葬送のフリーレンを見た感想

人々の不器用さと孤独。タイパを求める社会では、個人の時間が人といるときよりも楽しく感じて、人と話すときにエンタメ性、などの”理由”を求めてしまう。しかし現代人はどこか抱えている。孤独感を。しかし人間は不器用なもの。(賢いエルフですら不器用なんだから。)孤独感を解消しようと、してもなかなか厳しい。

フリーレンが流行った理由として、理由なき無駄に満ちたコミュニケーション。それは短い時間におけるエンタメ性、有効性、はほとんどない、タイパとは対極にあるもの。それを感じたから流行ったのではないだろうか。

ヒンメルがあっさり別れる理由を問われたときのセリフ、また会ったときに恥ずかしいからね。
孤独だからこそ会う前提、でも恥ずかしいという不器用さ。また会おうねと言われて本当に会うなんてことは無に等しいように、この言葉にも、たぶん会わないだろうという気持ちが感じられる。

また会いたいから会う前提なんだけど、たぶん会わないだろう、でも会っちゃったときに「あ、会っちゃったよ」という嬉しさと戸惑いを感じる。

これが、また会ったときに恥ずかしいというもの。だからこそあっさりと別れることで戸惑いの成分を薄くする。

この言葉にある、人間らしい孤独感と不器用さがいい感じに織り交ざった雰囲気がたまらなく好き。

タイパというものはいい面もあれば悪い面もある、その皆がうっすら感じている好ましいとは思っていない面を、ヒンメルは優しい口調で解体してくれた。報酬目当てではない、純粋な手助けをするように、純粋な関わり合いをその背中で教えてくれた。


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