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「印象派とその周辺における伝統への挑戦」


ジャン=フランソワ・ミレー《落ち葉拾い》

1800年半ばにパリを中心に生まれた文学や美術の芸術様式が写実主義である。

写実主義絵画の考え方は、人々と社会の現実を正面からとらえて、ありのままに描くことで真実にせまり、表現していく事であった。

この頃イギリスで起こった産業革命がヨーロッパ全土に広がり工場労働者が急増すると同時に豊かな市民と貧しい労働者の間に対立を生んでいった。
美術の世界でも、宮廷や貴族の力のあるものだけが絵画を購入し鑑賞する時代から、 一般の市民たちが絵画を鑑賞できる時代へと広がって行く。

1857年のサロンに出品された《落ち穂拾い》は、ミレーの画業の中期を代表する傑作である。

発表当時、保守派の厳しい批判にさらされたが、類似の主題を扱ったジュール・ブルトンの《落ち穂拾いの招集》は1859年のサロンで一等賞を得ている。

この作品が描かれた第二帝政期(1852-70)は、農村が疲弊し、困窮した貧農層が都市のスラム街に流人して問題となった時代である。

ブルトンは巧みに理想化を施して現実をぼかしたが、ミレーの農民たちは美化されず、生々しい表現が保守派に現実を突きつけ、不快感を抱かせた。
農作業の厳しさを身をもって知っていたミレーは、労働を理想化することは拒否したが、農村の自然の美しさを表現することは厭わなかった。

一九世紀後半、ルネサンス以来の西洋絵画の伝統に挑戦しようと、革新的な試みを企てた一人の画家がエドゥアール・マネである。

マネのまわりには彼を慕うモネやルノワールら若い画家が集まり、彼らはのちに「印象派」と呼ばれるグループへと成長していき、一八七四年、このグループが展覧会を開催した。

印象派絵画の特長は、明るく鮮やかな色使い、大胆な筆使い等が上げられるが、中でも特長とされるのが、画家の多くが戸外制作に取り組んだ事である。

又、 印象派画家は絵具を混ぜず多くの種類の色を使って描く方法をとり、この方法で描かれた作品は色が明るく混ざり合って見える効果を引き出した。
そして、どこにでも見られる普通の風景や普通に暮らす人々の姿を描こうと田舎の田園地域に出かけて行き、風景や情景が時間や季節の移ろいの中で見せる印象深い姿を、変化する光の動きや、その質感で捉えようとした。


クロードモネ《積みわら、夏の終わり、朝の効果》

クロードモネ《積みわら、夏の終わり、朝の効果》は同じ題材を数点描いており,1891年の5月に15点の作品が展示された。

モネは数枚のカンヴァスでは光や大気の効果を正確に描きとめることはできないと考えるようになり, 連作はこの考えに従い発展した。

連作には、積み藁を一つだけ描いたものも、二つ描いたもの, 中には大変近接した視点から描かれているために,積み藁の形態が画面の縁で切断されている例も認められる。

作品によっては明瞭でない場合もあるが,どの絵も, 背景には木々や農家を伴った風景が広がっている。

連作が制作された当時, 田園の主題は時勢にかなったものであり、フランスの田舎や農業が持つ価値を強調する思潮と結びついていた。

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