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「ああもっと読んでいたい」と焦がれる短篇小説――織田作之助「蛍」

*マガジン「読み返したくなる短篇小説」バックナンバー

 時折、とにかく読み返したくなるオダサクの短篇。なかでも一番好きな「蛍」。衝動的に本棚から『織田作之助作品集2』(沖積舎)を取り出して開くや、ソファまで移動する時間すらもどかしく、突っ立ったままこの四六判わずか十数頁の物語を読み切ってしまう。自分の家なのに立ち読み。これが誇張でも捏造でもないということは、素晴らしすぎる冒頭の一節を引けば少しは信じてもらえるだろうか。

 登勢は一人娘である。弟や妹のないのが寂しく、生んで下さいとせがんでも、そのたび母の耳を赧くさせながら、何年かたち十四歳に母は五十一で思いがけず妊った。母はまた赧くなり、そして女の子を生んだがその代り母はとられた。すぐ乳母を雇い入れたところ、折柄乳母はかぜけがあり、それがうつったのか赤児は生れて十日目に死んだ。父親は傷心のあまりそれから半年たたぬうちになくなった。

 まず無駄っぽく連呼される「母」の存在感、たぶん日本文学ならではの主語と述語の自由で緩やかなふらつき、そしてたった5行の間に家族が一人増え三人亡くなって独りぼっちになる主人公。オダサクの妙技はいつも冒頭から冴え渡って読者をぐいと引き込み、「ああオダサクがはじまったな」と涙を流させるようなところがある。その筆頭として「六白金星」の「楢雄は生れつき頭が悪く……」が称賛されることが多いが、楢雄と蠅ももちろんすごくいいけれど個人的には「蛍」が好きだ。

 この冒頭の一節に続くもう一行も引いておきたい。これがまたいい。

 泣けもせずキョトンとしているのを引き取ってくれた彦根の伯父が、お前のように耳の肉のうすい女は総じて不運になり易いものだといったその言葉を、登勢は素直にうなずいて、この時からもう自分のゆくすえというものをいつどんな場合にもあらかじめ諦めて置く習わしがついた。

 こうして、伯父の不吉な予言と登勢自身の「諦め」をベースに、しかし時折「命ある限りの蛍火」のような真剣な情熱にパッと照らされながら、不思議と明るく軽快に登勢の半生が語られていく。その語り口の特徴は第一に、あっちゃこっちゃいったりきたりするということ。試みに各節のはじまりだけを順にみていくと、「ところが」「しかし」「けれど」がとにかく多い。「よかったなあ」の一寸先に「ああだめだ」、「ば、万事休すか」と思いきや「意外と平気やん」、二転三転の揺さぶりのピッチが最初の数ページはとにかく早くて忙しくて笑える。それが徐々に落ち着いていくリズムが気持ちいい。そして第二の特徴は、〝場面〟が極端に少ないということ。喜劇的なやり取り、悲惨な事件、哀れな一幕といろいろあるのだが、ほとんど地の文で「こうだった」「こういうことがあった」と平たく語られるうちに出来事がすっぽり収まっていて、その「こういうこと」がしっかりとした場面として展開することは少ない。当然のことながら一見するとものすごく淡白な感じになる。のにその実、味気ないどころか情感たっぷりに読ませるのだ。サラサラーッと入ってきてジュワァーと染みる――まるで鍋の後の雑炊のようだ。しかもこの場合、「鍋」にあたるものが存在しないので余計にすごい。

 そんな短篇小説「蛍」、一人チビチビお酒を飲みながら読むのがぴったりかもしれない、とふと思った。いや、過去に何度かそうやって読んだ記憶がある。やや頭を柔らかくして感情の振れ幅を広げた状態の身内に、この登勢という女性の生き様はよく響くのだ。泣ける。とにかく読み進めば進むほど、私は登勢が大好きになっていく。そして十数頁目、登勢のすべてを知った気になったあたりで物語の幕は閉じる。「ああもっと読んでいたいのに」という思いを引きずったまま、自然と手はもう次の短篇目指して頁を繰り、次の酒を杯に注いでいる。これぞオダサク・マジック。ぜひ数篇続けて味わいたい。

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