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父のこと①

《康芝院奏彩直歓清居士》。

父の戒名。

11月9日の朝。
元気だった父が突然倒れ、
ほんの1時間後にはこの世を去った。
突然のことすぎて、まだ全然理解が追いつかない。

土曜日の朝。
息子は習い事、夫は通院。
一人でのんびりと家事をしていたところ、
外出先の夫から電話がかかってきた。

夫「お兄ちゃんから電話かかってきてない?」
私「えーっと・・・あ、ほんまや、着信あるわ。
 気付かなかったー」
夫「落ち着いて聞いてな?

 お義父さんが、今朝亡くなったって」

え?どういうこと??
全然わからない。
慌てて兄にかけ直す。

「ダメだった・・・間に合わなかった・・・」

その涙声を聞いて、ようやく理解した。
本当に亡くなったらしい。
あまりの衝撃で嗚咽が漏れたけれど、まだ「悲しい」の感情ではなかった。

混乱したまま、飛行機の手配とバスの時刻チェック、タクシーの手配。
岩手は寒いらしい。冬の服装が必要だ。
それなのに、具体的に何を持てばいいか全然わからないぐらいには、頭がぐちゃぐちゃ。

夜、岩手県にある実家に到着。

仏間に父は寝ていた。
「なにー?寝てるだけやん!」
思わずそう言いたくなるほど、
私の知っているそのまんまの父の顔。

それなのに、もう冷たくて。
信じられない。信じられなさ過ぎる。

「えーーー嘘みたい。信じられない」
涙は溢れるけれど、それしか言えなかった。

最期のときのことを母が教えてくれた。

いつも通りに朝ごはんを食べて、
たくさん実をつけている外の柿の木を見に行ったという。
中学校で美術の外部講師をしていた父は、市内で開催されている《市民芸術祭 小中学生作品展》を見に行く予定にしていたんだって。

「10分くらいですぐ帰る」なんて言う父に
「もっとゆっくり見てきたらいいじゃないの」
なんて言ってたらしい。

それからすぐ、居間の定位置に座っている父から変な呼吸音が聞こえてきて、苦しそうにしているのが見えた。
慌てて「お父さん!」と声をかけて、横たわらせる。
何度か心臓マッサージをして、すぐに119へ電話。
救急車が来るまでの間、電話越しに誘導されながら絶えず心臓マッサージ。
到着した救急隊員とバトンタッチし、AED使用。
それから病院に向かうまでの間、心臓マッサージと停車してのAEDを繰り返す。
病院に到着。
それから30分足らずで母は呼ばれ、もう心臓は止まり、自発呼吸もなく、助からないことを聞かされたと言う。
「急性心筋梗塞」、それが病名。

母はどれだけ驚き、うろたえ、衝撃を受けただろうか。
それを思うとまた、涙が出た。

でもまた反対に、
母の知らないところで倒れ、気付いたら・・・という状況ではなく、異変の起こった瞬間から手を尽くせたことは、良かったのかもしれない。とも思った。

ー補足ー
岩手県の実家には、父と母の二人暮らし。
兄の家族は埼玉県に暮らしており、兄の長男(26歳)には先日子どもがうまれたばかり。父にとってのひ孫。命のバトンだね。
私の家族/夫と息子(11歳)は奈良県に暮らしています。

→②に続く

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