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塔12月号 前田康子欄から好きな歌五首

こんにちは。
今日も、塔を読んでいて、私が好きだった歌について書かせていただきます。まずは私も入っている前田康子さん選の欄から、好きな歌五首です。
敬称略でいきます、すみません。

即席のスープに猫が尾を入れてテールスープとなりたるを飲む/小川玲

140p

とても重々しく詠われているので、どういうことかともう一度読み直してみると、なんと、作ったスープに猫の尻尾が入ってしまったので、テールスープということにしてしまおう、という、とてもお茶目なお歌。
テールスープは普通に作るとすごく時間がかかる料理なので、「即席のスープ」も、とても効いていると思います。
猫の尻尾の入ったスープも飲むのですね。猫愛を感じます。そしてこの歌は、重々しい詠み口に軽妙な事実が詠われているのが、やはり確かな妙。おかしみが増してくるのがいいですね。


弟と異なる思ひ出語りつつ父また母も二重人格/いとう琳

141p

兄弟によって接し方が微妙に違ってしまう両親というのは、推測するより多いのではないかと思います。もしかしたら、全家庭、そうなのかもしれない。
それは性差による差異だったり、子供の性格による差異だったりする。
それはそういうものだろうと思っていても、いざ弟と子供の頃のことの思い出話をすると、あまりにも違う両親の顔に戸惑ってしまう。それを「二重人格」と詠んだところが面白いと思いました。


キッチンに立てば食材語りだす昆布の献身イワシの無念/岩泉美佳子

141p

上の句の出だしからすでに面白いけれど、下の句がとくに上手いと唸りました。「昆布の献身」。確かに昆布は出汁として重要だけれど華はなく、裏方に徹している。裏方だけど、すべての料理の良し悪しを決めるのもまた、昆布だという重い役所だ。昆布の献身には高い称賛を向けたい。紫綬褒章などはいかがだろうか。
だけど、私はちょっと「イワシの無念」がわからなかった。やはり出汁として使われるカタクチイワシのことなのだろうか。頭をもがれ、内蔵をとられて出汁に使われるが、せいぜい味噌汁の出汁になる程度。献身度合いはカタクチイワシの方が強めなのに、昆布ほどの品格がどうしても出ない。言うなれば、昆布は高級旅館でカタクチイワシは庶民の味噌汁なのだ。その差に無念を感じているということだろうか。
と、いろいろと想像の広がる、とても楽しいお歌でした。


夜の蝉「泣かないの?」って聞かないで「ありがとう」で蓋してるから/栗谷葉月

143p

一連の作品から、親しくしていた方が亡くなったことがわかる。作中主体は、その知らせを聞いたときから悲しみの感情に飲み込まれている。そして夜になり、今を盛りと鳴く蝉の声に「君は泣かないの?」と問われている気になる。きっと、作中主体は、一度泣き出してしまったら、収集のつかない思いが溢れてしまうのを感じているのだろう。そして、まだその気持ちを放出するべきときではないのだろう。
今年、たくさんの蝉の歌を読んだけれど、こんなに寂しい蝉の歌はこの一首のみでした。
ご冥福をお祈りします。


レジ横に長く貼られしチラシあり風景となる誰かの切実/朝日みさ

149p

スーパーのレジの横に、ずっと貼られたままのチラシ。迷い猫・迷い犬のチラシだろうか。あまりに長い間貼られ続けているので、もう風景と化してしまって、そのチラシを真剣に見るひともいなくなってきてしまった。・・・貼られて続けている=まだ見つかっていない、のに。
ありがちな風景を拾い上げ、それをこの哀切な歌に昇華したところがすごいと思いました。特に結句の「誰かの切実」という、余韻のある締め方が好きです。


以上、五首です。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。



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