<連載小説 全7回>家庭内姉弟(第5回)
小学生杉田美亜、美少女・愛実は「宿敵」、弟・巧翔は「彼氏」。
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回(完結)
*
間を置かず飛び出したはずなのに、愛実たちの姿は人波にまぎれてしまっていた。
逃がすか――巧翔の手を引っぱってやみくもに走り出そうとする美亜の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「機嫌なおせよ。家にいたってできることないだろ、な? おじさんもいるんだから、大丈夫だって。邪魔にならないようにさ――」
瑛の声だ。なだめるような妙に甘ったるい口調の出所を探す。
いた。
観覧車の足元の広場に、愛実を取り囲むように一団は立ち止まっていた。
美亜は帽子を脱ぐと、愛実たちどころか、園内の全員が振り向くほどの声でさけんだ。
「ちょっと待ったあ!」
「え……杉田?」
全力で駆け寄ると、精一杯偶然を装った声を出す。
「あっれー、みんな来てたんだ。ぐーぜんだねえ。デート? みんなで?」
イメージしていた通りのセリフ。だがいつもとあまりに違うトーンに、皆一様に困惑した顔で美亜を見つめてくる。
「いや、デートっていうか。みんなで遊びに来ただけ――」
瑛の言葉など耳に入らず、目を丸くしている愛実に向かって美亜はさけぶ。
「私もデート!」
背中に隠れるようにしていた巧翔をぐいっと押し出す。
「……クマ?」
「なんでクマ? かわいい」
「クマじゃない!」
フードをはずし、巧翔の顔を皆にさらす。
「紹介。私のカレシ。巧翔――矢島巧翔」
頭一つ小さい巧翔と腕を組む。誰が見ても、強制連行しているようにしか見えなかった。
「彼氏って……子どもじゃん」
「クマじゃんやっぱ」
クマという根強い意見は無視して、美亜は気取って人差し指を頬に当てた。
「子ども? うん、年下だけど、関係ないっていうか。私たち、ラブラブだしー」
さあ見てろ。子どもでも、おまえらみたいなお子様じゃないところを見せてやる。
巧翔の肩をつかみ、美亜は頭を振りかぶる。
「……!」
巧翔はさっと首を引いて逃げる。だまったままだ。さっきの言いつけ通りではある、が。
「巧翔、ほら、おい」
顔を上げさせようとするが、ぷいと首をひねってしまう。
「なんだよ、おい、こら!キスだって!」
見かねた様子で、彩乃が割って入ってくる。
「ちょっと、やめなさいよ。なに小さい子いじめてるの」
「いじめって、や、ちがくて。ばか巧翔、練習したろ!命令!」
「……」
巧翔は答えない。
「練習?」
「命令?」
瑛と蓮が怪訝そうに首をかしげる。愛実の目が、うかがうようにじっと見つめてくる。
「あ、その……」
くそ、早くしなくては。とその時。
「うーい、ごめんお待たせー」
美亜にも聞き覚えのある調子はずれな声が、彼らの後ろから飛んできた。
声の主の肩に、蓮が気軽くパンチする。
「おせえよ、でっかい方か?」
相手はにっと歯をむいて笑う。一本分すき間の空いた歯を。
「ちげえーし。トイレ混んでて。何やってんの、早く行こうぜ……ってあー!杉田!」
美亜はかちっと固まった。
悠太。なぜここに。
そういえば、グループ交際にしては彼らは一人少なかった。瑛と愛実がペア、蓮の相手が彩乃なら、麻衣菜の彼氏は。
美亜が正解に思い至った瞬間、麻衣菜が流れるように悠太と腕を組んだ。
「ゆうくん、今杉田さんがね」
あちー、はなせよ、などと悠太は腕を振り、麻衣奈は離れまいと余計にくっついている。
悠太……! 美亜は歯ぎしりする。なんだこれは。最近寄ってこないと思ったら、いつの間に。麻衣菜に土下座でもしたのか。ゆうくんだと?
予想外の感情の波にのまれて美亜は戸惑い、その場を取り繕う機会を逸してしまった。
一方の悠太は、半泣きで上目づかいの巧翔を一瞥して、すべてを悟ったようだった。
「杉田、まさかほんとに」
「ばっ……や、ちがっ……」
巧翔はまだ言いつけを守ってだまっている。だがこのままではまずい。わたわたと無意味に両手を動かす美亜のあせりもむなしく、悠太は言い捨てた。
「いいかげんにしろよ。弟おもちゃにして」
さらに悠太は巧翔の肩を叩き言ったのだ、皆に聞こえるほどにはっきりと。
「巧翔、姉ちゃんの言いなりになってないでいいんだぞ。やなことはやだって言ってやれよ、姉弟なんだから」
真昼だというのに目の前が真っ暗になりそうだった。観覧車が落ちてきそうだった。
瑛が、麻衣菜が、彩乃が蓮が、しらけたような目を美亜に向けてくる。
「弟?」
「姉弟?」
「ち、ちがう!弟じゃない!」
泡を食って否定する美亜を、あきれた顔で悠太がたしなめる。
「杉田、ひでーぞそれ、いくらなんでも。弟にあやまれよ。うそつき」
「そうよ、あやまりなよ」
「うそつき」
麻衣菜と彩乃が尻馬に乗ってくる。こいつら、何も知らないくせに、流されることばかり得意な、こいつら、こいつら……。
いいや、何より美亜をおびやかすのは愛実の視線だ。憐れみをすら含んだようなその視線。
まずい。泣きそうだ。泣き虫の巧翔ではなく美亜自身のまぶたが、かあっと熱くなってくる。
「ちがう!」
美亜はさけんだ。涙なんて気合で引っ込む。まだこんな状況なんて吹き飛ばせる。
吹き飛ばせるのだ、大丈夫だ。なぜなら。
「ほんとにカレシで、ほんとに姉弟じゃなくて。ほんとに弟じゃなくて!」
「まだそんなこと」
「ちょっと、もうやめなよ……」
「ちがうの!ほんとなの!」
美亜は息継ぎもせず、早口でまくしたてた。
「だってね、巧翔が来たのは去年の八月だし、それまでママと二人暮らしだったし、うちのママは巧翔のママじゃなくて、巧翔のパパも一緒に来たけどすぐどっか行っちゃって、ほんとに、だってこれ」
皆は口をつぐんだ。美亜の混乱した言葉を飲み込むのに、時間がかかっていた。美亜は、巧翔のポケットからおもむろにゲーム機を引っぱり出す。
「――!」
取り返そうとする巧翔の手の届かない高さに腕を上げながら、美亜は続ける。
「このゲームはアイツの――巧翔のパパのだし!こいつ、学校行かないでずっとゲームしてて、でも親が怒るから音消してて、いなくなったのに、そのあとも巧翔はずっと消してて、それで、でもいっしょにママもいなくなっちゃったから、私たち二人だけで、家で、私がお姉ちゃんだって思って、お姉ちゃんって呼べって、巧翔は学校行かなくても、私が、私の――」
巧翔の頭を押さえて、美亜は言い放った。
「だから本当は弟じゃないの!」
べち、というおかしな感触があった。
驚いて美亜は巧翔を見た。巧翔の手のひらが、美亜の頬に半端に当たって止まっていた。
また泣いている。ぼろぼろと涙をこぼしながら、巧翔は美亜を強くにらみ上げている。「お姉ちゃんの命令」通り、ずっとだまって。
美亜はとっさに声も出ず、思わず腕を下げてしまった。巧翔はゲーム機をひったくり、だっと走っていく。行き交う人に紛れ、黄色い背中は一瞬で見えなくなってしまった。
<第6回へつづく>