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「泣きながら食べたミカン、笑いながら食べるメロン」【♯人生は喜ばせ合戦 参加記事】

み・な・さ・まっ!


このハミング、「とんだお祭り騒ぎ」に巻き込まれました。

「チェーンナー」さんというnoterさんが「バトンリレー 人生は人喜ばせ合戦」という企画をされているようです。

そのバトンが、、、尊敬するフォロワーさまのミモザさんから、、、私のような唐変木の手元にやってまいりました。。。

このバトンリレー、仲良くしていただいているikue.mさんミモザさん、、、からの→ ハミングです。。。

いやいやいやいや、この流れでっ!


ご存知の方も多いと思うが、ikue.mさんとミモザさんって、めちゃめちゃレベル高いお2人である。

私が「教科書がわりに記事を読ませていただいているお2人」である。

紛れもなく「天上界の人々」である!


その後に、私のような「どこかの地獄を彷徨う亡者」が記事を、、、

いやだ~っ ToT


みんな、どうせ「ikueさん&ミモザさん記事」「亡者ハミング記事」を見比べ、「ほぅほぅ、ikueさんとミモザさんは見上げたものですなぁ。天上界なだけに。そして、、、これが、、、亡者の悶え苦しむ地獄ですかぃ。怖いもの見たさで来てはみましたが、、、なかなかアレですなぁ」

とか言う気だぁ~っ ToT

人の記事を「アレ」扱いするなぁ~っ ToT

青い海なんて、大っ嫌いだぁ~っ ToT


青い海「(ギロッ!)何か言ったか?」
ハミング「あっ、、、いえ、、、何でもないっす ^^;」

青い海にも凄まれたあたりで、企画元の記事を貼る。

私もnoteを始めてから、まだ5ヶ月ほどなので、「チェーンナー」さんのことは今回初めて知ったのだが、以下のとおりである。

尊敬すべきikueさんとミモザさんに嫌われたくもないという卑屈な私は、泣く泣くバトンを受け取ったのだが、、、このお2人の流れでバトンを託されるオレって、、、実は結構カッコよくね? みたいな驕り高ぶった気持ちも「ないことはない」ことは否定しない(高度な三重否定)。

さて、人様の大切な企画をあまり汚すわけにもいかないので、これ以降の「本編」はマジメに書こうと思う。

あっ! 最後にもう1回だけ、ふざける。

アッチョンブリケ😱

(↑ 同じく尊敬すべきフォロワーさまの「櫟茉莉花さん」に教えていただき、気に入ってパクッて使ってます)

凄むと怖い「青い海」

[本編] 
「泣きながら食べたミカン、笑いながら食べるメロン」


今回のバトンリレーの趣旨であるが、(1)「人に喜んでもらったこと」または(2)「人にしてもらって嬉しかったこと」の体験談を集め、巨大な「人喜ばせ合戦」のアルバムを作るという壮大な計画があるらしい。
(ほぼ、ミモザさんの記事からコピペさせていただいた)

バトンをいただいたのは光栄であるが、何を書いたものか迷う。

こういうときは、上手い人たちのマネをするのが一番である。

私がnoteでショートショートを書くきっかけとなったikue.mさんが興味深いことを書かれていた。

ikueさんは「お母さんにしてもらってうれしかったこと」を書かれている。
何とも、ほっこりするお話なので、ぜひお読みいただくことをお薦めする。

思い返してみた。
私はこれまで、悪びれもせず身内をダシにした記事を書き、姑息にスキをもらおうと試みてきた。

「父記事」、「姉記事」、「姪記事」、、、そうか、「母記事」をまだ書いていなかったか。

私は基本的に母と気が合うので、これは不思議な気もする。
母とはあまり喧嘩したこともないので、そんなに大仰にネタするようなこともないということだろうか。

それとも、ただ何となく恥ずかしいのか。

ikueさんのマネして、初の「母記事」書いてみようかなぁ。。。


~(人のマネして)「母にしてもらってうれしかったこと」~

そう言えば、七夕のあたりに暫くぶりに帰省し、母に会ってきたばかりだ。

実は今回の帰省の主な目的は、父の七回忌であった。

早いものである。

父が亡くなったときはビックリした。

それまでも、「親はいずれ亡くなるのだ」ということは理屈では分かっていたものの実感がなかった。

父が亡くなり、驚いた私は、見よう見まねで「初となる親の葬儀」施主としての自分を演じた。

感情的になることが多い私の姉は、「お父さん、今までいっぱい可愛がってくれてありがとうね。ウゥッ」と素直に泣き、素直に思いを口にして、素直に父との別れを悲しんだ。

葬儀もひと通り終わり、初七日も過ぎたあたりで、姉が無感情な様子でボソッと私に言った。

「ハミングさあ、、、アンタ、、、あんま泣かないよね?」


、、、私は太宰治『人間失格』で自分の本性を見透かされたときの主人公のような心境となり、ギクッとした。

そうなのである。
私は「悲しむべきこと」が起こると、わざとその対象から目を背けることがある。

何と言うか、その「悲しさ」に直接目を向けてしまうと「心」がズタズタに引き裂かれてしまうのではないかと恐れ、「これは大したことではないのだ」ムリに「悲しい」という感情にフタをして、平常心を保とうとしたりすることがある。

父の死が訪れたときも、私は「親はいずれ亡くなることは頭で分かっていたこと」といつも通りの呪文を唱え、父の死と真っ向から向き合い、思い切り悲しむことを心のどこかで避けていたように思う。

「無条件で自分の味方になってくれる大切なひと」が1人、この世からいなくなってしまったという非常に「悲しい」事実を受け容れることの衝撃により、心が壊れてしまうことを恐れていたのかもしれない。

1人の大人として、葬儀が終わり、初七日も終わり、自然に日常生活に戻っていかなければならないし、悲しみを引き摺っているわけにもいかない、、、とか、そんなことも考えた。

しかし、その反動か、私の心は結果的に大きく壊れた。

「親はいずれ亡くなることは頭で分かっていたこと。だから大したことはない」と自分に言い聞かせていたが、やはり父の死は自分にとって「大したこと」であったのだろう。

初七日を終え、東京に戻り、最初は何か「ちょっと気持ちが落ち着かないな」くらいの自覚だったのだが、まず数カ月間、すっかり眠れなくなってしまった。

そして次に、活字が全く読めなくなった。
「意味のある言葉」として、頭に全く入って来ないのである。
子どもの頃から「本大好き」な私がである。
普段は仕事で和文・英文の契約書を日常的に読んでいる私がである。

父の死を目の当たりにし、私の人生観は大きく変わり、そして「肉親の死を悲しみもしない親不孝者に罰が当たった」とでも言わんばかりに、私の日常生活は狂い始めた。

今は「悲しいときは、暫く悲しい気持ちに浸り、思い切り悲しんだ方がいいかもしれない」と私は思っているが、「それを上手くできるかどうか」という別な問題もあるようには思う。

、、、そのときのことをあまりクドクドと書き、「悲しい自慢」をしたくないのだが、今回の父の七回忌を終えて「あれから、もうこんなに経ったのか、、、」と私は少し気が抜けた。

父が死に、自分の心が壊れた「大波乱の年」から、こんなにも。。。


ところで、私は昔からこんな風だったのだろうか?
こんな風に肉親の死からも目を背けようとする人間であったのだろうか?

そんなことも少し振り返ってみた。

ありがたいことに、私の両親は私が社会人となり、自分で自分を養うことができるようになるまで生きてくれた。
そのお陰で、多感な子どもの頃、両親の死を意識することもなかった。

ただし、一度だけ、母の死を意識した思い出がある。

私が幼稚園児の頃、自宅で母と「ヒーローごっこ」をして遊んでいた。
ヒーローの私は、怪獣と化した母を倒すべく、「エイ!ヤー!」と攻撃を繰り出した。

怪獣の母がふざけて「うっ、やられた。。。お母さん、もう死んじゃう。。。」と言った。

そのセリフを聞いた瞬間、私は天地が引っ繰り返ったような衝撃を受け、ヒーローから1人の幼いハミングに戻り、真っ青な顔で「ダメダメ!お母さん!死なないで!ねえ、死んじゃダメだよ!」と叫んで、母の体を強く揺さぶった。

母はすぐにケロッとして「あっ、お母さん、生き返りました ^^」と言ったが、私はすっかりショックを受けてしまい、「ヒーローごっこ」の続きをする気力も失せた。

その「ヒーローごっこ」の後、母と私はソファで並んでミカンを食べたのだが、さっきの緊張感が解け、「母が死んでいなかったこと」に対する安堵感と幸せが心にこみ上げ、私の目からはボロボロと涙があふれ出して、止まらなくなった。

ボロボロ泣きながらミカンを食べる私を見て、母は心底、不思議そうな顔をして「ハミング? アンタ、何で泣いているの?」と聞いてきたが、何かを言ってしまうと「幸せ」が崩れてしまうような気がして怖かった幼い私は、何も答えず、いつまでもボロボロと泣きながらミカンを食べ続けた。

その一件があってから、私にとって、ミカンは少し特別な果物となった。
私はミカンを食べるたび、あの「泣きながら食べたミカン」を思い出し、「母が生きていることの幸せ」を噛みしめるようになるのである。


私の年齢になると、もう「母にしてもらってうれしかったこと」というより、父の七回忌を終えた今もまだ、「母が生きていてくれること」に素直に感謝している。

「泣きながらミカンを食べたあのとき」から今まで、ずっと母が生き続けてくれていることに感謝している。

父を亡くした今、父を亡くして心を壊した灰色の時間を経験した今、その感謝の気持ちはひときわ強い。

、、、何かヘンな話になった?
「母にしてもらってうれしかったこと」の「お題」に沿っていない?

、、、結構、皆さま、お厳しい。。。

あっ、そうそう。
「母がしてくれること」で「うれしいこと」有ったわ!

毎年、夏になると北海道産のメロン送ってくれて、ありがとね!

いつも「そんな気ぃ遣わんでいいよ」とボソッと不愛想に言う息子ではあるが、内心「赤肉(x1)と青肉(×1)」のセットのメロンが毎年、楽しみで楽しみで~ ^^。

先日、「今年のメロン」が送られてきたばかり。
ほら。
「母にしてもらってうれしかったこと」になって「お題」にも合った。

そうそう、私は「嬉しい」とか「楽しい」とか「スキ」とか「愛してる(オエッ!)」とか、ポジティブな感情の表出は結構ストレートである。

「まだ生きてくれている母」が送ってくれるメロン。
母が生きているからこそ、送られてくるメロン。

私はこの「嬉しい」という感情にフタをせず、幸せを噛みしめ、毎年毎年、笑顔でメロンを食べる。

(完)


何かまとまりのない記事になった?気もするが、書いたぞー!

人様の記事に乗っかるのは、ちょっと緊張する~。。。

でも書き終わっちゃったから~♪、気持ちは軽いのさ~♫
ハミングしながら~♪ またふざけているよ~♫

さてさて、来週のサザエさんであるが、ミモザさんの独裁政治により「森尾歩さんにバトンを渡すように!」とのお達しがきている。

森尾歩さんも、私の面白いフォロワーさまであるので、何の異論もない。

、、、ということで、次にバトンを森尾歩さんにお渡ししたいと思います!
森尾歩さん、暴れちゃってください!


先日送られてきたばかり。
赤肉のメロンちゃん ♡

えっ?青肉は?って?
フン! 食うてもうたわい!


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