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過去の話をしようか...

こんにちは!今年の夏に「西野亮廣講演会」と「スナック西野」を主催するチームくにたけのメンバー、大平啓人(ヒロト)です!
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今回は、自分の過去の話をしようかなと思います。

やっぱり、大平啓人って何してきたの?とか気になる方もいると思います。
そういった人たちに向けた内容です!

分かってるよ!って人は、読まなくても大丈夫です!
小中高の順でどんなことやってたか書こうと思います。

小学生時代


自分は、小学校の頃から人の笑顔が好きで、人を笑わせることが好きでした。

小学校6年生の頃、担任が大阪の人で、ツッコミが完璧な最高の先生に出会いました。

そこから、自分がボケて、先生がツッコむ。
そういう構図が出来上がってました。

そこで自分は人前に立つのが好きになり、大阪の先生が担当している運営委員という所に入りました。いわゆる生徒会みたいなところです。

そして、運動会で、応援団長にもチャレンジしました。
運営委員は、運動会は忙しいから、応援団長はやったらだめってルールがあったのに、自分はそれを破ってでもやりました。前代未聞らしいです。

そこで、人の前に立つのが好きになり、みんなの笑顔が好きになり、
卒業式の一人一人の夢を言う時は、お笑い芸人になる!と言いました。

中学生時代

中学校が自分の全盛期でした。

そして、中学に進み、一年生の頃から、学級委員長になりました。生徒会役員にもなって、学校の行事ごとを運営する楽しさを覚えました。

やっぱり、人を笑わせることが好きで、たくさん人前に立ちました。

そうすると、生徒会の先生から、声をいただき、
「今度、中文連(中学校文化連盟)ってところが、パフォーマーを集めてて、お笑い部門もあるから、予選受けてみない?」と言われ、ここで勝てば、沖縄の県大会で、大きいホールで出場することになる。そこで優勝したら、沖縄1位という実績です。
そこで自分は、「やらせてください!」と言い、一緒にやってくれる人はいないまま、一人で、漫談をしました。

その時のお笑い部門に申し込んだ人が、自分しかいなく、予選に対戦相手もいない。

ダンス部門、歌部門、お笑い部門とある中で、それぞれに会場が与えられるはずなのに、お笑い部門は自分しかいないため、ダンス部門のところに行かされ、みんながダンス練習している中、自分は、一人でネタの確認。そして、いつやるのかなと思ったら、
「じゃあ休憩に入ります!休憩中ではありますが、今日お笑いをしてくれる学生が来ました!どうぞ!」
と言われ、こっちも予選で戦いに来てるのに、余興に来ましたみたいな扱い。

そして、一人で漫談。ややウケでした。

予選の結果は、「お笑い部門の人数が足りないため、今回は不合格といたします。」
ふざけるな!

そのあと、先生から、「中文連の大きいホールで、閉会のあいさつやらない?」と言われ、キャパ830が満席で、やることを決意しました。

閉会のあいさつ前の舞台裏で、突然学生に声を掛けられ、「受かったんですね!漫談これからですか??楽しみにしてます!!」
まさかの、予選会場にいたダンサー。

「あ、あ、はい!」そんなことしか言えなかった。
あの子は、自分が舞台の上で漫談ではなく、挨拶をしたのをどう感じたのだろうか。
今でも、あの純粋な応援に、申し訳なさを感じます。

ちょうど、それが終わったころに、また生徒会の先生から、
「演劇やってみない??」と言われ、ここで勝てば、沖縄県代表として、富山大会に出場できる。自分は面白そうという理由で「やります!」と言いました。

一回も演技をしたことない人たちを先生が寄せ集め、有志の集まりで、先生が考えてくれた台本を覚え、練習しました。
自分は、一人で、二役やってて、普通の人と、全身タイツのヒーローをやってました。
その時の画像がこれです。

空爆を止める正義のヒーロー役

本番を迎え、大きいホールで発表し、他の学校は、部活動として、ガチ。

自分たちは、有志の集まりで、ほぼお遊び気分、場違い感がありました。
自分たち含め、3校しかいなく、最下位だろうと思ってました。

結果、銀賞。え!?となりましたが、
金賞は、1校で、ほかは全部銀賞という運営側の優しさがありました。

ここまでが、中学校二年生の経験でした。


次回へ続く、、、

#チームくにたけ
#カラーオブキャラメル
#漫才
#全身タイツ
#演劇
#中学生


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"チームくにたけ"をわからない人へ

チームリーダーが、"チームくにたけ"について細かく書いてくれてます。
ぜひ読んでみてください!

〔▼チームくにたけって、なに?▼〕

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