岡田将生研究㉙「虎に翼」航一の魅力と6つのハードル

 2024年前期NHK朝ドラ「虎に翼」は、女性初の裁判官となった主人公の人生とともに「人権」について正面から向き合い、原爆裁判や尊属殺裁判など重厚な問題を扱った社会派ドラマであると同時にエンターテイメント性も兼ね備え、好評のうちに最終回を迎えた。岡田将生は当作品で、主人公寅子(伊藤沙莉)の2番目の夫星航一(正確には事実婚)を演じ、連日ネットを賑わわせた。朝ドラの相手役と言えば、主人公と恋に落ち、主人公を陰で支える美味しい役、であるはずが、さすがは異色の名作朝ドラ、一筋縄では行かず、数々の困難に立ち向かいながらあらゆる側面でドラマ全体を支える難役であった。

☆ハードル1 異物感をたたえながら場になじむ
 初登場は第14週。既にドラマが視聴者の心をつかみ、名作の呼び声が高まっていたころ、満を持しての登場だ。初代最高裁判官の息子のエリート裁判官と聞けば、視聴者はどんなにカッコいい役かと期待してしまう。ところが第一声は、廊下に突っ立って寅子を見て「なるほど」とつぶやくだけ。寅子を品定めするような目で見つめ、10秒も15秒も長い間を取る会話は、リズムが狂い居心地が悪い。「やりづらい」というナレーションが最後に入るので、そこまでの演技でぎくしゃくとした空気を十分表現しなければいけない。明らかにここまで登場して来なかった種類のわかりにくい人物だ。朝ドラは、他のドラマとは別格にSNSでの反応が大きく、初登場で沸かせられるか?は相当重要な勝負どころ。こんなに感じが悪いのに、ネットは「何この異物感」「クセが強い」「嫌な奴?」といった声とともに「イケメン」「顔がいい」「カッコいい」と大盛り上がりで、視聴者の興味をおおいに引き付け初関門は無事クリア。視聴者に難なく受け入れられた。

☆ハードル2 「なるほど」
 次の難関は航一の口癖「なるほど」。しかも口数の少ない航一の「なるほど」は、その後に言葉が続かない。さてどうする。寅子の「はて」と対極にあるこの航一の口癖は、受容の意味合いを持つ。一歩間違えれば、平坦で、感じの悪いだけの人になり下がりかねないが、岡田は「なるほど」という言葉の持つ受容が、「共感」「反発」「喜び」「悲しみ」「絶望」「ひらめき」など様々な感情とともにあることを言い方ひとつで表現した。時にはゆっくりかみしめるように、ある時は少し強めに、または呟くように。その巧みで豊かな表現が、航一という人物に奥行きを持たせた。岡田はきっと、この「なるほど」はどう言おうか、どう表現しようか、楽しんで演じたに違いない。次はどんな「なるほど」が来るのか?と視聴者をワクワクさせる程、「なるほど」という台詞を自分の味方につけた。

☆ハードル3 新潟編のけん引
 新潟編では、寅子の仕事の上司として、新潟に住む先輩として寅子を導くとともに、自らの秘密を打ち明け、ロマンスの相手にもなる。物語を大きく動かすいくつもの役割が課せられた。めっちゃ大変。見どころ満載。
法廷では裁判官としてビシッと決めたかと思うと、寅子と若い入倉(岡部ひろき)、意見の合わない2人の間で微笑みをたたえながら話を聞き、重要な局面で「合議制」や「朝鮮人大虐殺の歴史」についてさらりと語る。相変わらず口数は少ないが、明らかに寅子へ好意を持っている素振りを隠そうとせず、ミステリアスなエリート裁判官とのギャップがチャーミングと話題を呼んだ。寅子のちょっとした異変に気づき「夕べ泣きましたか?」のパワーワードを発し、人差し指を口元に立てての「秘密です」で視聴者を虜にし、胸を打つ「総力戦研究所」の苦しみの告白、雪が降りしきる中での慟哭で、航一さんファンを増殖させた。

☆ハードル4 優三さん
 これで一気に寅子とのロマンスが発展するかと思いきや、大きな壁が立ちはだかる。優三さん(仲野太賀)。何よりも寅子の幸せを願った亡き夫との高潔な思い出に勝てるはずがない。寅子だけでなく視聴者の中にも心優しい優三さんは生きている。航一との距離が近づこうとするたびに、飾ってある写真やお守りが目に留まり、優三さんの影が邪魔をする。(「読まなければならない書類があって」と内心は寅子を心配して休日に寅子宅を訪れる93話は岡田と伊藤の繊細な演技が切ない神回)ただでさえ強敵なのに、新たな手紙まで出てきて寅子を泣かせ視聴者を泣かせ「絶対に優三さんを忘れさせません」という強い圧さえ感じる。この物語では、優三と航一は同列でなくてはならないようなのだ。制作側の意図はわかるが、これは難しい。寅子だけでなく視聴者にも、「優三と航一どちらがいいか」ではなく、「どっちもいいよね」と思ってもらおうと欲深い。勝つよりも負けるよりも高いハードルは、既にこの世にいない優三ではなく生きている航一に託されている。結果を言えば、伝説の95話、廊下で誓った「永遠を誓わないだらしがない愛」でお互いの亡き伴侶を思いながら2人の恋は成就し、ぎこちないキスでネットは沸騰。優三の影は、その後もことあるごとに登場し、最終回直前では幽霊のように現れて航一とも対面したかのように描かれる。
 岡田と仲野は「ゆとりですがなにか」などの共演もあり、もともと仲が良く、撮影に入る前に偶然お互いが「虎に翼」に出演することを知り、「何役?」「夫」「俺も!」!!!となったエピソードを岡田が明かしており、こうした微笑ましい逸話も視聴者が好意的に受け止める後押しをした。クランクアップ後、航一と優三が抱き合うオフショットがXに投稿されると瞬く間に9.4万ものいいねがつき(インスタグラムのピース写真は11.4万いいね)、これは寅子&航一のラストショット(6.1万いいね)よりも多い。特大大成功と言えるのではないか?優三を演じた仲野太賀、航一を演じた岡田将生、どちらも他を排するのでなく、自らの役を魅力的に演じきった何よりの証拠ではないだろうか。このパワーバランスがどちらかに少しでも傾いていたなら、「虎に翼」はおそらくここまでの支持を得られていないだろう。

☆ハードル5 容姿へのバッシング
 「顔が良すぎる」「スタイルが良すぎる」「こんなカッコいい人がこの時代にいるはずがない」嘘みたいだが、大真面目にこれが正しいとばかりに理不尽なコメントをし続ける人たちがいた。朝ドラとは「自分が気に入らないと思ったことをただ発信したい」だけの濃いファンが付いている枠で、その余地があるからこそ高視聴率を維持している。続いて「髪型がおかしい」「あの時代はみんな七三分け」という髪型へのクレーム。確かにそれが標準でも、全員が全員違わず同じ髪型であったわけじゃないのに。航一は、寅子との出会いをきっかけに徐々に心を開いていく役柄で、岡田はインタビューで「閉じていた性格がだんだん前向きになって行くことで、今の表情が見えない髪型がオールバックになるかもしれない」(ステラnet)と語っているが、一般視聴者には髪型が心情の変化を表しているとは伝わりにくかった。さらに「若く見える」「老けない」という声。髪の白髪もシミも徐々に増え、演技も年月の経過を表現できているのに、これらの声が止むことはなかった。他のキャストにも同様の「老けない」という声は多少はあったものの、ネット記事になるのは知名度のある岡田で、一身に請け負った。それでもバッシングが人気を上回る事態にならなかったのは、航一という役の魅力や人となりの一貫性が揺らぐことが無かったから。世間の強い風当たりに耐え得る不器用で真面目でチャーミングな人物像に仕立て上げた岡田の実力に他ならない。最終話、90歳くらいの老いた航一。見事な老けメイクと老人そのものの所作や台詞回しは、わずか数分でアンチを黙らせ、岡田の演技は絶賛された。見事なまでの大逆転。岡田を信頼して最後まで沈黙を貫き、世間の度肝を抜いた制作陣も天晴れ。

☆ハードル6 シリアスとコメディ
 本作は、最後まで「原爆裁判」に「尊属殺重罰規定」と難しく重いテーマを裁判で扱った。故に、重苦しくなり過ぎないために、ところどころ息抜き的に笑いのあるシーンが必要であった。例えば猪爪家の花江ちゃん(森田望智)は、出て来るだけで画面が明るく楽しくなる役柄で作品を支えた。一方星家は、猪爪家に比べてどこか暗い。終盤に向けて徐々に明るさも出てくるが、インテリアも重厚で軽やかさは皆無。子どもたちとの関係など複雑な重苦しさは、徐々に解消されていったが、寅子の明るさだけではカバーしきれない部分を、エプロン姿の航一さん、カレーライス♫を歌わされる航一さん、娘の彼氏に慌てふためく航一さん、挙句の果てにはちちんぷいぷいをやり損なう航一さん、など可愛らしい一面でお茶の間を沸かせ、星家のSNS話題提供要員、コメディ担当まで任された。父親の威厳はどこ行った?と思われるが、暗い部屋でウィスキーを飲む航一さんの物憂げな横顔もこの上なく素敵だった。
 後半の職場での山場は、何と言っても125話、桂場vs航一バトルからの膝枕であろう。最高裁長官の桂場(松山ケンイチ)に最高裁調査官である航一が珍しく激高し啖呵を切ったシーンは、後に松山が自身のXで「いやーこの演技は鳥肌立ちましたねー。圧が凄かったすよ」と語っている。普通なら、この渾身の訴えで「尊属殺重罰規定」に関する書類が受理されて一件落着となりそうなものなのに、そうはいかないのが「虎に翼」。両鼻から鼻血を出して倒れ、桂場に介抱されて膝枕、ここに寅ちゃん現る!というヒロインポジまで用意されていたのだ。この最高裁長官室での一幕は、芸達者な3人の名優によってシリアスとコメディが絶妙な塩梅で繰り広げられる名シーンとなっている。

 航一ひとりを掘り下げてもこれだけの厚みがあり、同様に他の登場人物にもそれぞれのドラマが用意されていたお化け朝ドラ「虎に翼」。本作の主軸は寅子を中心とした女子部の群像劇であり、寅子や女子部の周囲に上手くベテラン俳優を配して、個性豊かな面々が作品を底上げしている。そんな中で航一は、寅子に出会って2人の関係、家族の関係を成熟させながら、女子部の活躍からは一歩離れたところで、けれど寅子には一番近い立ち位置で作品を支えた。岡田同様シリアスでもコメディでも自在にこなす伊藤との息は、どのシーンにおいてもピッタリ。エリート裁判官としての知的な雰囲気と、人として変化を受け入れるある種の純粋さ繊細さ、これらを兼ね備え、中堅俳優として若手フォローの役割も十分に果たせる俳優として、課せられたハードルを軽やかに超えて、岡田将生は本作で十分すぎる存在感と新たな魅力を発揮した。当たり役がまたひとつ増えた。
 

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