ギリシア語中級への道——『ダフニスとクロエ』をギリシア語原文で読む
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本noteは次のような方々を念頭に書かれています。
本noteの特色は、ギリシア語初級者の学習者を念頭に置き、語学力を上げることを目指している点です。なので、全ての単語をひとつずつ語形分析することはせず(※)、ギリシア語を読むときに「なにを」「どう考えるべきか」の道筋をできる限りわかりやすく示します。思考のプロセスを追うことで、ギリシア語を読むために必要な力がつくことが期待されます。
(※)ギリシア語を読むときにどうしても語形分析できないときにはPerseusというサイトや、AttikosというiPhoneアプリなどを使うと便利です。
ギリシア語のように語形分析が困難な言語を学習する場合、辞書を引けるようになるまでには結構な訓練を必要とします。なので、辞書が引けるようになるために必要な「思考のプロセス」を詳しく記述しました。
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さて、本noteで題材とする『ダフニスとクロエ』は全部で4巻構成になっています。本noteでは第1巻のクロエがダフニスに対する恋<エロース>を自覚し始める場面を取り上げて、ギリシア語の解説をしていきます。
なお、『ダフニスとクロエ』についてのコンパクトで充実した内容をもつ概説書としては、中谷彩一郎『ダフニスとクロエー』の世界像があります。
『ダフニスとクロエ』第1巻14.1
『ダフニスとクロエ』第1巻14.1 解説
↓の解説を読む前に、頭の中でも実際に口に出しても、一度ギリシア語を音読してみましょう。落ち着いてゆっくり読んでみてください。そしてできる限り「こういう意味かな?」と推察してみましょう。
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さて、解説を始めます。
一つ一つの単語を調べる前に、まず文構造を把握するよう努めましょう。μέν…δέの呼応関係が確認できるので、「一方〜、他方…」という文(必ずしもこう訳す必要はありません)になっていることがわかります。
また、μέν などの小辞(particle)の用例を調べるさいには、DennistonのThe Greek Particlesという本が必読書です。
・Νῦν ἐγὼ νοσῶ μέν:
νῦνは「今」という意味の副詞だということは初級文法の教科書などでも登場するので知っているかもしれません(水谷智洋『古典ギリシア語初歩』, 以下「水谷」をお持ちであれば後ろの語彙集をご覧ください。あるいは手持ちの辞書を引いてみてください。辞書をお持ちでない方は、ペーパーバックで割合安価なこちらのLiddell and Scott's Greek-English Lexiconがおすすめです。Liddell and Scottというのはギリシア語辞書の権威なのですが、本家の方は高い(3万くらいする)し情報量が多くて初学者には引きにくいのでおすすめできません。しかしこれはAbridgedバージョンなので情報が絞られてて引きやすいです。最初のうちはこれで慣れるのがいいと思います。
あるいはインターネットでLOGEIONというサイトにいけば無料でギリシア語辞書を引くことができます。νῦνをコピー&ペーストすれば意味がずらっと出てきます。
νοσῶは一つ目の難関です。この形では辞書に載っていないからです。これが動詞であることはなんとなく予想がつくので、こういうῶで終わっている動詞のときには「アレかな?」と推測しなくてはなりません。
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母音融合動詞ですね。なのでこの単語は、νοσάωかνοσέωかνοσόωかな?と思いながら辞書を引くことになります(この単語も水谷語彙集には載っています)。
・τί δὲ ἡ νόσος ἀγνοῶ:
τί を見たら辞書形は τίς だなと導くことは簡単だとおもいますが、τίς には大きく分けて二つの用法があるので、ここではどちらなのか?を考えねばなりません。どの二つか?
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疑問代名詞か不定代名詞です。そして、ここではアクセントを持っているので疑問代名詞であることがわかります(不定代名詞は前接辞, Cf. 水谷§49(b))。しかし、 ἡ νόσος があるので女性形ではないことに訝しるかもしれません。ἀγνοῶはどうでしょう。先ほどと同様に、母音融合動詞です。辞書を引くと "Mostly c. acc"(ほとんどの場合対格と)と書いてあります。しかしここでは "τί ἡ νόσος ([ἐστι], ギリシア語の ἐιμί 動詞はしばしば省略される);"(what is the sickness?)という文を目的語にとっていると考えるべきでしょう。従ってこの τί は中性・単数・主格。女性形じゃなく中性形なのは、「どの病なのか?(τίς νόσος)」を聞いているのではなく、「この病は何?」と聞いているからです。(もちろん、この病こそが「恋<ἔρως>」です)。
このような τί を理解するために以下の文章も参考にしてください。
「人間たちは誰なのか?」(τίνες δὲ οἱ ἄνθρωποι)、「神々とは誰なのか?」(τίνες δὲ οἱ θεοί)ではなく、「人間とは何なのか?」、「神々とは何なのか?」という文なので、中性形の τί が用いられています。
・ἀλγῶ, καὶ ἕλκος οὐκ ἔστι μοι:
ここまできたら ἀλγῶ は説明されずとも辞書を引けるはずです。ἀλγέω「苦しむ」という動詞は ἄλγος, -εος「苦痛」という名詞と併せて覚えておくと便利です。
ἕλκος, -εοςが主語であることは明らかです。ἔστι は ἐιμί 動詞ですね。ちなみに ἐστί は ἐστίν とも綴られます。μοι は先ほど出てきた ἐγώ の与格ですが、この与格は何を意味しているでしょうか。与格は直訳すると「私に(とって)」ということになります。このように、ἐιμί+与格で「〜にとって…が存在する」→「〜には…がある」という意味になります。こういう与格を所有の与格(possessive dative)と言います(Cf. 水谷 §55)。
この所有の与格は日本語話者にはむしろ親しいもので、例えば「私には犬が一匹います」などと言う際、英語だと "There is a dog to me." といった文章は奇妙なものになってしまいますが、ギリシア語だと "ἔστι μοι κύων." というふうに日本語に近しい感覚で言うことができます。
λυποῦμαι, καὶ οὐδὲν τῶν προβάτων ἀπόλωλέ μοι:
λυποῦμαι のように -μαι で終わっているものは中動相あるいは受動相であることを表します。能動相がない動詞(能動相欠如動詞, deponent)ならば、この -μαι という形で辞書に載っています(e.g. γίγνομαι, ἔρχομαι, οἴομαι)。しかし、λυποῦμαι で引いてみてもこの動詞は出てきません。従ってこの動詞は能動相がある動詞であることがわかります。ここからやるべきことは、この λυποῦμαι という形から能動相の形を導くことです。λυπ- の部分は語幹なので、οῦ をどう考えるかが問題になります。この οῦ もまた、母音融合しています。οῦ になるのは ε+ομαι の動詞(e.g. φιλέ+ομαι→φιλοῦμαι, 水谷, p. 180)か ο+ομαι(e.g. δηλό+ομαι→δηλοῦμαι)の動詞なので、λυπέωかな? λυόω, いや, λυπῶ?などと考えながら辞書を引くと λυπέω が見つかります。これが辞書を引く際のコツです。
λυπέω で引いてみると、Pass.(受動相) with fut. Med.(未来の中動相) to be grieved, distressed. と書いてあります。この場合現在形なので受動相であると判断できます。
οὐδὲν τῶν προβάτων ἀπόλωλέ μοι はこれで一文ですが主語はどれでしょう。οὐδὲν τῶν προβάτων のかたまりであることは、οὐδείς+属格で「none of ~」となることから推察できます。なおこのような属格は「部分の属格(partitive genitive)」と言います。πρόβατον が中性なので οὐδὲν という中性形になっています。
ἀπόλωλέ は難しいです。こういう動詞の際には「重要動詞の主要部分表」のようなところから探すのが最初にやることです(Cf. 水谷, p. 194ff)。
根気よくみてみると、ἀπόλλυμι の完了が ἀπολώλεκα, ἀπόλωλα となっていて ἀπόλωλα から ἀπόλωλε を導くことができるのがわかります(しかし、これは難しいのでわからなくても問題ないです。こういうふうに主要な動詞の主要部分は根気よく覚えねばならぬのだということを頭に留めていただきたいと思います)。
ἀπόλλυμι は「滅ぼす」、ἀπόλλυμαι で「滅ぼされる(殺される)」という意味になりますが、ここではそれより弱い意味で「消える」という意味になります。μοι「私にとって」ἀπόλωλε「いなくなる」。
καίομαι, καὶ ἐν σκιᾷ τοσαύτῃ κάθημαι:
なお καίομαι は Perseus で κάομαι となっていますが J. R. Morgan (2004) Longus Daphnis and Chloe, Aris and Phillips Classical Textsのテキストに従って καίομαι で読みます。
καίομαι もまた -μαι なので能動相を導く必要があります。καίω は比較的簡単に出せると思います。καίω「燃やす」の受動相で「燃やされている」という意味(!)になります。
ἐν は与格支配の前置詞なので(前置詞はそれぞれ支配する格が決まっていますので覚えておく必要があります。前置詞がまとまっている表などを参照ください)、σκιά の与格となっています。
τοσαύτῃ は τος+αὕτη と分解することができることがわかりますので、この単語は τος- と指示代名詞 οὗτος, αὕτη, τοῦτο で成り立っているということがわかります。 τοσοῦτος, αύτη, οῦτοと変化します。「それほどまでの〜」という意味です。ここでは影(σκιά)を形容しているので、「これほど大きい」と訳せます。さいきん復刊した松平千秋訳(岩波文庫では「こんなに深い木陰」と訳されています)。
κάθημαι を試しに辞書で引いてみるとこの形で載っているのでこれは能動相欠如動詞(deponent)だということがわかります。καθήμαι ἐν…で sit in…ということになります。
さて、ここまでみてきたところでもう一度これまでの文章を振り返りましょう。
文章が決まったパターンで構成されていることに気づきますでしょうか。比較的わかりやすいと思うので、わからなければもう一度読んでみてください。
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ἀλγῶ, καὶ ἕλκος οὐκ ἔστι μοι
λυποῦμαι, καὶ οὐδὲν τῶν προβάτων ἀπόλωλέ μοι
καίομαι, καὶ ἐν σκιᾷ τοσαύτῃ κάθημαι
A+και+Bという構成になっていることがわかります。意味的には逆接を置きたくなる気がしますが(松平訳はそのように訳しています)、ここは敢えてκαι——並列——にしているんじゃないかと思われます。なのでここでも直訳しておきます。
直訳:
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