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〈129〉福祉って、権利のための戦いばかり

ずっと。

ずーっと。

毎日、毎年。

大人は児童福祉という言葉を簡単に使いながら、大人のための福祉を展開しますよね。

本質を問うても、理念を教えても、倫理観でぶつかっても、ちっとも同じ土俵で話し合わない。

その言葉、子どものための言葉じゃない。

その仕組み、子どものためじゃなくて親のためになっている。

子どもの"今"だけ良ければよくて、"人生"を見ていない。

そんなことばっかり。

学校や発達支援センターと連携しようとしても、

個人情報だから

組織が違うから

「こっちの島荒らすんじゃねーよ」

そんなことばっかり。


奮闘して、例え牛歩でも、進歩していければよいのに、全然。

子どもの権利への無知、無関心。

それだけならまだ救いようがあるかもしれない。

「我々は子ども達のために十分やっている」

「おたくらより子ども達のことはよく知っている」

やっている気になっている大人の厄介さ足るや…


最近思います。

学童保育は児童福祉なんだろ。

だったら親支援や必要機関の紹介や連携、親子面談は学童保育が担えよ。

学童から学校に情報あげて何とかしてもらうんじゃなくて、学校から学童に情報もらって、学童の情報と合わせて発達支援センターに連絡とるとか、スクールカウンセラーに連絡とるとか、親支援や不登校支援、発達特性の相談先や受診機関、行政福祉課、児童相談所に「こんなことで困ってるご家族いるんですけど」ってやれよ。

声を大きくして「子どもの発達ってね」「子どもの権利ってね」「発達特性ってね」「こういう時はこういう相談先へ」「こういう本読んでみては」「今度発達についての講演会がね」「この地域の不登校支援してくれるのはね」「居場所はね」って言えよ。

なんで出来ないんだ。

なんで邪魔するんだ。


こういう動きをする方が邪魔者なのはなぜだ。

自分が間違っているのか?

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