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「長崎くんち現状と課題」

1.「くんち」の語源について

「くんち」の語源については、「宮日」あるいは「供日」などの当て字を書き、重陽の節句9月9日の9日が「くんち」になったとする説が一般的とされており(例えば長崎人は3日を”みっか”ではなく”さんち”と言う事もある。)、「くんち」は西九州北部の方言だと考えらる。
実際に長崎の他に、長崎県内では佐世保くんち、平戸くんち等があり、佐賀県でも唐津くんち、有田くんちがよく知られています。(私が住む長崎市戸石町にも「戸石くんち」があり同じ市内でも町ごとにくんちがあり、近年では幼稚園で行う子供くんち等も盛んです。)
従って、「くんち」は諏訪神事だけの名称ではないため、唐津くんちなどと区別する必要上の上から、「長崎くんち」を諏訪神事の名称として統一して使用される。

2.例大祭について

長崎くんちは次の日程で毎年行われる。

10月7日 

・奉納踊りと庭先まわり

奉納踊りを諏訪神社→奉納踊り観覧場→お旅所の順番で行う。そして諏訪神社や御旅所といった本場所での奉納を済ませた後、街に繰り出し、個人宅や商店に出し物を呈上してまわりる「庭先回り」(「庭を打つ」ともいいます。)を行う。
庭先まわりに移ると、町の世話役は山高帽に紋付き袴の正装から、袴を脱ぎ着物の裾を尻からげにして、唐人パッチ姿になる。
唐人パッチは唐船持ち渡りの紗綾(さや)で作った。紗綾とは、表面がなめらかで光沢のある絹織物の一種で、裾さばきがいい。
前を開けず、紐も付けず、腰巻のようにぐっと脇に挟み込むもので、近頃それでは用足しに不便だと、ステテコのような仕立のものが多くなった。
頭は英国製の山高帽ですから、和華蘭ではなく和華英でしょうか。観光客などから見れば珍妙な恰好でしょうが、異国文化の交じり合った長崎らしい風情だといえる。草履は抜けないようにウコンの紐でアド掛けをする。くんちの頃はまだまだ暑く、山高帽は「蒸れますバイ」と脱いでは頭の汗を拭く姿も見られる。

この唐人パッチ姿の帳面方(ちょうめんかた)が「〇〇町です。呈上にあがりました」と個人宅や商店に先ぶれの挨拶をします。
このとき呈上先の名前を書き入れた「呈上札」を先方に渡しす。各町がデザインに趣向を凝らした呈上札には、本踊であれば「踊呈上」、その他「龍踊呈上」「川船呈上」などと書いてある。呈上を受けた個人宅や商店は、裏に住所と個人名や商店名を墨書した「花紙」を用意しておき、帳面方に渡しす。御花(御祝儀)は後ほどお届けに上がります、という約束手形みたいなものである。庭先まわりで効率よく移動していくために、踊町の帳面方や根曳連中は稽古の合間を縫って「庭先調べ」を行い実際にルートを歩いて、呈上の順序を決めていく。

・おくだり

午後から諏訪神社の本宮からお旅所の仮宮まで、諏訪・住吉・森崎の三基の御神輿が下る。(約2km)御神輿を担ぐのは神輿守町(みこしもりちょう)と呼ばれる旧長崎村の各郷の人達である。

10月8日

・奉納踊りと庭先まわり

奉納踊りを八坂神社→奉納踊り観覧場で行い同時に「庭先回り」も行う。

10月9日

・奉納踊りと庭先まわり

奉納踊りをお旅所→諏訪神社で行い同時に「庭先回り」も行う。

・おのぼり

お旅所の仮宮から諏訪神社の本宮へ、三基の御神輿がもどる。県庁坂や諏訪神社の石段を一気に駆け上がるその姿は迫力がある。

3.現状の問題について

長崎くんち維持の為の問題は大きく次の3点があげられる。

3-1.人口現象と踊町数固定問題

長崎市は社会減が人口減に拍車をかけている。総務省の人口移動報告によると、2022年の転出超過は2284人。
全国の市区町村別で3年連続ワースト2位となった。
九州の県庁所在地と比較すると、宮崎市に抜かれ、佐賀市に次いで下から2番目となった。
さらに問題なのは奉納踊りは長崎市内に住人であれば誰でも参加できるものではなく、「踊町組み合わせ」に登録された町の関係者のみが参加できるものである。
長崎市の町数478に対し昭和34年の見直しでは踊町数59町と全体の12%で市内中心部に限られて踊町の中で100所帯に満たない町も多々ある。
人口減問題は市民レベルで解決する物でもないが今後は規定の変更など多くの対策が必要だ。

3-2. 神社宮司と運営委員会対立問題

2020年から3年連続で中止となった長崎市諏訪神社の秋の大祭「長崎くんち」の奉納踊延期は、新型コロナの感染がまん延したことが主な理由とされているが、一方で、諏訪神社では宮司によるセクハラ・パワハラを巡って3件の裁判が起こされ、市民に大きなショックを与えた。
これに対し、宮司は「真実ではない」と行為を否定し、辞任要求は自分を排除したい禰宜2人の働きかけによるものだ、とする文章を公表して反論した。辞任を求める動きはさらに拡大し、氏子代表の常任総代13人が宮司の懲戒手続きを求める意見書を県神社庁に提出した。
事態は宮司の病死により望まない方法での解決に至ったがこうしたハラスメント問題は、本件のみならずカトリック神父3千人が関与した性加害問題など閉ざされた空間に少なからず起りうるものもである。
そのため今後は2度と起らないようなハラスメント対策は早急に考える必要がある。

3-3.「くんち」奉納にかかせない伝統工芸「長崎刺繍後継者問題」

長崎刺繍は、長崎くんちに登場する傘鉾や奉納踊の衣裳・装飾品に組み込まれることによって、 その歩みとともに発展を遂げたと言われる。
このことは、その代表的な作品が、くんちに奉納される傘鉾の垂や衣裳に多く見られることからもわかる。
長崎くんちに登場する代表的な長崎刺繍の作品としては、いずれも長崎市指定有形文化財となっている「桶屋町傘鉾及び十二支 刺繍」の「十二支の垂」、「諏訪町傘鉾 垂及び下絵」のかつての「諏訪法性の兜の飾」に合わせて刺繍を施した「諏訪伝説の垂」、「万屋町傘鉾 垂一式」のうち垂に施された「魚尽し」 がある。
文化財指定のもの以外にも、馬町「傘鉾飾の亀」、西濱町「傘 鉾垂の姑蘇十八景の図」、籠町(本籠町)「傘鉾垂の龍の幕」、 万屋 町「鯨の潮吹き」 船頭衣裳、 さらに、曳き物を奉納する各踊町に も、長崎刺繍を施した川船や唐人船の船頭衣裳が伝えられている。
このうち、万屋町傘鉾の垂「魚尽し」は、平成11年(1999) から古くなった刺繍を順次新調する作 業が進められ、平成25年(2013)の奉納にあたって、すべての刺繍が新しくなった。
手掛けられたの は、長崎刺繍の唯一の継承者である嘉勢照太氏(「長崎刺繍」 技術保持者平成2年3月 県無形文化財認 定)である。
これまで、大黒町 「唐人船」 飾り船頭衣裳 新調、 東古川町「川船」 飾り船頭衣裳復元新調 、榎津町 「川船」 飾り船頭衣裳新調、小川町「傘鉾」垂新調、船大工町「川船」飾り船頭衣裳復元新調、魚の町「川船」飾り船頭衣裳復元新調、籠町「龍踊」宝珠衆衣裳背刺繍を手掛けられた。
このほか、平成14年(2002)には、伝統工芸の継承と人材育成を目的とした長崎伝習所・「長崎刺 繍」再発見塾を開塾し、塾生の指導にあたられている。
ただ現在長崎刺繍の技術を継承しているのは嘉勢先生(現在72才)お一人だ。
刺繍を学ぶ基礎となる日本刺繍を体得することを目的に講習会を開催し、そして「長崎刺繍」の見学や資料づくり、「長崎刺繍」のオリジナル製品を作り出し、長崎歴史文化博物館内にて限定販売を行い、県内外の観光客へも知名度アップ。
長崎歴史文化博物館内においては、伝統工芸スタッフとして、長崎刺繍の楽しさを広めるためのボランティア活動を行っている。
このように多くの活動をされている嘉勢先生であるが現在の年齢を考えるといつ何時体調を崩されると言うことは考えておくべき課題であり早急に取り組む問題である。

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