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ずっと考えてた答えが列王記にあった①

権威に従う、っていうことが、長いこと、よくわからなかった。
いやもちろん言葉の意味はわかるのだけれど、
実際に職場で、上司や先輩の元で働くとなって、

例えば上司の意見と自分のそれが食い違ったときや、
上司とそのまた上司の指示が違うとき等々、
どうするのが正解なんだろう?と思う場面が山ほど存在する。

そして困ったことに、
そういう時、私は自分の立場をわきまえず行動してしまっていることが多いようなのだ。
ようなのだ、というのは、自分ではそのつもりはないが、周りの反応を見るにそうらしい、ということである。


そんなわけで、聖書の言う「権威に従う」「仕える」人になりたい、
けど、それは具体的にどうあることか?
というのが、ここ数年わたしのテーマのひとつだった。

そんな私に、今朝のデイリーブレッド
(デボーションガイド。聖書の箇所を1箇所と、それにまつわるコラム?が一日1ページ読めるようになっている)
はあまりに身につまされる内容だった。

ネット上でも無料で読めるものなので、一部引用させていただきます。全文読みたい方は、「デイリーブレッド」で検索して読んでみてくださいね。

「おいしいおかゆ」
ジョセリンの屋台で一番人気はおかゆです。食感が滑らかになるようによくかき混ぜて作ります。ある日、常連客に「味が違う。食感がなめらかでない」と言われて驚きました。その日は、新しく雇った見習いの人に任せてみたのです。話を聞いて子細が分かりました。見習いは言いました。「レシピのように長くかき混ぜませんでした。ごま油も多めに加えました。家ではいつもこうしています。その方がおいしいと思います」。彼女はレシピを無視して、自分のやり方で調理したのです。


神の指示をこのように扱うことが時々あります。聖書が示す神の命令に完全に従うのではなく、自分の意見に沿って自分のやり方で進めてしまうのです。

2024年9月14日のデイリーブレッドより

うわあ痛たたた、、、

身に覚えがありすぎる(ジョセリンの立場としても見習いの立場としても)、、

飲食関係の職場で働いているので、こういうことは本当〜〜によくある。こういうことの連続と言ってもいい。

ただ、モヤモヤが胸に残る。
この場合、どうすることが正解だったのだろう?
見習いは、自分のやり方を殺して、ただ黙ってジョセリンのレシピの通りに従うべきだったのか?

むしろ、見習いの持っている経験やスキルが、ジョセリンの屋台に新しい良い影響を与えていく可能性だってあるのではないか。

そんなことを考えながら、この日の聖書箇所を開いた。

するとこれが、めちゃめちゃ面白い(個人的に)発見に満ちていたのである!

長くなりそうなので、ここで一度切ります。
最後までちゃんと書きあげられますように…。

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