美しい彼という嵐に、心をさらわれてしまっている
3月下旬に美しい彼に出会ってから、心の中でずっと美しい彼という衝撃が吹き荒れて止まないんですね。
四六時中美しい彼のことを考えて、
私 恋に落ちてる 苦しいくらい
もう隠せない 熱いときめき
と心の中の福山雅治が歌いだしてしまったので、今回はひらきよについて思うことをつらつらと語ります。
主に原作についてのお話で、ネタバレをばちばちにかまし、かつ個人的な見解を述べますので、ご留意ください。
清居が究極の天邪鬼に見える
清居は私にとって、やっぱ強気な受けが好きだわ、素直になるくらいなら死んだほうがましだと言わんばかりの根性がたまらない、てか実際に死ねまで言うなんてこんな受け見たことない、強気受け界の一番星!もう最高!と眠っていた本来の自分を取り戻させてくれるほど、本当に愛おしい存在です。
一方で、大事な場面で思ってることと逆のことを言ったり、逆の行動を取ったり、本当に素直になれない人だなあ、素直になると蛙になる呪いでもかけられてるのかなあと不憫に思うこともあるのです。
美しい彼で、清居が舞台終わりに裏口で待っていた平良に思いをぶちまけるシーン。
清居は、
って言うんですが、ここが
「(俺はおまえのことこんなに想ってるのに)平良のくせにふざけんな。おまえなんか死ね!おまえのことが好きなんだ!」
という愛の告白に見えて。
悩ましい彼で、数か月ぶりに会った平良が家まで送ってくれた時は、
わ!清居、自分の気持ち正直に言えた!
と喜んだのも束の間、すぐに弱い自分を見せたことを後悔して
もう私の清居天邪鬼変換機では
「おまえのこと愛してる。ずっと会いたかった。」
ということになっています。
なんでこんなに天邪鬼なんだろう(笑)
ここで清居が素直に平良に言いたいことを言えると、こじれずすれ違わないのでそれはもうひらきよではないのですが、なぜこんなにも平良に対して素直になれないのか。
一つは清居自身も散々言ってますが、母親に一番に愛してもらえなかったことがトラウマになっているからだと思います。
無条件に愛をくれるはずの母親が、弟妹を優先して自分が望む愛をくれなかった。
母親ですら自分が一番じゃなかったのに、他人である平良が自分を一番に想って、ずっと変わらずに愛してくれる保証なんてどこにもない。
母親に自分の気持ちを伝えて拒絶されたように、平良に素直な気持ちを伝えて拒絶された日には、トラウマ刺激されて自分が自分ではなくなるくらいの恐怖を抱いてるんじゃないでしょうか。
清居が心の奥底で平良が自分を拒絶するかもという意識があるのは、平良が電話番号を変えて連絡を絶った事実があるせいですね。
自分しかいない、自分だけが好きだと散々言ってきて、母親にはもらえなかった愛を完璧な形で差し出してきたと思ったら、拒絶された。
トラウマ再び。
平良は最後の最後で自分の思い通りにならない、と清居自身言ってるように平良がどう転ぶか分からなくて、不安な気持ちが消えないんだと思います。
電話番号を変えた平良、本当に罪深い。
アヒル隊長に切って捨てられなかったことに感謝しよう。
もう一つは、平良が本当の意味で清居を愛する覚悟ができていないからだと思います。
平良の愛に、ホーム感がないというか、繋がれてなくて宙に放り出されてる感を感じるのは私だけでしょうか。
と言っているように、確かに平良は清居を神様のようにキングのように崇め奉って、自分の人生を捧げて尽くしてくれるんだけども、清居を独り占めしたい、ずっと自分だけのものであってほしいって気持ちを表には出してこないんですね。
平良も独占欲はあって自覚もしてるんです。(美しい彼「月齢14」参照)
けど必死に見て見ぬふりをして、欲を押し殺している。
独占欲を表に出して、清居は自分だけのものだ、自分がずっと清居と一緒にいるんだという覚悟ができていない。
なぜ覚悟ができないかというと、自分に自信がないからということにつながってくるのですが、その覚悟のなさが、清居を不安にさせる。
清居は完全に愛されている自信が持てなくて安心できなくて、素直になれないんだと思います。
ほんとに清居は、こんなずっっっとうじうじうじうじして、人生決められない、挑戦もためらう、清居を愛する覚悟もできない平良を一途に想って、、、(平良のことも大好きです(笑))
もう涙出てくるわ。
平良、頼むからしっかりしておくれ。
けどこんな平良が、すべてを投げ出して自分を守ってくれる姿や、たまにむっちゃ漢になる瞬間がたまんないんでしょうね。(こちらもたまんないです、大好きです)
ギャップがすごい。
外見も普段イケてなくてちゃんとすればかっこよかったり、平良はGAP系男子なのかもしれない。
うつかれのお話はシリーズ通して、
清居の天邪鬼出現。
↓ (すれ違い勃発)
平良が追いかけてくる。
↓
仲直り。
の流れがあります。
この「平良が追いかけてくる」という、平良が折れて清居を求める、というところが重要なポイントだと思ってます。
どこのこと言うてはりますの?ってなるといけないので、標準語で補足します。
補足必要ない方は読み飛ばしてください。
「美しい彼」
清居は告白するつもりで平良の家に行ったのに、平良は恋人になるつもりがないと分かり家から出ていく。
平良が清居の舞台終わりに裏口で待ち伏せ。
お互いの気持ちを確認し合った。
「憎らしい彼」
平良の撮りたいものはない発言により、清居が一緒にいたくないと言ったことが原因で、2人は別居することに。
別居後、清居の現場に追っかけとして姿を見せた平良。
その姿を見て、清居は平良に連絡を取ろうとする。
「悩ましい彼」
数か月ぶりに会えた平良のそっけない態度に、「大嫌い、二度と会わない」と一発お見舞いして去ろうとする。
覚醒した平良に腕を掴まれ、家まで連れてかれる。
仲直り。
清居はそんなつもりないかもしれないんですけど、結果的に平良を突き放して自分を追ってくるか試すような行動をしてるんですね。
それもこれも、平良に愛されてるか自信がないから、ほんとに自分が必要なのか不安だから。
小さい子がぎゃーってなって動かなくなって、お母さん困り果てる、2人硬直状態の図ってあるじゃないですか。
あれは、子供がすごいわがままを言っても、お母さんが自分のこと置いていかないか、見捨てないか試して愛を確認するためだって見たことがあります。
清居は、小さい子供なのかなって。
どうしても平良に愛されてるか不安だから、突き放して、平良が追いかけて求めてきて、愛されていることを確認して、やっと安心できるんではないでしょうか。
小さい子供ってことを掘り下げて考えてみると、清居は平良を愛することで過去の自分を救おうとしてる気がします。
最初、清居は平良に求められて愛されることで、お母さんに愛されなかった過去の自分を救おうとしてるのかなと思ったんです。
けどなんかしっくりこない。
なぜかというと、私は過去の自分を救うのは、他人(=平良)じゃなくて自分(=清居)にしかできないと思っていて。
自分が失敗したり、ミスしたことって他人がいくらフォローしてくれても、失敗したという心のしこりみたいなものって拭えないじゃないですか。
気持ちを晴らすためには、自分で失敗を塗り替えて、次に成功を掴んでいくしかないと思うんです。
だから、清居は他人の平良に愛されることで過去の自分を救おうとしているのではない。
清居は、過去お母さんに愛してもらえなかったと同時に、自分も素直にお母さんに甘えられなかった、真っすぐに愛せなかった。
少しづつですが、平良に甘えて、平良を真っすぐに愛することで、今の自分で過去の自分を救おうとしているんじゃないかと思うのです。
この過去の自分を救うっていうのが、美しい彼の中で大事なテーマだと感じています。
平良にとっての幸せとは
ひらきよのことずっと考えてたら、自然とback numberの「瞬き」を口ずさんでたんですね。
なんで今「瞬き」歌ってるんだろうって思った時に、あ、これ平良のことなんでは!?と目から鱗。
(自分の脳髄にまで美しい彼が入り込んでる気がして、喜びと共にちょっと怖い)
献身的な愛を教えてくれる、素晴らしい曲です。(MVはこちら)
幸せとは、2人で一緒に過ごす楽しい時間ではなく、大切な人が苦しい時辛い時に寄り添えることだ、と。
幸せって、おいしいものが出てきたときに「俺もういいから、食べていいよ」って食べ物譲ってくれることだと信じてた。(ジャイアンか)
平良が清居を守る展開(城田殴打事件、設楽の乱、舞台挨拶事変)は、うつかれシリーズの鉄板ですよね。
平良も美しい彼の中でこう言っています。
平良にとって、清居と過ごす時間はもちろん幸せだけれども、それよりも何よりも一番幸せを感じるのは、清居がピンチの時に身を挺して守ることで自分が救われる瞬間なんじゃないでしょうか。
ずっと虐げられてきたけど、自分のことでは抵抗できなかった平良が清居という絶対的な存在を得て、唯一無二の清居を守るためであれば、初めて抵抗できた。
平良は清居を守ることで、ずっと抑圧されてきた過去の自分を救っているんだと思います。
好きな人が幸せでいればそれでいいって、究極の愛ですよね。
平良は平良で清居のこと究極の形で愛してるんですよね。
ただ、2人の求める幸せが違う。
清居は好きな人とふれあって、普通の恋人同士みたいに過ごしたいという一般的な幸せを追い求めているのに対し、平良は自分が側にいなくてもいいから、清居が清居であり続けることが一番の幸せ。
あぁぁぁぁぁぁこの人たち求める幸せまですれ違ってるよ、、と頭抱えたい気持ちにさせてくれます。
すれ違いついでに、守られたとき清居は「平良、危険を顧みずに俺のこと守ってくれた!俺の清居に手出すなってことだよね!俺ってすごく愛されてる!」って捉えてると思うんですよ。
けど平良的には「夜空に輝く星である清居を何人たりとも穢すことは許されない。清居に害を与える者、処する。」だと思っていて。
清居は、平良の独占欲に喜びを感じてるのに対し、おそらく平良はその意識なくて、神でありキングである清居になにしてくれとんじゃわれ!の気持ち100%かと。
2人の考えてることは違うのに、守って守られて絆深まって結果オーライになるという(笑)
終わりよければすべてよし、を地でいく2人がもう大好き。
終わりに
私は、美しい彼は平良と清居が愛し愛されることで過去の自分を救い、未来に向かって成長していく物語だと思ってるんですね。
ここに、初めて好きになった人に自分の全てを捧げるという純愛要素と、変わらずに変わっていくひらきよの関係性の尊さと、言語化できない素晴らしさがミックスされていて。
考えた結果、私の中で凪良先生は、全知全能の神ゼウスの生まれ変わりということで一旦落ち着きました。
ブータンかネパールかその辺りの国の方は(曖昧が過ぎる)、神様にお祈りするとき健康でいることを一番に祈るそうです。
健康であればなんでもできる、という考えによるもの。
健康だから美しい彼を読むことができる、健康だから何度も映画館に足を運ぶことができる、健康だから美しい彼について書くことができる。
今度神社でお参りするとき、家族の健康と恐れながら凪良先生の健康をお祈りしようと思うんですね。
凪良先生が健やかに過ごせるよう、続編を待たせていただける感謝も込めて。
(ゼウスの生まれ変わりって言いながら日本の神社にお参りするんかい、というご指摘はそっとポッケにしまっていただけると助かります)
次は
・悩ましい彼「きみに捧ぐ」がむっちゃ感動する件
・もし悩ましい彼を映像化するとしたら、どうするんだろうと思う部分
について語りたいなと思っています。今のところは。