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「ラテンアメリカ文学とポストコロニアル文学」


「ラテンアメリカ文学のブーム」と呼ばれる物語文学の黄金時代がはじまったのは、一九五八年前後の事。カルロス・フエンテスの衝撃的な処女長編 『澄みわたる大地』(一九五八)を端緒に、マリオ・バルガス・ジョサの『都会と犬ども』やフリオ・コルタサルの『石蹴り遊び』(一九六三)といった革新的形式の小説を経て、ガブリエル・ガルシア・マルケス(コロンビア)の『百年の孤独』(一九六七)が現代ラテンアメリカ小説の頂点をきわめた。

ラテンアメリカ文学は魔術的リアリズム(マジックリアリズム)がひとつのキーワードで近代的ヨーロッパ社会の中ではフィクションとしてしか起こりえない事柄がラテンアメリカの現実の中に息づいており、文学作品の中で語られている。その典型的な例として、ガブリエル・ガルシア=マルケスの作品がよく挙げられる。土の壁を食べる少女の話などがあり、これも彼の妹が実際に土壁を食べたという事実がある。土着的な要素の強い中南部に対し、アルゼンチンなど南部の文学は知的で観念的である。その代表的な作者がホルヘ・ルイス・ボルヘスであり、長編にできるようなアイデアを凝縮して多くの短編を書き、次々と新しい世界の姿を垣間見せている。

彼の作品に地図を作る話があるが、どんな地図かというと実物の町と同じ大きさで現実の世界を語るための語り口ではなく、世界がいかなる形にありうるか、形而上学的な可能性を提示してみせる面白い作家である。このように幻想的な要素がラテンアメリカ文学の大きな特徴であり、20~21世紀にかけて、スペイン語圏だけでなく他の言語圏の読者を持つことに至った理由なのではないか。

「ボストコロニアル」は、「のちの」を意味する「ボスト」と「植民地」を意味する「コロニアル」の合成語である。この言葉は「コロニアル時代」と「ポストコロニアル時代」というように独立以前とそれ以後の時期を区分するためにもしばしば用いられてきた。

が、ヨーロッパの大帝国の侵略に始まる歴史のプロセスには、一貫して、同じ性質の問題が認められる観点から「ポストコロニアル」という言葉を、植民地化された時点から現在にいたるまで、帝国主義のプロセスにさらされてきた文化の全体を指す言葉として考えることができこれら対象となるすべての国や地域の文字が、「ポストコロニアル」文学と言える。

アメリカ合衆国の文学も、このカテゴリーのなかに位置づける事ができる。世界の大国としての現在の地位と、この国自身がこれまでかかわってきた新植民地主義活動のために、ポストコロニアル文学としてのアメリカ文学の性格は、まだ一般的な認識を得るにはいたっていない。しかし、アメリカが過去二世紀にわたって、本国の都市的文化の中心とのあいだで展開してきた関係は、ほかのあらゆるポストコロニアル文学のパラダイムとみなすこともできる。

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