評論家になりがち
多くのサラリーマンに共通するかも知れないが、加齢とともに、そうなりがちな自分がいる。イヤだ、キライだ、と思いながらも、そっちの方が気楽なことが見え隠れして、私を誘惑する。
この空気感とか、雰囲気とかは何が原因だろうか。テレビのコメンテーターにみんながなってないか。YouTubeの、ニュースの受売りになってないか。底の浅い一般人の評論なんて、何の意味もない。それが分かっていても、何かしら評論したがる。
一方で、「しょうがない」という魔法の言葉がある。これは日本特有の「あいまいさ」を醸し出す。海外ではあまり見られないことだ。この言葉の危険性は認識されている。しかしながら、心地よい言葉であることも間違いない。
私は、「評論家」になって、「しょうがない」で終わらせることを辞めたいと思う。飲み会の場で、そういった会話はまだあるだろう。楽しい会話の中で腰を折らない程度にしたい。それ以外では、自己の責任において判断して、発言したい。たとえ間違っていても。
新型コロナウイルスはキライだ。コイツに踊らされるのもイヤだ。一方で、人間の心理の怖さ、世間の脆さも感じる。
いい加減、日常に戻ろうではないか。
震災で亡くなった人 15,899人(2019年12月10日時点)
コロナで亡くなった人 9人(2020年3月10日時点)
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