂しさ、悲しみなどです。」
「さみしい‥? んーなんかピントこないです。寂しいとかはあまり感じてないけど‥そうなのかしら?」
「そうなんですね。実は寂しいと自覚があれば咳は出る必要がないのです。自分が気づいていないことを教えてくれるのがサインなので、自覚がないことが多いです。」
ユミは、ユーカリとティーツリーをブレンドしたものを、コットンに湿らせて、ナイトウの手のひらにおいた。
「わ!いい香り!この香りとても好きです。」
「よかった。では、息を全部吐いてから、ゆっくりと香りを鼻から吸い込んでみてください。」
ナイトウは、言われるがままに、気持ち良さそうにその香りを吸い込んでいった。
数回深い呼吸をしたあと、少し顔をあげると彼女はこう話し始めた。
「うちの主人‥浮気をしているみたいなの‥」