父のこと②
私にとっての父は、「完璧な人」だった。
曲がりなりにも起業していると、何度も遭遇する「完璧」という言葉。
そもそも「完璧」の概念って人によって違うし、
その虚像を追い求めるのは苦しいだけであって
他ならぬ自分を否定することにつながったりする。
「完璧ってなに?」って話である。
それでも敢えて言うけれど、
父は完璧な人だった。
勉学、スポーツ、芸術、音楽、
そして紳士的な人格。
どれを取っても秀でていた。
若い時は怖いもの知らず。
先輩だろうと、曲がったことが嫌いな父は食ってかかる。
当然目立つし煙たがられるが、相手を黙らせるだけの武器(度胸なり成績なり)は持ち合わせていた、らしい。
会社勤めをしていたときは
まぁまぁの若さで役員に登り詰め
(でもあっさり辞めてた印象あるけど)
近年で言うと、
前述の通り中学校の外部美術講師をしていたり
地域の子ども園の理事を、何年も無償で!!やっていたり
趣味のゴルフにおいては、近隣の愛好家を集めて大会を開いたり。
各方面で活動をしていた。
父は子どもの頃から、お祖父さんに
「紳士であれ」
と厳しく躾けられていたらしい。
だからか、私は
父が感情的に怒鳴っているところを聞いたこともなければ、悪口、貶めるような発言も一切聞いたことがない。
「できる自分」がデフォルトであるが故の
厳しめのジャッジは、まぁあったけれど。笑
寡黙で厳格な父だけれど、子どもの頃に私が父に叱られた記憶はない。
兄の行いを見て無意識に要領を得ていた部分はあると思うが、その兄曰く、「私に甘すぎる」。
小学生の頃、忘れ物をすると
学校の公衆電話から家に電話し、車で通勤する父に途中で届けてもらったことが何度もあったけれど、怒られたことはなかった。
「気をつけろよ」くらい。
母には「そんなこと頼まないで、先生に怒られなさい」って叱られたなぁ笑
18歳で親元を離れ、私がゴスペルを始めると
帰省の折には音楽の話をたくさんするようになった。
父は若い頃から大のジャズ好きで。
ラジオのパーソナリティとして、ジャズの番組を持っていたこともあるらしい。
私が5歳から習って弾いていたエレクトーンは父のものだったし、スピーカーは自作。
レコードやCDは山のようにあり、一枚一枚にラベルを貼り、リストを作って管理していた。
もはや図書館。
最近では、家にジャズ好きさんを呼んで
これまた大好きなコーヒーと共に「ジャズを聴く会」を開いていたらしい。
そして、兄の息子たちが大人になり、ゴルフを始めたのはとても嬉しいことだったと思う。
埼玉に住む彼らは、父とゴルフをするために岩手に行っていたんだって。
大好きなゴルフを孫とできるなんて、幸せでしかないよね。
ジャズ、コーヒー、ゴルフ、絵画。
どんなカッコいい大人やねん。
自慢の、尊敬する父だった。
→③に続く
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