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作曲で自分を知る
幼少期からピアノをはじめいくつか楽器の経験はあるけれど、まさか自分の人生で作曲をしたくなる日がくるとは思ってもいなかった。
作曲なんてプロや専門家がすることで、素人の自分がするという発想がなかった。
そんな感じだったので、突然作曲をしたくなっていざピアノと五線紙を前にしても、自分の中からどんな音楽が出てくるのか全く想像もつかなかった。
星の夜
夕凪(ゆうなぎ)
天青(てんせい)
月白(げっぱく)
The First Snowfall(初雪)
緑雨(りょくう)
December
Ambling(ぶら散歩)・・・
これらは作った曲(全部インスト)につけたタイトルの一部。
自分は風景や自然、空とか星とか天気とか季節とか色とか、そういうことに心を寄せているんだなと、曲をつくるたびに知っていった。
きれいに響く和音に喜びを感じて、気持ちに適ったメロディーを紡げた瞬間が心地よくて、次の音を探すことにとても集中が深まる。
これが「満たされる」という心境なのか・・と、何度も思うようになった。
自分から出てくるものや自分がつくるものは、自分の中にあったものであろうし、何かの影響だったとしても、一旦自分というフィルターを通して外に出てくる。
だからそこには、どうしても自分の要素が含まれる。
これまでたくさんのジャンルの、いろんな音楽を聴いてきたし、弾いてきた。
クラシック、J-POP、映画音楽、洋楽、ジャズ、ロック、アニソン・・。
それらすべての要素が自分の要素として形を変えて出てきてもよさそうなのに、実際作ってみるとそうでもなく、結構偏っているのが面白いなと、最近思っている。
例えばたくさんのジャンルの、たくさんの著者の本を読んだとしても、自分で文章を書くときに出てくる言葉や文体は、自分の本質と近しい著者からの影響を多分に受けているのではないかなと思う。
音楽も同じなのではなかろうか。
たくさん聴いてきたけれど、あの音楽が私の中に沁みて残っていて、今私の中から形を変えて出てきたんだなと知ることで、翻って自分がどういう雰囲気を持った人間なのかが感じられたりする。
会社で働いていると、自分はひとまず脇に置いておいて・・ということがほとんどで、うっかりすると自分が何をしたいのかさえ分からなくなってしまいそうにもなる。
今は作曲することによって、自分を知って自分を実感することができる気がして、だからどこか留守になりがちな自分が「満たされる」感じがするのかもしれない。