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酒と泪と男と酒と氷と水と
思い返せば、酒に憧れ続けた10代さ。
趣味は?という問いに「酒」と即答した20代。
ジャック・ダニエルのボトルを枕に寝転んだあの夜。
夜明けにしょっぱいアスファルトの表面を舐めながら、あれ?俺、本当に酒好きなんだろうか?と目が霞んだ30代。
ああ、あっちの方から俺の方を見てた「誘う女」の方じゃなくて、やけに色白の便器を抱きながら、「俺、酒、好きじゃねぇわ」と吐き捨てた40代。
いつの間にかすっかり酒が嫌いになっちまったのさ。「旨い」という感覚がもう無いんだ。酒なんて顔も見たくねえよ。酒だけに避けてるって?うまくもなんともねえな。
やがて酒は、俺の元からフェードアウトしていった。酒からの連絡が途絶え、こっちからも連絡しねえもんだから、いつの間にかお互いの記憶から消去されちまった。自然消滅ってやつさ。アルコールだけに蒸発だって?うまくもなんともねえな。
ある日、上司から酒に誘われた。
「いや、スミマセン。俺、酒は、しばらくやってないんで」
「何言ってんだよ。今日は大事な祝い事だろ。今日酒飲まなくてどうするよ」
「いや、酒は勘弁して下さい」
「いいから、いいから。たまには俺の酒に付き合えよ」
強引な上司の誘いを断りきれず、渋々ついて行く。
小さなバーだ。カウンターに坐ると、そこには酒がいた。
「久しぶり」
酒はいつもしっとりと俺に語りかけてきやがる。
「ああ」
声がかすれちまってらあ。
「ねえ、元気だった?」
酒がしっとりと語りかける。
「まあ、ボチボチさ」
喉が濡れて声が湿り気を帯びる。熱いな。
「少し太った?」
酒がしっとりと絡みついてくる。
「まあね。あんたは変わってないみたいだな」
相変わらず、最初は焼けるように熱いぜ。
「そうかしら?でも、嬉しいわ」
しっとりと酒。
「最近は、コロナで大変なんじゃないか?」
今年に入って何回目だ、このセリフ。
「そうね。最近は、家が多いわね」
しっとりと酒。
「家か」
俺ももうちょっと気のきいた返しはできないものか、つくづく自分が嫌になる。
「ねえ、ツマミのビーフジャーキーは元気にしてる?」
「ああ、元気だよ。いつも君に会いたがってる」
「うふふ。たまには誘ってほしいな。以前みたいに」
「・・・」
「あ、ゴメンね」
「謝まる事はねえよ」
「ねえ、乾杯しない」
「何に?」
「再会を祝して」
「いや、今日は・・・」
「わかってる。でも、お願い、乾杯だけさせて。私、あなたの事が」
酒が最後まで言う前に、俺は一気に酒を飲み干した。
グラスの底に残った氷達が、この世で一番寂しい音を立てて転がった。