ワールドカップ
「昭和40年代男」である俺達の時代は、「少年のスポーツ」と言えば、野球一択だった。
(文脈には全く関係無いが、「キング・オブ・スポーツ」といえばプロレスである。異論は認めない。)
放課後、イカつく曲がったドロップ・ハンドルの自転車の後部座席横に針金で無理矢理設置した四角いカゴに、バットとグローブを無造作に積みこんで、原っぱに集まり野球を開始する。
我が町のローカル・ルールで、読売新聞社が配った巨人軍の帽子と巨人軍のバッグを持ってるやつがスタメンと決まっていた。
俺は野球が不得手だった。特に守備が苦手で、フライが全く取れなかった。
しかも、俺は赤ヘル(広島カープ)のファンだった。俺の育った北関東で赤ヘルなんか応援してるのは学校中探しても俺1人だけで、完全な変人扱いだった。マイノリティである(クロマティでは無い)。
もし俺がザック・デ・ラ・ロッチャだったなら、めちゃくちゃ険しい顔で、巨人ファンをディスりまくる曲を激しくラップしていたであろう。
俺は脚力だけはやたらめったら早かったので、たまにお情けで代走で試合に出してもらえた。とはいえ我が町のローカル・ルールでは、盗塁もスライディングもタッチアップもスクイズも禁止されていた。俺は、エンドランだけに命をかけていた。
小学四年の時、隣町の小学校にサッカー少年団ができた。サッカーなら他の奴らには負けないはずだと、意を決して入団を決めた。
入団して驚いた。隣町の小学校の男子ほぼ全員がサッカー少年団に入団していたのだ。この小学校では野球が主流ではないのか?(後に、コーチであるカリスマ的な先生の啓蒙による所が大きい事を知る)。
当然、荒っぽい上級生もたくさんいる訳で、他校から来た俺は格好のイジメのターゲットになった。俺が履いていたサッカースパイクも最悪だった。それは、アディダスのワールドカップというスパイクだった。
スポーツ店で一目惚れした。黒のカンガルー革にギザギザのついたアディダスの白い三本ライン。そいつはスポーツ店の棚で、神々しい輝きを放っていた。しかも、スパイクの裏のポイントが取り外しできる仕様になっている。購入するとマラドーナのデッカいポスターがついてくるのも魅力だった。
「普通の小学生はこっちだけどね」
スポーツ店のオッサンは、アシックスのサッカースパイクの方をニヤニヤしながら指差した。ワールドカップの値段がエライ高い事は、子供ながらにすぐ分かった。
お袋は、
「好きな方を選んでいいよ」
と言った。どうしても欲しくてたまらなくて、ワールドカップの方を選んでしまった。
「君、サッカー上手くならなきゃね〜」
とスポーツ店のオッサンは言った。子供ながらに余計な一言だなとカチンときた。今でも覚えているぐらい、ハートに刺きささっていて、今だに取れないでいる。オッさん、言葉の暴力には気をつけろよ。
で、このワールドカップが少年達の憧れのサッカーシューズである事は、すぐに分かった。俺がワールドカップを履いてグランドに登場すると、ヤンチャな上級生軍団にすぐに取り囲まれた。
「お前、それ買ったのかよ」
「俺のと交換しろ」
「四年のくせに生意気だぞ」
「お前の親父、社長?」
などなど。心無い言葉の暴力の石つぶて。
その日から、少年団の練習前にはアシックス軍団に毎回毎回俺のワールドカップをいじられるのが恒例になった。そのうちに、上級生だけではなく同級生、下級生までもが面白がってイジリに参加してきた。
ついに
「ちょっと履かせろよ」
と言ってくる図々しいガキが出てきて、俺のワールドカップは知らないガキ共の汚い足で次々に汚されていった。まるで最愛の彼女が目の前で犯されている姿を何も出来ずにただ眺めているようで、俺は本当に泣きたくなった。
当然、練習でもパスが全く回ってこず、声も出せず、心なしかプレーも縮こまった。
やがて、隣町のサッカー少年団を辞めた。
6年生になると、キャプテン翼ブームもあって、我が町にもようやくサッカー少年団ができた。
自分は、隣町のサッカー少年団を辞めた後も、学校の休み時間と放課後にサッカーの練習を重ねていた。いつしか、一緒に練習するサッカー仲間もできていた。今度は同じ小学校の気心の知れた仲間達とチームを組める事にワクワクした。残念ながらワールドカップは、足の成長によりとうに履けなくなっていた。
「新しいサッカーシューズを買おうか?」
と母は言ったが、俺は拒否した。理由は、友達の中に経済的な理由でジャガー・シグマという学校指定の通学靴で戦っている奴がいたからだ。
新しいチームでは順調だった。俺は、自慢の脚力を活かして、左のウイングのポジションにおさまった。みんな活発に声も出ていて、非常に良いチームだった。練習試合も連戦連勝で、大きな手応えを感じていた。
冬に、近隣地区の全小学校が集まる最初で最後のサッカー大会があった。かつて所属していた隣町の小学校は、いまやかなりの強豪になっていた。チーム設立初年度だった俺達のチームは、隣町のAチームとはなぜか対戦させてもらえず、Bチームとの対戦となった。Bチームの中には、あの時、俺の最愛のワールドカップを犯した奴も多くいた。俺は燃えさかる復讐の炎を静かに抑えた。
キックオフの笛が鳴ると、俺は勢いよく跳び出した。我がチームが得意としている奇襲攻撃だ。センターフォワードから狙いすましたロングパスが出る。ロングパスを受けた俺は、敢えて大きくボールを前に蹴り出し、そのボールに自ら追いつく。学校の校庭で何度も何度も練習したディフェンスを置き去りにする動きだ。キーパーと一対一。俺の足を包んでいるのは、白いジャガー・シグマだ。憎しみを込めた右足一閃、ボールはゴールネットに突き刺さった。
試合は、8対0で勝利。俺は2ゴール、2アシストを記録した。試合後、隣町のコーチから
「おい、ウチにいた時とは別人のような動きだな」
と声をかけられた。俺はニヤリと微笑んで、チームメイトと肩を組んだ。
あれから何年経ったかな。現在、息子がサッカー少年団でプレーしている。スパイクは、俺が選んだアディダスのプレデターだ。息子はクリロナのナイキを欲しがったが、親父の強権を発動し、ジダンやベッカムが愛用したプレデターに決めた。
調べてみると、ワールドカップはドイツでは未だに販売されているようだ。日本だと、現在、日本代表のコーチの前田遼一さんが愛用していたようだ。
息子にワールドカップをいずれ履かせてみるのも面白いなと、ニヤリと微笑んで息子の肩を抱いた。
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