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それは腸の囁きから始まる

 何かを書こうと背を丸めると、丸めたが最後、人はたいてい気恥ずかしくてよくわからないものと対峙するハメになる。何について書くにしてもそうだと思うのだが、とりわけ自分の体の中のことについて書くのは気恥ずかしい。そして難しい。自分のことなのにそこで何が起こっているのかよくわからないからだ。書くことでそのわからなさを解きほぐせるわけでもなく、むしろその逆で「わかったような気になる」に行き着くのがせいぜいなのに、なぜ気恥ずかしい思いをしてまで書くのか。そんな命題はひとまず棚上げして、私は私の腸について書くことにした。


 私は腸にちょっとした爆弾を抱えている。その正体はさておき、これが作動するとどうなるかというと、まずはあるかなきかの違和感が意識の奥底に兆す。自ら「腸の囁き」と名付けたこの違和感を、私は完璧に無視する。「気のせい」の一語で片付ける。実際に気のせいであることが多いし、たとえ何らかの変調が起こっているのだとしても、経験上この段階でそれを正すのに一番必要なのは囁きに耳を傾けることではなく、強気で吹き飛ばすことだからだ。いつも通りの生活を続けるうち、放っておけばいつか違和感は萎んで消える。しかし運悪く、放置された違和感が右下っ腹の軽い筋肉痛様のうずきへと育ってしまうこともある。「腸の泣き言」が耳につきはじめる。この時点でも私はまだ「まさかな」とタカをくくろうとするのだが、実はもう後戻りできないことを心のどこかでは悟っていて、「病は気から」信者の仮面の下でひっそりと夕飯を抜く。そんで寝て起きて翌朝には白旗振りながら病院へ——。

 かつて、まだ自分の腸について何も知らなかった私は、ここで夕飯を抜かず病院にも行かなかったせいで、「腸の雄叫び」を大音量で聞かされた。いまから5年ほど前、29歳の夏のことだ。あの鈍くて粘っこい痛み、腹わたがじわじわ燃え腐っていくような熱。何が何だかわからぬまま、布団の上でのたうち回ったものだ。だが人は常に過去に学ぶことができる。今や私は自分に何が必要かを把握している。腸がまだうじうじ泣き言を呟いている段階で、病を鎮める術を心得ている。すなわち絶食と抗生物質。勝つにはこれらしかない。逆にいうとこれらさえあれば、そして初動がよければ確実に勝てるのだ。そのはずだ。


 そろそろ爆弾の正体を明かそう。同じ病にかかった人にはお馴染みの不吉な名称だろう。「憩室」とそれは呼ばれる。大腸の壁面にできる2mm~2cmほどの小部屋のことで、ざっとネット検索すると「風船に似た」「ポケットのような」「こぶ状の」その他いろいろに形容されているが、私が内視鏡検査で自分の腸壁の憩室たちをモニター越しに見た感じでは「こぶ」が一番近いと思う。腸の筋層のけいれんによって生じるといわれているものの、実はその発生原因はいまいちはっきりしないらしい。この謎の小部屋、憩室が大腸内にたくさん生まれてしまった状態を「憩室症」といい、診断は大腸内視鏡検査かバリウム注腸X線検査によって確定する。

 憩室症になったらどうするか?——基本的には何もしなくていい。なぜなら何も起こらないから。私のように30歳手前でポコポコ憩室が生まれてしまった例は稀だそうだが、40歳以降は普通にポコポコできるもので、90歳を超えるとほぼ全員がたくさんの憩室を抱えることになるという。たいていは無害・無症状。だが、時には原因不明の痛みや便通異常、血便などを引き起こすほか、15cmほどにまで成長して破裂するケースもあるとか。また、ここに老廃物が詰まると炎症と感染症が起こる。これが「憩室炎」、私を苦しめた病気の名称である。老廃物が詰まりやすい憩室とそうでない憩室との違いはこれまた不明。暴飲暴食はその一因になるだろうが、ごく健康的に暮らしていたって詰まる時は詰まるのであり、たぶんなんだかよくわからない無数の要因がヘンに重なって、人は憩室炎になるのだろう。当然、私の腸にポコポコ生まれたのは、詰まりやすい方の憩室たちというわけだ。


 2011年夏にはじめて憩室炎と診断されてから、私は2年間で3度入退院を繰り返し、最終的には大腸の憩室多発箇所を手術で切除、のべ約1カ月間の絶食生活を送った。3度目の退院時の主治医との会話をよく覚えている。私が「今回、先生は憩室がポコポコできてる部分をちょん切ってくれたわけですけど、これから先、腸の他のところにまた憩室が生まれないようにするにはどうすればいいのでしょうか?」と尋ねると、彼はこう答えた。

「正直わかりません。とにかくもう金輪際、自分の腸について一切考えないで生活するのがベストですよ。憩室のことなんてすべて忘れなさい」

 そりゃ無理だよ先生、と私は思った。そして事実、無理だった。時は流れて2014年春、私は再び腸の囁きを聞いたのだ。すでに述べたとおり、人は過去に学ぶ。私はそれが泣き言に育つやいさぎよく食を断ち、医師に抗生物質の処方箋をもらうためだけに病院へ足を運び、数日間で事なきをえた。そしてさらに2年後の春、つまりついこの間のこと、またもや私の腸は囁いた。もう、私の腸壁にかつて駆逐したはずの憩室たちがポコポコ生まれていることは疑いようがない。ここにきてようやく私は、この闘いに終わりはないと本当に覚悟した。と同時に、自分の腸について何事かを書いて記録しておきたい、と思うようになった。

 〝何も食べない〟というのがどういうことなのか。〝痛み〟や〝不快感〟とは何なのか。人はいかにして〝病〟と付きあっていくのか。次回以降、そういったよくわからない事々について、沸き上がる気恥ずかしさをなだめつつ考え考え書いていきたい。

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