ファイナルが始まって今思うこと(リーズ国際ピアノコンクール2024)[6]
ファイナルのレパートリー
リーズに国際ピアノコンクールは、ファイナルが始まっています。
前の記事でご紹介した通り、ほぼ古典派までのグループ1、ロマン派以降のグループ2から一曲ずつレパートリーを用意して、審査員団に指定された方を演奏します。
モーツァルトやベートーヴェンの初期のコンチェルトと、ラフマニノフやプロコフィエフのような華やかなコンチェルトで比較される、それも本人たちがそれを選択してというよりは、指定されて、という状況。
そのため、「できればグループ2を指定されたい」と思うピアニストは多いはずです(よほどバロックや古典派が得意な人でなければ)。
初日には、3人のピアニストが演奏しました。
一人目に演奏したのは補欠からの繰り上げ出場となり、見事ファイナルまで進出したイギリスのJulian Trevelyanさんで、選んでいたのはバルトークの3番。もう一つ選んでいたのはモーツァルトの9番「ジュノム」で、彼の場合はそちらでも面白い演奏をしていたのではないかなという印象。自由に自分の音楽を打ち出していくタイプ。
彼だけ演奏順やら諸々でここまで一度もお声をかけることができていないのですが、地元勢ということもあり有力候補として急浮上している感があります。
二人目に演奏したおなじみ台湾のカイミン・チャンさんは、グループ1になりましたが、はっきり「運悪くグループ1になっても…」と言っていました。
そしてそちらが選ばれてしまった場合にも「勝てる可能性があるように、グループ1の中では一番大規模なベートーヴェンの4番を選んでおいた。まだ8月に勉強し終えたばかりで本番で弾いたことのない曲だけど」とのこと。
ダン・タイ・ソン先生、ショパンコンクールのときも意外とレパートリーについて実践的なアドバイスをされている印象だったのですが、今回もそうだったのかもしれませんね。
このコンチェルトの特徴ともいえる冒頭のピアノソロの部分、「一人で弾いているときは静かな気持ちですごくいい感じにいくけど、本番だと緊張してそれどころじゃない」、というとても正直なコメントはこちらから。
今回いつもテンション高めのカイミンくん、ショパンコンクールで会った時とは全然イメージが違ったので、あの時は本当にお腹痛かったんだなと思いました。かわいそうに。
三人目に演奏したのは、イギリスで学ぶ中国のJunyan Chenさん。彼女はグループ2を選ばれたいわばラッキー組ですが、ラフマニノフの4番というなかなか演奏機会のないものをあえてこのコンクールで選曲。
聞いたところ、ご自身にとても近いものを感じる曲なので、普段外されがちなこのレパートリーが入っていてすごく嬉しくて選んだとのこと。
オーケストラの演奏経験が少ない曲をリハ時間の限られたコンクールで選ぶことには多少のリスクがありますが、それでも演奏したいという気持ちが大きかったのでしょう。
彼女は普段からとてもフレンドリーでオープン、はっきりとしたキャラクターですが、それがそのまま音楽にも表れている感じのラフマニノフでした。
ジェンダーギャップへの取り組みのルールの件で…
ところで先にご紹介したとおり、このコンクールではピアノ界のジェンダーバランスの改善への取り組みとして、審査の過程にいろいろな措置が取り入れられています。
これはイギリスという国ならではの意識から生じた試みなのかなと思い、彼女に、あくまで、イギリスでピアニストとして活動しているとそういうことを感じたり、意識を強くしたりする場面が多いのかな?と聞いてみようと話を持ちかけたところ…
こういう答えが返ってきました。
「正直なところ、ネット上のコメントのせいで、昨日は本当に本当に本当に動揺していたんです。
ジェンダーギャップの問題への取り組みによって、結果的に公平ではなくなったと感じている人の意見がたくさん出ているのを見てしまったからです。
でも少なくとも私は、誰かの演奏を良いと思ったときに性別を考慮していることはないし…でもいろいろ考えてしまって。
余計なことは忘れて音楽に集中したかったのに、昨夜は本当に動揺してしまいました。でも集中しよう、みんなそれぞれ自分の意見を言っているだけだ、外の声なんて気にしない、と自分に言い聞かせ続けていました。
音楽業界に身を置いていなければわからないのかもしれませんが、実際にその中にいる身として、私たちはみんな、男性も女性も平等に向かいたいと思っていると感じますし、ほとんどの場面で平等です。でも間違った理解をしている人がたくさんいるのだと思います。
いずれにしても、他人の意見という私がコントロールできないもの、変えることができないものについては、今は何も考えないことにしました。私の仕事は素晴らしい音楽をすることだけです」
Junyanさんが気持ちを切り替える強さを持っている人でよかった。
ジェンダーギャップをなくすために設けたルールのせいで、逆に女性のピアニストが攻撃されたり居心地の悪い思いをすることになるという現象。それで生み出す音楽が邪魔されてしまうなら、悲しいことです。
このルールが設定されている以上、議論は避けられないし、されるべきでもあると思いますが、それが出場しているピアニストを攻撃する方向にむかってしまうと辛いですね。一緒に考えていこうというスタンスでいきたいものです。
聴衆として、審査員のセンスに疑問を呈したくなったりすることもありますが、それでも生産的な方向で議論を進めていきたいものです。難しいけど…
今回のこの件にかぎらず、コンクールをクリーンかつ平等にするためにこれまで歴史の中で数々の試みが行われ、うまくいくものもあれば、そのルールが逆に隠れ蓑になることもあったり、利用する人があらわれたり、さらに今回のように思わぬ影響(というかわりと予想できていたような気もしますが)が出ることもあります。
誰かに何かのタイトルを与え、ビジネスもからんでくるイベントである以上、こういうことが起こるのは人間社会の宿命なのかもしれません。
コンクールに政治がつきものなのは、みんなあきらめて受け入れているところもあるといえるでしょう。本当はあきらめちゃいけないんでしょうけど。
本気で取り組むとどうしても傷つくことが出てきてしまいますが、参加者も見ている人も、この出来事をうまく自分のプラスになるようにとらえ、のりこなし、より良い音楽を生むこと、出会うことにつなげていくか、みたいなことが大事になるのかもしれません。
このnoteもどのくらいの需要があったのだろうと思いながら、一応今思うことを。