何を下品と感じるか
何を下品と感じるかは、人によって異なる。もちろん、「電車の中で化粧をする」とか「くちゃくちゃ音をたててご飯を食べる」とか、「これは下品だ」と世間一般に認知されていることもあるけど、同じ行為でも下品だと思う人もいれば、全然気にならない人もいる、という場合がある。
夫と私は、その辺の感覚はだいたい同じだと思うのだが、やっぱり二十年以上は他人だったわけだから、日々の生活の中で「え?そんなことするの?ちょっと品がないと思うんだけど…」ということもたまにある。
私にとって、「サンダル履きで外出する」ことはちょっと品がないこと。最近はクロックスという、機能的でおしゃれに見えなくもない履物が世間に広まっているが、それでもあれは、私にとっては「ゴム草履」と同じだ。我が家も一人一足ずつは持っているが、あくまでもちょっと庭先に出るときと、川や海に遊びに行くとき用の履物である。近所のスーパーに買い物に行くときでも絶対履かない。ましてや人様の家に出向くとき、実家の門をくぐるときもあり得ない。結婚したばかりの頃、サンダル履きで私の実家に行けば、母が血相を変えて「品がない」と怒ることがわかっていたので、夫にも「外出時のサンダル履きはやめて。必ず靴下と靴を履いて」と通達した。夫は「よく意味がわからない」という感じだったが、結婚して15年もすると価値観が似てくるので、もうサンダル履きで出かけたりはしない。子どもたちにも、小さい頃から「出かけるときは靴下と靴を履く」ことを習慣づけてきた。
他人がどうしようと関係のないことだが、スーパーなどで、全員クロックスで歩いている家族を見かけると、「なんだか品がないな」と感じてしまう。これはもう、感性の問題なので、正しいとか正しくないとかではなく、「私はやらない」「私の家族にもやらないでほしい」ということだ。
逆に私がしたことで、夫に「それは品がないと思う」と否定されてしまったことがある。毎日、前日の残り物や常備菜で、簡単にお弁当を詰めるのだが、最近はますます手抜きになって、おかずが少ないなぁと思ってふりかけを添えたりしていた。最初は小さな小分け袋に入った「大人のふりかけ」。そしてついに、もっと雑になり、自分のお弁当には、小分け袋ですらないふりかけの袋を持って行くようになった。「ゆかり」で有名な三島のふりかけシリーズで、「あかり」という たらこのふりかけがおいしかったので、夫にも勧めてみた。「これもう、袋ごと持って行っていいよ!」すると夫が「職場で弁当を食べるときに、そんな大きなふりかけを出すのは恥ずかしい」と拒否。つまり、夫にとってはそれは「品がない」行為なのだ。
たしかに私も、20代の頃はできなかったと思う。だんだん、自分が若いころには「品がない」と思っていたことを、自分自身がやってしまうようになっているのか。「何を下品と感じるか」は、人によってもちがうし、年を重ねることで変化することもあるらしい。年をとって度胸がついたり、小さなことにこだわらなくなったりするのは良いことだろうけど、品位を落とさないように気を付けなくては、と思ったのだった。