眞愛
昨日、友達と紅葉を見た その友達は新しい友達で 一昨年まで一緒に紅葉を見に行った友達(Kさん)ではない 私は新しい友達(Yさん)に『金剛山の登り口に連れて行って欲しい』と言った 彼女は屈託もなく、車のハンドルを握り、その場所に連れて行ってくれた⛰️ 思い出の道を辿る 横に座る彼女は 頬がふっくらしていて 快活で、よく喋る もう会えなくなった友達は 痩身で、無口だった よく話を聴いてくれる人だった 去年Kさんと会えなくなったのと 入れ替わるように、Yさんと出会った
自分の大好きな人同士が互いに惹かれ合い、愛し合うということは、奇跡のようなことで、私の大好きな作家の佐野洋子と、一時期愛し合い、結婚していた(後に離婚)、私の大好きな詩人の谷川俊太郎が亡くなった。 二人の出会いを谷川俊太郎は詩に詠んでいる。それを何度も読み返すと 人の出会いは偶然のように見えて必然で、別れも同じような過程を辿るが、出会った時の新鮮な歓びには、人を誰でも詩人に変えてしまう魔法があるような気がする🪄 それが偉大な詩人なら 尚更…
<自然と向かい合う時、人は沈黙するか、饒舌になる> アメリカの大統領選挙で、共和党のドナルド・トランプ氏が当選した🇺🇸 <世界は平和を求めている🕊️> 「分断を忘れて団結するとき」 トランプ氏の演説要旨 - 日本経済新聞
最近、体調(特に目)が悪くて、音楽を聴きながら、休んでいることが多い。古い曲から新しい曲まで色々聴いているが、インスタの中で、引退した吉田拓郎が、小田和正のコンサートで一緒に歌っている動画を見た。 小田和正と拓郎が親友だとは、知らなかった。二人の音楽は、全く違っていたから。 二人は、小田が大好きな拓郎の曲『人生を語らず』を歌っていた。 繊細で美しい声を持った芸術家のような小田と、アナーキーで洗練された放浪者のような拓郎が、年と共に、様々な試練を創造の糧にして、歩んできた人
誰であれ近しい人が 旅立とうとする時 どんなに側に居て欲しくても その旅立ちを 迷いなく見送ってあげたい それは自分が年を重ねるにつれて ますます強く思うようになった 時のかけらが舞い降りてくる どんなに楽しい思い出も “あなたと居られることが一番の幸せでした” 身を切るほど辛い試練も “あなたが居たから耐えられた” そのかけらの一粒一粒を 手のひらにのせて眺めてみる 指の間から溢れ落ちていく たくさんの想い出のかけら 朝露のように煌めき
月の光を見つめていると 自分の身体が透き通って 何か神々しいものに 昇華されていくような気がする 『ほほえんでくれたこと 何って聞いてくれたこと さよならも今は 愛さえも今は 月夜に拾った氷』 (『月夜に拾った氷』銀色夏生) https://m.youtube.com/watch?v=0siIoIWd62c
『そのままの自分でいること』 『そのままのあなたを想っていること』 『そのままのあなたが好きだということ』 『あなたの好きなものはひとつ残らず言えるわ』 『そのままのあなたが好き』 人は誰かに恋する時 自分にかけて欲しい言葉を 無意識に口にしてしまう そのまま 荒井由実
今日は一日中雨だった。傘をさしてひたすら外を歩いていたら、雨の雫に濡れたたくさんの美しい花に出会った💐 そこには人工的なものでは決して創造できない美しさがあった。 その美しさがどこからくるのだろうと考えていたら、少し前に読んだ、山中伸弥教授と羽生善治名人の対談の記事を思い出した🧬🀄️ <写真内の言葉や、カラー枠内の対談は全て上の記事よりの抜粋です>
<先週の金曜日、淡路島を眺めながら、故郷へ帰りました> 青い船で 松任谷由実 <故郷で撮った写真をまとめて、記事を書こうとしたら、あなたが新しい場所で、創作を始めたことを知りました> <あなたの織りなす美しい詩や絵の世界は、私が憧れて描きたい世界でもありました> <それは、私の心の故郷のように 優しく、汚れない世界を思い起こさせてくれるものでした> <パステルを基調としたファンタジーの世界は、夢のようでありながら 切ない祈りのようでもありました>
娘は猫みたいだ 私の前では、我儘で、自由気ままにしている 機嫌のいい時は 目を細めて、にっこり微笑み 心地よい声で 私を呼んだりする 甘え上手で 側にいると 赤ちゃんみたいな甘くて いい匂いがする 娘の猫は 膝に抱いてやると 可愛い後頭部を見せて まん丸い背中を もっと丸めて 赤ちゃんみたいに ぴったりくっつく 小さくて 無邪気で 愛おしい 子離れができない母親が 親離れをした娘を 捨て猫になってでも 帰って来て欲しいと
日本列島は台風の最中(さなか)にあるというのに、洗濯物を干そうとベランダに上がった私は、虹を見ていた🌈 九州やその他の地域では、暴風雨に見舞われて、家屋や人が流されたり 命が失われたりしているのに、ここにだけは平和があった🕊️ 虹をのんびり見上げている自分が 罪深いように思えた。同じ空を恨めしげに見上げている人もたくさんいると思う。 “私の束の間の感動を許してください。” 私の日常のささやかな歓びを 見逃してください” “私がここで生きていることを…” 優しいこと
<生きることの美しさを見る> <生きることの浅ましさを見る> 昨日スーパーに行った時 袋入りのお米が全て無くなっていました。先日のペットボトルの水の買い占めの時よりショックを受けました🌾 私の母が住んでいるところは、早場米なので、もう新米が出ていて、スーパーにもたくさん出回っているようです。専門家も9月の始めには新米が出荷されて、市場に米が出回ると言っています。 恐ろしいのは、米不足の報道に振り回されて、買い占めたり、買い漁る人の心です。 米は長期保存ができません。
3日ぶりにスーパーに行った。 ペットボトルのミネラルウォーターが、全部売り切れていた。 見事なほどに… あさましいほどに… コロナ禍の初期に こんなことがあったなぁ… あの時は、一晩のうちに マスクやトイレットペーパーやティッシュペーパーが全部売り切れていた。 同じことが繰り返されている。 地震への恐怖が“命の水”への過度の需要で、行き過ぎた行為を引き起こしている。 テレビでは『南海トラフ巨大地震注意⚠️』というテロップが流れている。 それと同時に『買い占め
<友達とのLINE>
人生は選択の連続だと思っているがその中にはとても苦しい選択もあって、時にはそれを放棄したくなる時がある。 『トロッコ問題』 “5人を助ける”(数の論理) “1人がもし自分の子どもや恋人だったら?”(条件の付加) “トロッコから飛び降りて、自分だけ逃げる”(責任放棄) など様々な選択がある。 だが、“トロッコを飛び降りて、自分を轢かせて止める”という究極の選択もある。 『塩狩峠』(三浦綾子作) 『トロッコ問題』とよく似た状況で、自分の身を線路の上に投げ出し、暴走
一度も会っていない人なのに とても懐かしくて 昔からの親友のような気がする そんな人がいる 手紙 諫山実生💌 noteでしかお会いしたことがなく 虚実あやふやなSNSの世界でしか 繋がる術もなく 会う手段もなく それでも繋がろうとしてくださる人 たぶん私と辛い境遇が重なり その試練に『神々しい何か』を見た人 今年私の朝顔は咲かなかった その人の朝顔は美しく花開いた