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私の見た東京オリンピック選手村の中の事~食事のセクションでバイトをした話

東京オリンピックが終わって3年経つし、パリももう終わるし、散々報道もされてるし、まあ、そろそろ書いても文句言われないかなあという感じで、私が見た東京オリンピックの選手村の話を覚えてるうちにまとめておこうかなと思います。

私は当時短期契約3ヶ月位の仕事を、しては退職してというサイクルで働いていました。なんというか精神疾患があって、集中して仕事をするぞ!と気合いをいれた期間しかシフトを守れないのだ。だから、3ヶ月働いては2ヶ月位休んで、また3ヶ月働いては2ヶ月位休んで…。というのが限界だった。
オリンピックの仕事の前はコールセンターで、その隣になった年配の主婦の同僚が、同じ感じの働き方をしてる人で、彼女の場合、扶養控除内で自分の贅沢と、孫の小遣いに困らないように短期の仕事を渡り歩いてると言っていた。それで、今オリンピック関連の仕事の募集してるよ?東京でオリンピックもう機会がないし、やるんだ~。楽しみ~。と言っていて、やればー?と言われたのがきっかけだった。

どうせ働くなら、中枢の方が楽しい。という事で、選手村の中の食事セクションを担当してる会社に応募して、採用された。どのポジションか書いちゃうと特定怖いから。食事セクションの中の人をやったという事だけにしとく。

実際オリンピック期間中に選手村に出入りできるのは、何かの仕事をしてるか?ボランティアをしてるか?どちらかじゃないと入れない。その位セキュリティがガチガチだったので、実際選手村の中ってどうだったん?って資料になればな…。という動機で書いてます。

この仕事はとにかく通勤がキツかった。飲食のバイトのキツさは他と同じなんだけど、通勤がキツかった。
選手村はもう分譲されたのかな?
選手村は陸の孤島と言われていて、セキュリティを保持するために入り口は南北の端に1つづつだけだった。(選手には別ルートがあった)
私はノロノロと歩くので、勝ちどき駅から、ゲートまで早足で30分。途中で休んでタバコ休憩入れたりすると1時間。やっとゲートについても、ゲートから更に職場まで30分。つまり出勤の2時間前には勝ちどちに着いていなくちゃ行けなかった。どうしても間に合わなくて、ゲートまで2回位タクシーを使ったことがあるけど、一般のタクシーはゲートの中に入れない。つまりゲートから職場までは絶対30分歩かなきゃならないのだ。

入り口のゲートは、空港の検査場そのものだった。まず、IDチェックがある。ゲートの中では常に首から提げてなくちゃ行けないんだけど、A5位のサイズの顔写真入りのIDがあって、それをSuicaとかPASMOみたいにまず電子チェックをする。ちなみに、このIDを家に忘れると、取りに帰らなくちゃいけない。絶対にIDがないと入れてくれない。まずIDの電子チェックがある。
その後荷物検査だ。空港の検査場と全く同じで、持っている荷物全部X線の機械に通し、人は金属探知機のゲートをくぐる。荷物や持ち物に問題があれば、没収される。飲みかけのペットボトルは大丈夫だけど、蓋のついてる缶の飲み物は没収されたと思う。蓋を開けちゃったモンスターが確か没収された。というわけで危険物の持ち込みが出来ない。
空港の検査場と同じく、混雑すると待ち時間も発生する。真夏の炎天下、駅から30分以上歩いてやっとゲートについても、IDチェックと荷物検査…。きついやろ?

あと、選手以外でタバコを吸えるのが、このゲート付近の喫煙所しか許されなかった。しかもコロナ禍。喫煙所の一人一人が立つ位置さえ指定されていて、入れ替え制。喫煙所に入るのにもまた並ぶ。私はタバコを吸うのだけど、これはキツかった。ゲートにしか喫煙所がないから、1時間の休憩で喫煙所に行くことが事実上不可能なのだ。ご飯を食べて、とか何とかしてると、往復1時間掛けてタバコ休憩は無理でしょ。

んで、ゲートから、職場までの、ルートの指定もあって、私はいい子なので、それもちゃんと守った。だから、通勤経路以外で、1時間休憩の時にちょっとベンチを使わせて貰ったくらい。まあ分かると思うんだけど、陸の孤島って言われる位めちゃくちゃ広いので、その全容は知らない。広い土地にいきなり現れたマンション郡だよね。ハッキリ言ってしまうと。中の移動は、選手には小型のバスみたいな乗り物があったし、道路もちゃんと整備されてたので、選手は困らなかったと思うけど、私らは徒歩移動しか許されてないから、とにかく歩くしかなかった。

参加者の多い国はだいたいマンション1棟全部がその国の管理。数人づつしか選手が居ない国だと地域で1棟という感じに割り振られていたのだと思う。選手村のその棟はまさにお国柄で、窓枠に横断幕をして、この棟がどこの国か分かるようにしてる国が多かった。私は夜勤だったんだけと、休憩時間に外に出ると毎晩大声で夜中までパーティーやってるんだろうなって分かる国もあったし、1階の外にジムみたいなトレーニング機器を国独自で備えて朝もはよからトレーニングしてる人も居た。走ってる人はいっぱい見かけたし、物陰でイチャイチャしてる人もいた。

選手村の中は日本なんだけど、日本に管理された海外旅行にでも行ったような雰囲気?っていえばいいのかな?インフラの面は日本なんだけど、中の文化は海外来たみたいな感じだった。

韓国はの棟は私らが通っていいルート上になかったので、報道された反日の横断幕は私は見ていない。

んで、食事セクションなんだけど、オリンピックが終わったら、公立小中学校になるらしかった。なので、大枠の建物としては、大きな学校の校舎をイメージして貰ったらいいと思う。んで、教室の区分けとかはされてなくて、それは食事提供用に動線が引かれてるって感じ。

実務に入る前に説明会があって、選手が使う食事するスペースで、セクションごとに別れて集合させられて、全体の説明と内部の見学会があった。そこで、総料理長?全てのメニューを考えた人がまず全体にアナウンスをして、それから、セクションごとに別れて、内部の見学をして回って、一応バイトにも全部を説明してくれた感じ。

その料理長さんは、過去のオリンピックの食事セクションの見学をしてて、ロンドンの話をいっぱいいしてた。そんで、取り入れた方がいい事と、改善した方がいい事を判断して、この施設になったと説明していた。私が雇われた会社は、国内で給食サービスを主にしている会社だったので、24時間のバイキング形式の食事の提供に慣れてる空気もあった。

スキー場のレストハウスをすげー大規模にした感じ…。が1番イメージしやすいかな?内部はそんな感じで、利用する選手の動線と、バックヤードの働く私らの動線は完全に隔離されてて、そこら辺のインフラの設備はちゃんとしてるな、って感じだった。
印象的だったのが、ハラールの事だ。つまりイスラム圏の人向けの食事なんだけど、ハラールの場所は全部オレンジのテープで隔離されてて、使われた食器の洗浄まで、他のルートとは別になってた。説明会の中で、ハラールの審査がとにかく厳しくて、金もかかる(チェックしてもらってOKを貰う為にお金を掛けて人を呼んで、審査して貰ってOKが出て今になってると説明された)し、とにかく大変だったと言っていた。
私はハラールのセクションではなかったので、別なんだなー位にしか思わなかったけど、ハラールのセクションの人は他のセクションに立ち入る事も許されない位厳しいらしかった。
食材全部の入荷もハラールの審査に通ったものしか使えなくて、とにかくオレンジの線の中に何かを入れるな。持ち出すな。はめちゃくちゃ厳格だった。
地下に食材加工を専門にしてるセクションがあって、そこで下処理されたものを、各セクションに持ってきて、提供する料理の形に仕上げてバイキング形式の食事にするんだけど、まあ地下の下処理部門は寒くて、冷蔵庫の中みたいな環境で、ひたすら玉ねぎ剥いたり、野菜の皮むいたり、陽の光が入らないどころか、接客もないので、キツイだろうなと思った。
あと、洗い物のセクションがかなりきついらしくて、辞める人が続出してて、応援部隊が来てるって話を聞いた。元々給食サービスの会社だから、無理やり色んなところから、人を回して、何とかやりくりしたそうだけど、洗い物の部屋の前には、いつも食器が山積みだった。
エアコンがあるとはいえ真夏。ゴム手袋しながら、ずーっと洗い物を続けるのだ、そりゃキツイよな。

使われている食器類もちゃんとしてて、特にカトラリーはこだわってるそうだった。どこかに特注したらしくて、ナイフもフォークもスプーンも、持ち手の柄のところに桜があしらわれて、日本を感じさせた。

あと、柔らかいパン(山崎のダブルソフト)が日本独特の文化らしくて、それも専用のコーナーに置かれていた。あと、巻物のお寿司だけ外注で、できたものを搬入してきて、提供してるそうだった。生魚を使ったお寿司は、流石に衛生上提供できないと言っていたと思う。

コーヒーは専門部隊がいて、オリンピックはほとんど全てにスポンサーがついてて飲み物はコカコーラで、ほとんどがコカコーラ社製品なんだけど、コーヒーもコカコーラ社のcostaってブランドが全面的に管理されてたんだと思う。コーヒーのセクションは、とにかくずーっとコーヒー入れてるらしかった。ケータリングにも対応してて、選手村の中の棟まで、コーヒーはケータリングされてるらしかった。ケータリングの事はどこまで対応してたのかは知らない。
あと、飲み物の話で言うと、各棟の1階に自販機があるんだけど、コカコーラ社製品をお金入れずに押せば出るになってるらしかった。(私らは使っちゃいけないからしらん。)

選手から見た、食事セクションの動線だけど、広いロビーみたいな所が入口で、選手はそこから入る。んで、すぐ右手にクロークがあって、競技に使う大きな荷物とか預かってくれるようになってた。BMX(小型の自転車)とか、スケボーとか、ストリート系の種目の選手とかは、移動も常にそれでしてるから、スケボー位なら、中に持ち込んでも困らないだろうけど、流石に室内で自転車乗られるのは困っちゃうから、預かってた。大きな用具は他の種目でも必要なの分かると思うんだけど、試合会場から、引き上げてきて、棟に戻る前にご飯済ませて帰るとかの動線で困らない用に、クロークも24時間体制で稼働されてた。
私は夜勤だったので、大体1階で夜は済ませられるようになってた。昼間の様子は知らんけど、ピーク時は2階もまんぱんになるらしかった。オリンピックって、自分の競技日程に合わせて会場入りして、終わったら帰るって感じだから、常に同じ数の人が選手村にいる訳じゃなくて、変動が凄かった。
1階と2階は設備としてはほぼ同じ。1階でも2階でも、提供されるメニューは常に同じ。ただ人数捌く為に人の多い昼間は2階も使っていっぱいらしかった。
パラリンピック終了まで見たわけだけど、人数はめちゃくちゃ変動があった。オリンピック終わって、パラリンピック始まる間の期間とか、マジで人いなくて静かーみたいな。そういう変動があった。

でも選手以外の関係者も食事するから、締めるって訳にも行かなくて、1階だけ稼働するとか上手くやってるっぽかった。

栄養士さんが居るスペースがあって、選手の人がタンパク質これだけ取りたい。なんのメニュー食べたらいいのか?とか、提供されてるものの中からアドバイスしてくれるブースがあった。

衛生上1番難しいのが生物で、果物とかだと、リンゴそのままバスケットに入れて提供されてたり、バナナそのままとか、まあ想像出来ると思うんだけど、生野菜のサラダが難しいみたいで、しかも万国共通で欲してるから、アイランドって、料理は基本的に屋台みたいに色んな国の料理が壁にそってブースになってるんだけど、アイランドは生野菜とデザートに絞られてて、アイランド(島)って言うくらいだから、食事スペースのまん真ん中にブースがあって、そこが常に混んでるイメージだった。
デザートは、基本的に出来上がってる冷凍物を解凍させて提供なんだけど、選手に1番ウケてたのが、わらび餅だった。お皿山盛りにわらび餅を席に持って行く人をいっぱい見た。
わらび餅なんて、多分海外の人存在すら初めて知るんだろうし、しかもあれほとんどカロリーないじゃん?だから洋菓子よりウケが良くて、わらび餅はすごいうけてた。

私らスタッフの食事は、提供されたものの残り物が基本だったから、ほぼ同じものをすごく安価で頂いてたんだけど、料理の質としては二流か三流のホテルのバイキングって感じ。海外旅行行って、味の濃さにギブアップするみたいな、毎日食べてるとそんな感じはあった。
基本的に不味くないし、美味しいんだけど、外国人向けにスパイス多めって感じだったから、日本の食事に慣れてると、ちょっと濃いなあ…。って感じ。あと私は辛いものとスパイスが苦手だから、スープが普通のお味噌汁だとめちゃくちゃ安堵するみたいな感じはあった。辛いスープだとスープパスしなくちゃいけないからね…。見た目だけで味の想像ができない料理もあった。

そんな感じで、入り口に大型クロークがあって、壁沿いいっぱいに並んだ料理の中から、好きな物をバイキング形式でお盆にお皿を乗せて選んで席に運んで、食べて、お盆ごとバッシングまでしてもらう。って流れ。

帰りは、お盆のバッシングして貰って、荷物預けたなら、クロークで受け取って、帰るって感じ。

選手側から見た感じはそんな感じ。清掃部隊も常に居て、お盆と食器のバッシング各自出してもらっても汚れは出るから、その清掃は常にスタッフがやってるってかんじ。
使われてるテーブルと椅子は、アスクルで1番安いのとりあえず揃えましたー。みたいな、よくある感じ。

んじゃ、私らスタッフ側から見た動線の話。
まずゲートでIDチェックと荷物チェックするでしょ?そんで、決められたルートで、通勤して、裏口から入る。で、2階にロッカーがあって、そのロッカーに入る前に、SuicaかPASMO登録させられてて、それでピってやると出勤。ピってやる5分前だったか、15分前だったか?ちょっと時間給のボーナスあったけど、最初に話した通り1時間は勝ちどち駅から掛かるから、まあキツかったわ。
で、ピってSuicaで出勤して、制服がサイズ毎にズラーっと並んでて、使う制服を上下まず自分で選ぶ。ロッカーは毎回変わるから、荷物を置いておくことはできなくて、安全靴のコックシューズは毎日手持ち…。重いんだよ!
で、ロッカー使って、私物は何もかも持ち込み禁止。メモとボールペン位は許されてたかな?携帯も勿論持ち込み禁止。だから、内部の写真は1枚もありませーん。んで、入り口とは違う出勤の出口のゲートにも金属探知機あって、それ通過してから、出勤。で、部署の前にもう一度Suicaの出勤があったかな?正直真夏の暑い中1時間も歩いてる訳じゃん、だから、着替え位ちょっと休憩して、ゆっくりやりたいじゃん。真面目な人程早く来るし。でも、ロッカーの入り口でピってやるのが、勤務の5分前とかにしなくちゃいけなくなって…。それがクソほどウザかった。別に無給でいいから、着替えとか準備くらい自分のペースでやらせてくれ、その後も立ち仕事なんだし…。とは思った。
調理師目指してる専門学校とかに求人出して人集めたらしくて、まあ的外れではないんよ。オリンピックの食事セクションで働いた事あるって、その人の経歴にもなるし、料理学んでる人が働いてくれた方が専門性もあがるし、効率はいい。休憩スペースがなくてさ、1ヶ月たった頃には、休憩時間になると、ロッカーに転がる人続出…。でした。みんな休憩時間は携帯触りたいし、とりあえずロッカー行って、ご飯食べて…。私は結構外出て、近くの海沿いのベンチでぼさーっとしてました。
海みてたら、多分海上保安庁の巡視船かな?なんか常に停泊してました。今考えると、海からのテロの脅威とかに備えてたんだろうなと思う。その時はなんかいつも船停まってるなあ位にしか思わなかったんだけど、今考えてみると、海側からのセキュリティもちゃんとしてたんだなと思う。

選手村の中は出来たてホヤホヤの綺麗な都市なんだけど、非常に残念なことに、ゴミを捨てる人は居て、電柱の段差とかに、持ち帰れるスタバみたいな紙コップとかバナナの皮とか捨ててあるのは見た事あるけど、翌日にはちゃんと無くなってたから、清掃業者も入ってたんだと思う。食事セクションの清掃は確かダスキンが入ってた。うちらとは雇用主が違うから、ダスキンの、人らはもっと虐げられてて、休憩スペースがなくて、ゴミ捨て場の前のダスキン部隊の本部の折りたたみ椅子にぐてっとなってる人がちらほら…。ゴミ捨て場はでかい倉庫みたいなところに、分別して、放り投げるって感じだった。ダンボールはこのスペースに、ペットはこのスペースに、燃えるゴミはこのスペースに、みたいな感じ。最初は何も臭いしなかったんだけど、やっぱり運用が1ヶ月2ヶ月となってくると、臭いは出てました。スーパーのバックヤードのゴミ捨て場の臭いと同じですね。あんな感じ。

んで、勤務するセクションで個々仕事するって感じ。職務内容は、他のバイキングの調理場と同じ。熱い鉄板とかあるから、怪我する人は居ない訳じゃなかったです。小さなやけどとかはみんなしてたかも。

帰りは使った衣類を指定のクリーニング行きの布袋に入れて、ロッカーで私物回収して、ゲートに向かう。退勤もSuica。帰りは荷物チェックとかはなくて、ただ経路にそって、金網の出口から出るだけ。

コロナ禍で、マスクは必須だし、検便か3回かな?あったし、エアコン効いてるとはいえ暑いので、熱中症対策にされたのは、東京トップウォーター(つまり東京の水道水)と書かれた冷たい水のでるウォーターサーバーと、熱中症予防のラムネが籠いっぱいにあっただけ。
たまにコカコーラの人が、スタッフ用に入り口にアクエリアス置いてくれたけど、すぐ無くなるわ。何人働いてると思うてるんねん。
コロナのワクチンの接種がようやく私らの年代でもできるようになったときで、ワクチンの接種かなり推奨されてて、そこの従業員だと、都内で特別に期間前に打てるようになってたんだけど、その交通費も出してくれてたらしかった。北海道とかの人もいたから、その旅費って思うとかなりだよね。私は体質的に副反応めっちゃ出そうだし、親権の問題抱えてて、住民票移せてなかったから、接種券自体を受け取ることが出来なくて、面倒くさくて、ワクチン打たずに期間が始まって、かかったらかかったでいいやーって思ってたから、打たなかったんです。

ゲートと職場の中間位の位置に、元々倉庫だった所にスタッフ用の休憩スペースがあって、その存在を知ったのがもう終盤だったから、数える程しかつかわなかったんだけど、倉庫にエアコン無理やり付けて、机と椅子ならべて、水だけはいっぱい積まれていて、自由に飲める用になってた。明治がスポンサーだったんだけど、1回だけたけのこの里派の人ごめんなさい!というユーモアのある札と一緒に、きのこの山が置かれてるのを見て貰って食べたかな。あと明治のチョコレートもそこで食べたことがある。あと発砲スチロールがあって、アイスあるの?!と開けてみたら空っぽで絶望したりしたw

その倉庫の壁挟んで反対側が、選手の、会場まで移動するバスの待機所になってるみたいで、壁の隙間から、ちょっと見たら、雑然とした、スタッフ側の設備とは大違いで、アラブのソファールームみたいな?笑、そんな空気の部屋になってて、選手へのストレス軽減を最大限に配慮してるなとは思った。
そこからバスに乗って、選手と関係者は、選手村から、各競技場に移動してるみたいだった。いわゆるレンタルの大型バスが〇〇行きと掲げられて、選手村までの往復で近く走ってるのよく見ました。大体カーテン閉まってたけど、開けてる人見ると、手を振ると振り返してくれるみたいなのはありました。

食事セクションで、もちろん日常的に選手との交流はあって、みんな大体同じブースに来るから、顔見知りになったりとかは普通にあった。自国のピンバッジを持ってきて、色んな国の人と交換するって文化が、国際試合の会場ではよくあるらしくて、私も何個も色んな国のピンバッジ貰ったけど、ボランティアさんは首から提げてるIDのストラップに、選手と同じく色んなピンバッジつけてたけど、私らはそれしちゃいけなくて、だから、貰うだけって感じ。貰うのを拒否しなきゃいけないみたいなのはなかったけど、付けちゃいけないってルールだった。あとナンパがかなりあって、可愛い子は携帯の番号聞かれるんだよね。あわよくば…って事なんだと思うけど、個人情報は教えちゃいけないに表向きなってた。だから、私も個人的繋がりを持った人は居ない。
実は私は国際試合の運営やるの2回目で、あるスノースポーツの運営事務やった事があるんだけど、その時もピンバッジいっぱい貰った。

あと、これは私個人の考えなんだけど、東京オリンピックのニュースとか中継とか、テレビを極力みないようにしてた。まあ見てる暇なかったけど。意識して東京オリンピックの話題に触れないようにしてた。実際色んな国の選手に食事提供するわけだから、知ってる選手とかいるじゃん?でも、インタビューの情報とかに触れちゃうと、好き嫌いがでちゃうじゃん?私はバイトだけど、実際好きな選手嫌いな選手ができちゃって、どっちの場合にも、対応にむらがでちゃうと良くないなと思ったから、できるだけ報道に触れない用にしてた。だから、東京オリンピックの競技の事はほとんど知らない。日本人のだれがメダル取ったかとか、まじで知らない。今パリやってるけど、興味がなくなってしまった。テレビ観る習慣がないってのもそうだけど、応援にお熱をあげることがなくなったなぁ。

あとは、選手村の中に、選手向けのお土産売ってる施設?売店?の小さな村みたいなのがあった。入っていいのかわからなかったので、中には入らず、そういうのあるのね、と少し遠くから、毎日見て通勤してたかなぁ。

私は夜勤で出勤は夕方だし、退勤は朝だから、この長い道のりの通勤も何とかできたし、夜勤だから、通しで長時間勤務できたし、夜勤ボーナスもあったから、続けられたけど、日勤だと2交替で、1回の勤務時間が短い(稼げない)し、炎天下の中通勤がキツイから、夜勤じゃなかったら続けられなかったかもな…とは思う。

この記事のアイコン(?)の冒頭の写真は、どの国か忘れちゃったんだけど、どっかの国の棟の横断幕がオリンピックの終わりの日だけ、こうやって日本語で「日本のみなさまありがとう」って掲げてくれてて、なんかやっぱり嬉しかったから、選手村の内部の写真撮っちゃいけない、って言われてたんだけど、1枚だけ違反して撮った写真。

パリで、選手村よりホテル滞在の方がいい!って流れになってるって記事読んで、そろそろ書いても怒られないかな?って、忘れる前に記録残しとこうと思って書き始めたんだけど、2ヶ月ちょっと、バイトで中の人やって知れたことってこんな感じです。

東京オリンピックの日本の選手村はほんとに選手に居心地よく作られてたと思う。スペースの部分で言えば、申し分ないくらい広く取られてたし(むしろ広すぎて働いてるこっちはきつかったわ!)、食事のセクションで実際働いたけど、日本人が食べて美味しいだから、多分全然まともなレベルだったし、ハラールはしっかり別にルートで管理されてたし、いろんな国の好みの人がちゃんと満足できるようにメニューも考えられてた。日本の食文化ー!って押し付ける感じも一切なくて、よかったら食べてみてね、に留まってたし、それと比べちゃうと、パリの人は大変だろうなと思う。ビーガンとかベジタリアンフードもちゃんとあったし、その押し付けもなかった。

あとは大量のCoCo壱とか大戸屋とかのウーバー頼む国、人もいて、でも、ゲートからケータリングの人が入れないから、大変みたいな話も聞いたな。
まあまあまあ、東京オリンピックの日本の選手村は、ほんとにその為に埋め立て地に作った新しい都市(陸の孤島)だから、滞在してて、嫌な思いはさせなかったんじゃないかな?選手村の個別の部屋もファミリータイプに新築で分譲できる内部になってただろうし、選手の皆様、至極普通に私らスタッフにも自然に挨拶してくれてたし、私は英語あんまりだから、込み入った話はしてないけど、制服の国旗みて、小学校の時に覚えさせられた色んな国のこんにちはが、初めて役に立ったかなって感じだった。アフリカ系の人にジャンボ!って言うだけで、笑ってくれたしね。

というわけで本日も1万字になりましたので、この辺りで…。
通勤がとにかく大変だったということだけ、伝われば、中の人の共通の苦労を分かって頂けるかな?と。働いて実際楽しかったよー。ってお話でした。

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