大腸よ思い出せ、これがカレーだ。――孤独のグルメ・憩室炎篇
憩室炎ブログ4回目。バックナンバーは以下のとおり。
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*01 それは腸の囁きから始まる
*02 金竜飛は「食えなかった」が、力石徹は「食わなかった」
*03 「味」との邂逅
■ 町場の孤独と入院の孤独
テレビドラマ版『孤独のグルメ』の人気が根強い。なんともう放送5年目・シーズン5に突入しており、登場した飲食店数は100を超えるという。個人的にはマンガ(1巻)の井之頭五郎の方がより孤独で挑戦的で哀しげで好きだけど、お茶目で嬉しそうな松重豊版もいい。
「さあて何を食うか」と町場に単身佇む人の前には、それがどこだろうとある程度の数の選択肢が転がっている。気分や天候、体調、腹具合、町の様子などいろんな要素に導かれて歩くうちに、彼はそのいずれかに辿り着く。安心安全な馴染みの店を選ぶこともあれば、確信や不安、覚悟、妥協、期待などを抱きながら見知らぬ暖簾をくぐる日もあるだろう。なんにせよ「その食事」は唯一無二で一期一会。できるかぎり楽しくおいしい時間を過ごしたいという人情が、彼の内面に様々なドラマを生み出す。『孤独のグルメ』のおもしろさは、普段は見えないし聞こえない、隣客のそんな孤独な営みを真正面から覗けるところにある。井之頭五郎の挙動を見ながら「うむ、そうきたか」「そりゃ悪手だろ」「ある意味ナイス」などつい自分勝手に呟いてしまうあたり、スポーツ観戦に近いかもしれない。しかも、選ばれしプロフェッショナルたちが鍛錬の成果を発揮して競い合うスポーツと違い、『孤独のグルメ』の世界はテレビの前の私たちにとってごく身近。いうなれば、誰もが自分の「孤独のグルメ」のプロであり、このドラマには、同じフィールドで戦う選手たちの心を惹きつける要素が詰まっているのだ。
さて、このまま井之頭五郎の食事体験における魅惑的な細部を列挙したら楽しそうだけど、ここはあえて憩室炎で入院中の男の食膳について語りたい。限られた空間と時間、傷んだ腸、おさまらない微熱、大部屋病室に漂う病の匂い、不安と苛立ち…。およそ「グルメな楽しみ」とは無縁の場外、そこは選手が戦うべきフィールドではない。うむその通り。実際私自身、約5年前そこにいた私を振り返ると悲しくなる、かわいそうでかわいそうで。だがそんなことをいえば、5年前の私は私で「これはこれで楽しいんだってば」と強がるかもしれない。炎症が散るにつれて日々より固く、よりカラフルになっていく膳上の食べ物たち、それらが弱った体に確実に吸収されエネルギーに変換されていく実感。「忘れたのかあれを、あの復活の感動をおまえは忘れたのか」と怒られるかもしれない。そうだった、あれは確かに感動的だった。
というわけで以下、約5年前の入院日記を紐解き、拙いイラストや写真も引きつつ当時の体験を再構成した「孤独のグルメ・憩室炎篇」をお届けする。たぶん誰にとっても何の参考にもならず共感も得られないだろうが、読者に「入院したくねーな」と日ごろの健康維持に向け気を引き締めてもらう程度の効果はあるかもしれない。
(なお、私は憩室炎絡みで計3度入院しており、以下の記録は1度目と2度目の時の病院食体験をミックスしたものとなる。3度目は手術したので、術後は正直痛くて気持ち悪くて食欲どころじゃなかった)
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■ 第1章:水分可時代
5日間ほどの完全絶食期間が明けると、まずは水分のみ解禁される。1日900mℓと制限されたお茶を、いかに分割して飲むか。考えること・選ぶことといえばそのくらいである。この段階では炎症が収まり切っておらず、全身ひどく衰弱しているし微熱で頭がぼんやりするし口中ネバネバだし、なんというか自分の存在そのものに違和感があって実に居心地が悪い。そして何も食べられない「食事の時間」がとにかく苦痛。カーテンごしに聞こえてくる他人の咀嚼音、茶碗の米をかっこむ音、味噌汁をすする音、喉を鳴らす音、ゲップ、そしてうまそうな匂い——。とにかく、この時間帯に起こるすべての現象が神経に障る。
▲ 周囲が食事してる時は、こうやってパソコンでDVDを見て気を紛らわしていた。が、うまそうな匂いだけはどうやっても防げなかった
▲ 食べたいものをとにかくノートに書きまくった
時にはカーテンの向こうから、夫の世話をしにきたおばさんが「なにそれエビしゅうまい?いいじゃない」「野菜スープ?具がしっかりしてるわね」などいちいち品名と感想を述べ、こちらの想像力を残酷に刺激してきたこともあった。あと食膳を持った看護士がいきなりカーテンをシャッと開けて入ってきて「あ、ここは水分だけか」と呟いて、謝りもせずに去っていった、なんてことも。人は知らず知らずのうちに他人に迷惑をかけて生きているのだな、とあらためて実感した。
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■ 第2章:おもゆ時代
3日間ほどの「水分可」時代を経て、誰も何も持ってきてくれなかった食事の時間に、ついに「おもゆ」が現れる。「おもゆ」とは何か、については前回のブログを参照してほしい。
2回ほどおもゆとお茶のみの食事が繰り返され、早くも「味との邂逅」の感動が薄れ始めた頃、「またどうせおもゆだろ」とタカをくくっていると突然スープや飲むヨーグルトが登場し、食卓がやや活気づく。
▲ ちなみに、二度目の入院の際には、ほとんど何の感動もなかった
もちろんまだすべて液体なのだが、それでも塩以外の味を楽しめるのが嬉しくて、元気が出る。なのに「第一章」で間違えて入ってきた看護士がまたやってくれた。膳を下げるときに「ぜんぶ飲めました?」とか無神経でバカなことを聞いてきたのだ。私は心の中でこう叫んだ。「飲んでんじゃねー、食ってんだよバーカ!これが今のおれの食事なんだよバーカ!」
そして日記帳に、以下のような格言を殴り書いたのだった。
絶食7日目より、食事開始初日の方がつらい。なぜなら前者には「明日から食事が始まる」という希望があるのに対し、後者には「こんなもの食事ではない」という絶望があるからだ。
▲ この時期、お見舞いにきた妻が真横で「チキン竜田弁当」をむさぼり食ったことがあった。あまりにうまそうで気が狂うかと思ったが、文句はいえない。何しろ彼女は妊娠中の身。たいへんな時に間が悪く入院してしまった私が悪いのだ
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■ 第3章:ミンチ時代
このあたりから一気に食事っぽくなる。24時間腕に刺しっぱなしだった点滴の量がだんだんと減り、日に日に身軽になっていくのも嬉しい。上の写真のメニューはおかゆ(かろうじて米粒が確認できるくらいの全粥)、味噌汁、豚ひき肉とにんじんとその他和え、ポテサラ、しゃけフレーク、謎の野菜。見ての通りすべてがミンチ状になっている。ご丁寧にも、味噌汁の具までこまっかいミンチ。「そこまでやらなくても自分でちゃんと噛むってば……」と何度も思った。
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■ 第4章:固形物時代
長い(といっても2日間ほど)ミンチ時代の後、食膳はもう一段階レベルアップする。ついにチキンソテーやハンバーグといった「しっかりした肉」が仲間に加わるのだ。おかゆもお湯に近いものから、堂々おかゆと呼べるくらいの粒を備えたものに。
「味薄いよー醤油かけたいよー」などと贅沢きわまりない悩みを抱えることになったとはいえ、ミンチ時代とは「食べた感」が天と地の違いだ。ただ、この時期には思わぬ罠もあるので気をつけなければならない。
この写真を見てほしい。騙されてはいけない。私もパカッと蓋を開けてこれが現れた瞬間には、不覚にも「チャーハンだ!」と歓声を上げてしまったのだが、その正体はやわらかく炊いた米にカニカマと炒り卵とネギを混ぜ、お椀型に形を整えたものであり、油で炒めてもいないし調味料・香辛料の類も一切用いられていない偽物なのだ。「だったら最初から白米の横にカニカマと炒り卵を添えろ」と私は憤った。だって、チャーハンではないものをわざわざチャーハンに見せかけるメリットって何。まだ当分食べられないチャーハンのことを想像してしまう分、患者は余計な苦しみを強いられるだけじゃないか。いやがらせ以外の何物でもない。
とはいえ、おかゆから白米へとまた一段レベルが上がったのは確かである。退院は近い。
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■ 第5章:奇跡のカレー
そして退院間際に、カレーが出た。このカレーの感動を、私は生涯忘れないだろう。入院中はまずお目にかかれないと覚悟していたカレー。夢にまでみたカレー。カレーを食べることを目標に、退院後もがんばろうと誓ったカレー。しかも朝、看護士から受け取った献立表には書いてなかったのに、なぜか不意打ちで現れたカレー。
▲ パカッと蓋を開けたらカレーだった
▲ 溢れんばかりの喜びが、当時の日記にも
私はカレーを前に正座しておなかをさすりながら、「これからカレーを食べます。なるべくゆっくり食べるので、本調子でないところ悪いが消化の方、もちろんできる範囲でよいのでお願いします」と腸に語りかけた。そして手を合わせ、心をこめてこういった。
「いただきます」
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■ いちおう健康、という幸運
以上が、約5年前の私の病院食体験記の総集編である。3度入院してつくづく思ったのは、自分の入院は「復活」を前提としたものだから相当マシ、ということだ。たとえば2度目の入院時、隣りのベッドの人は喉のガンだった。聞けば、今は一般食を食べているが、これから固形物を飲み込むのが困難になるので、徐々に食事は柔らかく、細かくなり、最終的には流動食と点滴の併用になってしまうという。一方の自分はどんどんおなかの調子が改善され、どんどん食べるのが楽しくなっていくというのに、かわいそうだと思った。また、退院間近にカレーを食べながら、カーテンの向こうには「食べられない誰か」がいて、この自分の咀嚼音に苦しめられているのではないか、と不安になりもした。
思うように食べられないというのは、とてもつらい。私はその「つらさ」のほんの触りの部分を体験しただけであり、それがいつまでも続くつらさを知らない。そのつらさの渦中にいる人のことを想像すると、心が痛む。とりあえず今いちおう健康であるというのは、「さあて何を食うか」と呟けるというのは、もうそれだけで十分恵まれていることなのだ。この幸運と日々の糧への感謝を忘れないためにも、折に触れて自分だけのこの「孤独のグルメ」を振り返りたいものだ。
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