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手に取ったつもりのグラスが、するりと抜け落ちてしまった衝撃。
「老化」を感じる一場面の話である。
このところ、「反射」が少し「ずれ」てきていると感じる。
手に取ったグラスが、するりと抜け落ちてしまう。
食事中に、突然咽せる。
見えているはずのものを、見落とす。
日常の生活の中で時々見られる情景ではある。
数年前まではそういうことを感じることはなかったが、こういった場面が、自分の日常の中に現れてきたことは、少々衝撃的な出来事である。
常に緊張を強いられてきた現職時代が嘘のように、定年を迎えてからは、少なからず「のんびり」と「穏やかに」暮らせるようになってきたが、わずかとはいえ、「老化」は、知らず知らずのうちに忍び寄ってきているのだ。
グラスを取り落としてしまったこと
例えば、食器棚からグラスを取り出す際、これまでと同じようにグラスに手を伸ばし、軽く手に持って振り向こうとした瞬間、手にしたはずのグラスが、するりと抜け落ちてしまう。
グラスは、当然のことながら、床に砕け散ったわけだが、
そんなことが何回か続いた。
(?_?) ??
なんでだ?
最初は「手が滑った」と思っていたが、ちょっと違うような。
手が濡れていたり、油が付いていたりということもなかった。
指がしわがれて紙がめくれなくなってきたように、脂っ気がなくなったせいでもなさそうだ。
それとも、指紋がすり減ってグリップ力が落ちたか?などとも考えたが、いずれも少し違う気がした。
そこで、はたと気がついたことがある。
私自身の感覚では、手に取った「つもり」だったが、実は、しっかり手に取らないうちに、取り出そうと腕を動かしてしまったのではないか、ということだ。
手(指)がグラスをグリップするタイミングと、取り出すために腕・視線・身体を動かす一連の動作との間に、「ずれ」が生じているのではないか。
このことは、身体の動きと頭の中のイメージに「ずれ」が生じてきたと感じる、衝撃的な発見であった。
まさに「紙一重」である。
不注意だったといえばそうかもしれないが、これを機に、今までどおりの感覚では身体が反応しなくなりつつあるということを意識し、しっかり持って、慌てず、ゆっくり、確実な行動に努めようと思う。(^^;
食事中に突然咽てしまうこと
見えているはずのものを見落としてしまうこと
食事中に突然咽せたり、そこにある「見えているもの」を見落としたりするのも、同様なのではないか?
前者でいえば、飲み込むタイミングと気管の蓋が閉じるタイミングが、少しずれてきているために気管に飲食物が入り(又は、入りそうになり)、これに反応して咽せてしまうのである。
咽せること自体は誤嚥を防ぐための正常な反応であって、この反応が弱くなってくると「誤嚥」が起きるということだから、今のところ、誤嚥性肺炎等に至るような心配はないが、加齢による反射の低下は、じわじわと忍び寄ってきていると感じる。
話をしたり、呼吸したりするのと同時に飲み込む動作をしたときなどに、特に反応がずれてしまうことが多いようなので、一呼吸置いて、落ち着いて飲み込むことが大切なのだろう。
要は、「CPU」の機能が低下してきたり、プログラムに「バグ」が生じたりしているのだ。
グラスを手にする動作と移動の動作、あるいは、飲み込む動作と呼吸する動作など、同時に二つ以上の作業が行われる時に、その連携のタイミングがずれるのではないかと感じる。
「見えているはずのものを、見落としてしまうこと。」
も同じだ。
例えば、車を運転していて感じるのは、前後左右を同時に感じながら運転することが、以前は考えなくても普通にできたのに、一つ一つを個別に確認しなければ見落としがちになると感じることがある。
その分、切り返しなどの動作においては、周囲の確認に時間がかかるようになるため、全体として「もたつき感」が出てくる。
少し前までは、他人の動作を見て、「なにもたもたしてんだ!」と感じることがないこともなかったが、自ら、わずかながらも「兆し」を感じるようになってわかったことは、
安全を確認するために必要な時間は、
人それぞれに異なる
ということだ。
周りにせかされたりすることがあっても、慌てず、安全確認は自分のペースで確実に行うことが大切なのだと感じる。(#^.^#)
高齢者が「もたついて」いると見えるときは、気持ちに「ゆとり」を持って、見守っていてほしい。
誰でも、いずれ経験することになるのだから・・・