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人生は各駅停車でいい -人生について思っていることを本音で話す-

人生は各駅停車で十分

ビジネスの世界でも、スピリチュアルの世界でも「人から感謝される生き方をしましょう」とそんな声をよく耳にします。
感謝する生き方とか感謝される生き方がいいというのは私も同意します。
だけど、
人から感謝される生き方を強要する社会ってクソだな
って、最近、とくに思います。

私たちは20歳になったら大人として扱われ、責任をとるように強要されますが、はっきり言って無理があります。なぜなら、私たちは一人一人はあまりにも違いすぎるからです。
10代前半で精神的にも自立できる人もいれば、40、50過ぎても精神的に自立できない人もいます。でも、人生そんなものです。私たちは生まれたときからスタートラインが違いすぎます。それは経済的なものや体の丈夫さ等のわかりやすいものであったり、才能や心の成熟度など目に見えないものであったりします。
自分の足で立とうとする意志とその方向に向かっているのであればそれで充分だと私は思います。成長のスピードなんて、人それぞれでいいです。まわりを見て、できてない自分をダメだと思わなくていいのです。

お金持ちは本当に人格者なのか

「お金を稼げないのは人に貢献しているのが足りないからだ。」
「お金持ちはたくさんの人に貢献している。」
自己啓発やスピリチュアルのインフルエンサーはそう発信します。
それは、ある部分では正しいと思います。
ただ私が言いたいのはそういう生き方をしないとダメだと思う必要はないということです。もちろん、そういう生き方を目指していたり、やりたいと思っていたりするなら、やってみてもといいと思います。
だけど、何よりも、自分の心の声、感覚を優先してみてください。人それぞれ合う合わないもあるし、仮に自分に合っていたとしても、それを実行するタイミングも人によって違います。
さらに言うなら、わたしはそういう生き方があまりいいとすら思っていません。どちらかというと、アーティストや旅人のような、自分の内面にあるものを自由に表に出すような生き方のほうが共感を覚えます。

また、「お金持ちはたくさんの人に貢献している」は実際には誤りで、正確には「お金持ちは人が欲しがるものを与えてる」が正しいです。
なにが違うかというと、彼らの中には人が本来必要としていないもの、むしろ手にしてはいけないものまで与えようとします。
お金持ちの中には、誇大広告や心理学を巧みに利用して、私たちが本来得ても幸せにならないものまで彼らは欲しいと思わせて、買わせてきます。
私たちの恐怖や欲望の感情を過剰に刺激して、それがないと生きていけないと思わせます。
人が人をコントロールするやり方、依存させるやり方は人の道を外れています。
そして、そんな生き方を私たちは時には労働者として、時には消費者として支え続けます。

ゆえに、お金持ちをすべて人格者として見ない方がいいです。
もちろんお金持ちで人格者であることもあります。だけど実際にはその逆であるパターンも多いです。そんな彼らが見ているのは数字だけです。あなたのことなんか、本当はどうでもいいのです。

排気に酔ったケーデンスもう嫌なこと全部投げ出して

私たちが生きている社会は、はっきり言っておかしいです。
社会に適合できる人たちは経済的にはある程度恵まれます。だけど、それゆえ他者を見下し傲慢になっていく。
社会に適合できない人たちは自身を失い、みじめな気持ちで生きていく。
そんな社会クソくらえだと私は思います。
学生は受験戦争。大人になったらどれだけ会社や社会に認められるかの競争。生まれてから死ぬまで競争ばかり。
今の経済システムの構造がそうゆう社会をつくりあげてるのか、はたまたその逆で、そうゆう社会が今の経済システムを支えているのかはわかりません。
でも、生まれたときから死ぬまで、そんな窮屈な生き方を強要されているように感じます。

これだけ技術が進歩しているなら、本当は労働時間がもっと短くても、私たちが生きていくには十分なはずです。
それなのに、わざわざ必要のないものを欲しいと思わせ買わせる。そうしないと会社が成り立たない。生きていけない。
そんな社会のシステム、そんな社会のあり方、おかしいと思いませんか?
私は思います。

なくした言葉を知りたいなら各駅停車で旅をして

周りの人たちを見ていて思うのは、自分と向き合う時間が圧倒的に足りてないということ。
考えることは、大抵、お金のこと、これから先の人生とくに老後のこと、まわりにどう思われるかなどの世間体など、みんな外側のことばかり考えて生きているように感じます。暇があればスマホを開いたり、行きたくもない飲み会に参加したりと、みんな一人になって考える時間が足りなさすぎます。

もし今、あなたが適応障害や鬱などで休職していたり、離職したりしているならあなたは幸運です。自分と向き合うチャンスです。
どうか自分を責めないでください。どんな理由であれ、今の社会に適応できないのは、人としてまっとうな感覚の持ち主だと、私は思います。
自分と向き合ってみてください。今まで殺してきた自分の心の声を聴いてみてください。
そのとき、自分のなかでどんなにひどい言葉が出てきたとしても大丈夫です。そういう言葉は否定せずに、手書きのノートにでも書いてみましょう。だれにも見せる必要はないし、見せないでください。
そうやって出てきた言葉は、人としてとても大切なものです。それを一つ一つ見つめて、それを否定せずに認め、寄り添ってあげてください。

「涙とともに食べたパンでなければ、人生の本当の味はわからない」
ゲーテの言葉です。
私は、人生の負の部分に共感を示すこの言葉が好きです。

人生いそぐ必要はないです。
落ち込んだり悲しんだりするのも、とても大切な経験だと最近になってわかってきました。そういう人の方が他者に対して優しくなれるし、痛みにも共感できるようになります。
それは心よりも技術に偏重した今の社会では、特に大切なたからものです。

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