フィーリングが合うとか、男と女とか、女の子をひっかけるやりかたとか、ぜんぜんわからない陰キャによる恋の話
大学4年生の夏、仕送りが止められてぼくはバイトを増やした
大学4年生の夏、新宿のとある飲食店でバイトをはじめた。
暇だったからというのもあるけれども、それ以上にお金がなかったのだ。
母は一人っ子の私を溺愛気味だったので、大学生活の仕送りはもともと潤沢だった。
しかし母親が亡くなってから、折り合いの悪い父に仕送りが止められて、バイトを増やさざるを得なかったというわけだ。
まあ、父は父なりに考えがあって止めたのだろうからそれは別に良い。働かざるもの食うべかざる、の理屈でいえば正当性は彼にある。
私がバイト先にその飲食店を選んだ理由は新規オープンで人間関係をイチからつくれると思ったから。
誰と誰が付き合って、誰と誰が仲が悪い、みたいなべちゃつく世界はごめんだったのだ。
バイトは楽しかった。いいやつ、やなやつ、いろいろいたけれども想定の範囲内だった。
そしてオープン1週間後、彼女はやってきた。
「pontaさんがわかってくれる人でよかった」と言って彼女が笑った
彼女は、私のこれまで出会ったどんな女の子よりも目が大きくて、色が白い。
当時人気だったとあるアイドルに似ているなと思った。
バイト先のほかの男たちが美人だ美人だと騒いでいたけれども、私は当時、母の喪中で、そんな気分ではなく軽くひとごとだった。
美人と自分がどうなるとも思えなかったし。
そんな私はホールで彼女と同じエリアを担当することになった。
彼女は店の入り口で、喫煙席か禁煙席かを聞いて案内する役目で、私は店の奥から水を席までもっていく役目だ。
さっそく入店したお客さんに話しかけた彼女は、私にむかって小さく、タバコを吸うしぐさをした。もちろん手にはなにも持っていない、エアタバコ。
それを見た私は小さくうなずいて、喫煙席へ足を向けた。出会ったばかりのふたりだったけれども、良いコンビネーションだ。
その後、すれ違った彼女は「pontaさんがわかってくれる人でよかった」と言って、たばこを吸うしぐさを小さくもう一度して、笑った。
フィーリングが合うとか、男と女とか、恋がはじまるきっかけとか、陰キャなのでそういうのに詳しいほうではないけれど、たばこを吸うしぐさは僕にとってはそういうやつだった。
そして冬になり、僕らは付き合うことになった。
父が群馬から石川まで僕の死体を迎えにくるのが嫌だった
私はその後、出版社に就職し、営業部門に配属されて地方出張が多くなった。
石川か福井か忘れたけれども北陸の夜だったと思う。一杯飲んでホテルに歩いて帰る闇の中、ふとあまりに静かで暗いことに気づいて無性な寂しさ、心細さに襲われた。
そして母の死で、自分の生死に敏感になっていた当時の私は「ここで死んだら、父が群馬から死体を迎えにくるのかな」と思った。
父と縁の薄かった私はとたんに自分が根無し草に思え、「東京から彼女が迎えにきてほしい」と切実になった。
そして「結婚したいな」とつぶやいた。
しばらくして、彼女は私の妻になった。
比べるけれど、比べるべくもない
3年たって妊娠し、子供が産まれた。
女の子だった。
娘は私に、それ以上に亡くなった母にそっくりだった。不思議なことに、娘が産まれたその日から、私は母の夢を見て泣きながら目覚めることがなくなった。
その後も2人の子供に恵まれ、全員女の子の3姉妹になった。
2人目はハンディキャップがあって、ほかの児童と同じ時間で同じことをするのが難しい。
送り迎えも、いろんな世話も時間が2倍かかる。
恋人同士だったころは言い争いひとつしなかった妻とも、よくケンカをするようになった。
30代になって出入りするようになったスマホゲームのコミュニティには、若い人、独身の人がたくさんいて、その身軽さにうらやましくもなる。
本業はともかくこうした趣味の世界も、自分はもっと、子供がいなければもっとできるのにと思ったこともある。
しかしそれは一瞬だ。
真っ暗闇でたったひとり、ホテルに向かったあの自由な寂しさ、しんみりした心細さを思い出せば、自分にとってどちらが良いかは言うまでもない。
回転寿司をたべた、帰り道
そして昨日、家族で回転寿司を食べた、その帰り道。
気の迷いで100年ぶりに奥様の手を握ったら娘3人が「スキャンダルだ!!」と冷やかしてきて。
結局、家族5人で手を繋いで帰った。
自分の、別にたいしたことない人生の輝いた日々があるとしたら、それは「いつか」ではなくたぶん「今」なんだろうなと。
繋がれた手を見ながら思った。
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