父のこと③
葬儀までの3日間。
父の報せを聞いたという近所の方々が、次々に顔を見に寄ってくださった。
あまりにも「そのままの父」すぎて、みんな顔を見ては私と同じ反応をする。
嘘みたい。信じられない。早すぎるでしょう。
そうなんだよ、信じられないんだよ。
だから、死人然とさせるのはやめてほしい。
顔に白い布なんてかけないでよ。
(思わず「え、それかけなきゃダメなの?」って兄に聞いたな)
納棺の日。
納棺師さんが美しい所作で、父を死人に仕立てていくのが悲しくて仕方なかった。
白い死装束なんか着せたくない。
草履なんて履かせないで。
白い団子なんて、味がなくて美味しくないから持たせなくていーじゃん。
どんどん「死人」になっていくのに耐えられなくて、涙が止まらない。
実際、父は母に生前、「白い死装束なんか着たくない」と言っていたらしい。
母も葬儀屋さんにゴルフウェアを着せられないか一応聞いてみたらしいけど(母グッジョブ)、
「儀式ですから」と断られたんだって。
父、ごめんよ。
父は、自分の死に強いこだわりを持っていた。
常々母に「80歳までは生きない」と言い、
実際75歳で旅立った。
何の有言実行やねん。
また、生前のうちに「お別れの言葉」を録画しておくから、葬儀ではそれを流してほしい。
喪主の挨拶はいらない、何て喪主孝行!とか言っていたらしいが、それは間に合わず。
「葬儀ではジャズを流してほしい」
それだけは叶えてあげられた。
死装束とお別れの言葉は叶わなかったけれど。
父のデスクに、メモが残されていた。
「生はいつから始まるのか?
細胞ができたとき?脳ができたとき?
心臓が動き始めたとき?」
「死はいつなのか?
心臓が止まったとき?
肉体がなくなったとき?」
少なくとも、私の中の父は死んでいない。
あ、そうそう。
母に「まきちゃん(って母のことを呼んでる)は自分の葬儀にやってほしいこととか、こう送ってほしいとかある?」って聞いたら、
秒で「何にもない」って返ってきて、笑ってしまった。
父の几帳面でこだわりの強いところと、
母の朗らかで大雑把なところ。
正反対で成り立っているのが、我が家だった。
父と母の、夕方の16時になると晩酌を始める流儀(?)にならい、集まった私たちも夕方から飲み始める。もちろん、棺の前に父の分のグラスも置いて。
納棺を終えた夜、すでに棺の上には、出棺の際に入れたいものを集めていた。
ゴルフウェア、帽子、ゴルフのグローブ、ティー、息子が小さい時に作ってくれた小さな木製のゴルフクラブ。
そして棺の前で始まる、パター対決!笑
父のパター練習セットを棺の前に持ってきて、飲みながらギャーギャー言いながら遊んだ。
棺の上に用意した帽子やグローブ、老眼鏡も身につけて、「おじいちゃんの恩恵を受けられるんじゃね?」とか言って。
(それが冒頭の写真である)
父も混ざりたかっただろうな。
「下手だなー、どれ、貸してみろ」とか言って。
コツを教えてくれたりして。
私たちらしい弔い方。
→④に続く
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