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「偉大なるアメリカンミュージック 2」

カントリーミュージック

アメリカ合衆国は、イギリスを初めとしたヨーロッパやアフリカからの移民によって形成された多民族国家だ。

中でも、イギリス(イングランド系、スコットランド系、アイルランド系など)からの移民が、初期のアメリカの政治、経済、文化形成において圧倒的な影響力を持っていたためアメリカ音楽のルーツとしてイギリス音楽は極めて重要な位置を占めている。

イギリスからもたらされた民謡の類は、19世紀の間続いた新天地の開発と発展の中で民衆によって揉まれ、だんだんと変容してアメリカ民謡となって行った。この過程で重要な影響を及ぼしたのが、西部開拓と南北戦争だ。

これらの歴史的なエポックの中で、C&Wと呼ばれる音楽や、フォスターの楽曲を含む南北両軍兵士により歌われた軍歌のようなものが生まれてきた。

このようなアメリカ民謡は、西部開拓の終焉する19世紀末までは各地の民衆の中で折に触れて歌い継がれてきた。しかし、商業音楽のジャンルとして定着するのは1920年代になってからである。

カントリーミュージックの黎明期の輝ける音楽家として、Carter FamilyとJimmie Rodgersが挙げることができる。
前者は、キリスト教の色彩のあるトラデイショナルな味付けの楽曲を、カーターファミリーピッキングと呼ばれる新鮮なギター演奏に乗せて歌って人気を博したのに対し、後者は、ブルースとヨーデルを合体させたブルーヨーデルなる新しい音楽を作り出し、後世、カントリーミュージックの父と称されるようになる。

アメリカ最古のラジオ音楽ショー番組であるグランドオールオープリーが1925年にナッシュビルで始まり、そこからUncle Dave MaconやRoy Acuff、Eddy Arnoldといったスターが誕生。また、1940年代にはBill Monroe、Lester Flatt & Earl ScruggsなどのいたBlue Grass Boysの名を取ってブルーグラスが生まれた。このため、Bill Monroeは「ブルーグラスの父」と呼ばれている。

それ以降、ブルーグラスはカントリーミュージックの主要な位置を占めるようになって行く。その一方で、カントリーミュージックの歴史上最も光り輝く歌手の一人であるHank Williamsが、南西部でホンキートンクなる新しいジャンルを引っ提げて登場した。カントリーミュージックにロックのタネを植え付け、新風を吹き込んだ彼の半生は、映画 ”I saw the light”に描かれている。

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