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目指すはアンサンブルの人間関係

所属しているアマチュアオーケストラでは、オーケストラの演奏会のほか、アンサンブルの演奏会がある。
参加は自由で、誰とどの曲をやるかも、団員どうしで声をかけあって決める。メンバーが決まったらそれぞれのチームで練習して本番に持ち寄る、という流れ。
その一環で、モーツァルトのクラリネット五重奏やらない?とお誘いを受けた。

自他ともに認めるアンサンブル好きで、いろんな楽器の人たちと一緒にやっているのだが、弦楽器を弾く人たちの中にぽつんと一人放り込まれたような経験は、今回が初めてだ(弦楽器4人に対して管楽器1人です)。

4:1のアウェーな状態では、練習の合間の雑談なんかも自然と弦楽器についてのネタが多くなる。好きな奏者とか練習方法、合わせ方などなど、私にとっては初めて知ることのほうが多い。
とりあえずニコニコして聞きながら、「もし海外に住むことになって、自分が異邦人だと感じるとき、こんな感覚なんだろうか?」と、ものすごく浅ーーく異文化を体験した気分になっている。
アウェーだが、完全に独りぼっちではない。むしろ「この感覚も新鮮かも」と思える、不思議な感覚だ。


異文化コミュニケーションについて少し齧ったことがあるのだが、文化の違いというのは、属しているコミュニティ間の違いだそうだ。
大きいくくりだと国や人種など、小さいくくりだと学校、職場、出身地・・・なんなら「家」単位でも文化は違うということになる。
育った文化(環境)が違うのだから、一人ひとり違うのも当然のこと。


私は海外経験がほぼゼロに等しく、文字だけの知識だったことが、別のことをやっていて(楽器を吹いていて)偶然「あ、これか」と合点がいった。地味だが印象深いできごとだ。

アマチュアどうしでの議論?では、どの意見が絶対で、どの意見が完全に間違いということはない(はず)。アンサンブルの練習では音を出している時間より、「ここはどう演奏するか」を確認したり、ああだこうだ言って意見をすり合わせたりする時間のほうが長いと感じることすらある。
でも、それがアンサンブルの醍醐味でもある。たとえ音楽上の意見が対立しても、最後は人としてリスペクトし合えれば、意外と丸く収まるものだ。

やっていることがマニアックなだけで、アンサンブルの基本姿勢は普段の人づきあいとまったく同じ。
相手の考えをハナから否定することなく受け止め、自分の考えも丁寧に伝える。いろんな場面で、そう心がけたいと思う。

と、希望も含めて書いているのは、普段の人間関係でモヤモヤしたり、そのモヤモヤを引きずるのも しょっちゅうだからこそ。
人との「違い」を楽しめる境地に至るには、まだまだ人生経験という名の修行が必要である。

近いうち、お茶会のような雰囲気のコンサートを企画したいと思っています。もしサポートいただけたら、その運営費用に充てさせていただきます。