婚活を始められないわたしの話 8
なりたいもの
こう見えて(どう見えて)書くことが好きだ。書かなくてはいけないと思っている。だってそれ以外私には何もないから。
最近はそのことで生活がおろそかになって、帰りの電車に乗りながら、ああ、夜は何を食べよう、早く済むものが良いな、と考えていた。
それでも、キッチンでわたしはカップ麺を手に取れなかった。
「ちゃんと栄養取りなさいよ」という母の声が内在化している。
随分かわいがられて育った。母は今でも私のことを面と向かってかわいいかわいいと言う。私にとっても――一人暮らしを始めてから、思ったより自立して生きてはいるけれど――やっぱり母の愛情は、人生の規範であり、帰る場所になっている。
母に可愛がられた私を悲惨な目に遭わせるわけにはいかないのだ。可哀想な貧しいご飯など食べさせてはいけない。忙しくても、美味しくてそれなりに栄養の取れるご飯を食べさせないといけない。
夕ご飯はかくして、ぶりと高菜で作ったフレーク、ゆで卵、カニカマ、大根にねぎのたっぷり載ったうどんになった(カップラーメンと大差ないと言ってはいけない)。
なぜ結婚したいのだろう、と思う。
どう考えても、一人で何も持たずに、自由の幻想を抱きながら、ふらふら心をさまよわせるのが性に合っているのに。
永遠に一人でいたい。他人の温度に触れたくない。静寂の中で眠りたい。 これほどまで結婚したくないと思いながら、どうして婚活をしなくてはと思っているのだろう。
多分、わたしは母になりたいのだ。
母がわたしを愛したように、自分も誰かに愛をつなげなければと思うのだ。
母の結婚は――まあわたしには今でも父がいて、父と母はまだ夫婦なのだけど――大変幸せな恋愛結婚とかでは、なかった。はっきり申し上げて、わたしのASD的傾向はほぼそっくり父譲りだ。そんな父との毎日で、わたしにも母にもストレスが溜まっていた。父のことは父のことで、私は一応ちゃんと愛しているつもりなのだけど。
母は「たまたまあなたは良い子だった。でも人生をやり直せるなら、私はもう結婚はしないし子供も持たないと思う」という。だから、母親になりたいという願いは、母のためというわけではない。
母の言う通り、生まれてくる子供を愛せず、母子ともに不幸になる可能性だっていくらでもある。
それでも、わたしはわたしの育った家庭と同じような、帰る場所を作りたい。そして母に、わたしは大丈夫だよ、と言いたいのだ。
誰だってそうなのかもしれないけれど、わたしの生来の、暴力的でアナーキーで冷たさを好む性質と、育った環境によって獲得した、穏当で良識的で柔弱な性質は、正反対の方を向いている気がしている。
生来の性質は壊れたような人生を突き進んで、最後は孤独に陶酔しながら冬の海に身を投げたいと切望している。後天的な性質は、家庭を持って人を愛しながら人生を続けたいと、母を安心させるような幸せな人生を送りたいと思っている。誰だってそうなのかもしれないけれど。
これまでも、矛盾を矛盾と思わず、わたしはそういう自分自身を呑みこんできた。体内の二項対立は稀に激しいスパークを起こして奇異なアイディアの源となるけれど、基本的には薄め合って、わたしという凡庸な人間を作り上げている。まあ、薄め合って凡庸な人間にならなければ、こうして堅実な職に就くことはできなかったはずだ。
だけど、凡庸でも、平凡でも、それは本当の意味での「真ん中」ではない。どちらからも引っ張られるから結局どちらにも行けないだけだ。どちらかに偏ろうとすれば、抑え込まれた方の自我が耐えられなくなって爆発する(そして多分わたしは、暴力側が人よりちょっと強い)。
誰だってそうなのだろうか?それならどうしてみんな結婚するのだろう?木っ端微塵になって爆発しないのだろうか?それとも、みんなはもともとちゃんと、「穏当な」方が強いのだろうか?
わたしはどうしたらいいのだろう。
今日も振出しに戻る。
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