〈109〉子ども達の困った言動は子ども達に問いかける
暴言や指図、約束の反故、片付けしない、擦り付け、嘘つき、行儀の悪さなどなどなどなど…
色々な子ども達が同じ空間にいて、共に何かをしようとすると、毎日必ず何かが起きます。
伝えても伝えても、身に付けることが難しく、もうお手上げ状態。
支援員が困る以前に、一緒に過ごす子ども達がちゃんと本当に困っているのだから、手だては考えなければ。
当たり前ではありますが、低学年であるほど自由奔放な振る舞いになります。
大人に言われるより上の学年の子に言われた方が聞き入れやすい子もいるし、もちろんそうでない子もいます。
人の迷惑になっている言動について、
例えば卑猥な言葉の繰り返しや暴言、ルール違反、食事のマナー、片付けなど
その都度の声かけでどうにもなっていかない場合に、どうすればいいのか。
一対一で解決するのは困難なのではないか。
困った言動を繰り返す個人への対応の他に、環境面からのアプローチも必要なのではないか。
と、徐々に考えるようになり、最近は個人の問題を全体の問題として捉えるようにしています。
全体に向けて、
「こういう時はどうしたらいいと思う?」
「どうしたらこの時間にみんなでこれできる?」
「これってやって良いことだった?」
と、繰り返しフィードバックするのです。
そうすると、子ども達からアイディアや嗜め、意見が出ます。
みんなで考える機会を増やすと、困った言動があった際に、支援員が声をかける前に「こういう時はこうだよ」「それは良くないよ」などと子ども同士で声かけをする姿が見られるようになります。
支援員はそれを"指摘"ではなく"合意形成"のステップになるよう助言して支えます。
なぜそうする必要があるのかも伝えます。
これを繰り返すと、困った言動をする子ども自身が、その言動の前に気付けるようになったり、してしまったとしても、周囲の声かけで言動をやめることができるようになったりします。
それをまた、支援員は肯定する言葉をかけます。
当人には「よく気付けたね」、声かけした子どもには「よい声かけだったね」と。
このようなスモールステップを年単位で重ねます。
1年生の頃困った言動を繰り返し、手に負えなかった子どもが、4年生になる頃には下の学年の子どもに人としての善悪を教えてあげる、なんて場面が見られるようになるのです。
こういう成長が、まさに学童保育の役割なんだと感動します。
時間かかりすぎと思わなくもないですが、心の成長は10歳くらいからとも言いますから、納得ですよね。