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人生は、ちょっとかわったブラックボックス
こんにちは、最近なんとなくビジネスホテルのラウンジの雰囲気が好きだな~と感じている(いったことないのに)yuyuです!
今回のテーマは人生×ブラックボックス
どんなお話なんでしょうか???
のぞいてみましょう(^^)
以下、本文。
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世の中、中身が見えないブラックボックスばかりだよなと思う。
開けてみるまで何が入っているか分からないものであふれかえっている。
僕たちが目にできるのは、お菓子の袋のパッケージだけで、
買う前からその中身を直接見ることはできない。
(もちろん例外はある。袋が透明なやつとか。)
実際にどういうものが入っているかを事前に知ることはできない。
パッケージの「※写真はイメージです」のやつを見て
「だいたいこんな感じのお菓子が入っているんだろうなあ」
と想像しながら、実際の商品ではなく商品のパッケージを見て
買うかどうかを判断している。
それが、お菓子のようなかわいい規模のものだったらそこまで気にしない。
「なんか予想と違った」とか「予想よりもうまかった!」で終わる。
予想と違ったら、次から買わなければいい。
でも、もし、ブラックボックス現象がお菓子にとどまらず
もっと大きな規模のところでも起きているとしたら?
「んーなんか思ってたんとちがった。」
だけで片づけられるような軽い意志決定で決められる範疇の外でも
ブラックボックス現象が起こっているとしたら?
進学とか、就職とか、結婚とか、そういうところで。
パンフレットというパッケージを見て
大学の進学先を決めて
インターンや企業説明会というパッケージを見て
就職先を決めて
結婚は、ちょっと違うかもしれないかも…
(パートナーのことをパッケージと見るか、中身そのものと見るかは
恋愛経験の少ない自分からは言えません…(笑))
進学・就職・結婚以外にも、
たぶん、世の中のほぼすべてのもの・イベントが
多かれ少なかれブラックボックスなんだと思う。
でも、普通のブラックボックスとちょっとだけ違う所もある。
僕たちは、ブラックボックスの中身をなるべく「当たり」に
近づける努力をすることができる。
「はずれ」だって無理やり「当たり」に変えることができて、同時に、
どんなに大きな「当たり」も「はずれ」と同等にまで成り下がってしまえる
ちょっとかわったブラックボックス。
そんな世界の中を、僕たちは今日も生きている。
日本のみなさん、お疲れ様です。(どこかできいたことあるぞ)
生涯において最も大切なものは職業の選択である。
しかし、偶然によってそれは決まる。
ーブレーズ・パスカルー
※ちなみに僕は彼の本を一度も読んだことがありません。