見出し画像

<連載小説 全7回>家庭内姉弟(第5回)

小学生杉田美亜、美少女・愛実は「宿敵」、弟・巧翔は「彼氏」。

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回(完結)

間を置かず飛び出したはずなのに、愛実たちの姿は人波にまぎれてしまっていた。
逃がすか――巧翔の手を引っぱってやみくもに走り出そうとする美亜の耳に、聞き覚えのある声が届いた。

「機嫌なおせよ。家にいたってできることないだろ、な? おじさんもいるんだから、大丈夫だって。邪魔にならないようにさ――」

瑛の声だ。なだめるような妙に甘ったるい口調の出所を探す。
いた。
観覧車の足元の広場に、愛実を取り囲むように一団は立ち止まっていた。
美亜は帽子を脱ぐと、愛実たちどころか、園内の全員が振り向くほどの声でさけんだ。

「ちょっと待ったあ!」
「え……杉田?」

全力で駆け寄ると、精一杯偶然を装った声を出す。

「あっれー、みんな来てたんだ。ぐーぜんだねえ。デート? みんなで?」

イメージしていた通りのセリフ。だがいつもとあまりに違うトーンに、皆一様に困惑した顔で美亜を見つめてくる。

「いや、デートっていうか。みんなで遊びに来ただけ――」

瑛の言葉など耳に入らず、目を丸くしている愛実に向かって美亜はさけぶ。

「私もデート!」

背中に隠れるようにしていた巧翔をぐいっと押し出す。

「……クマ?」
「なんでクマ? かわいい」
「クマじゃない!」

フードをはずし、巧翔の顔を皆にさらす。

「紹介。私のカレシ。巧翔――矢島巧翔」

頭一つ小さい巧翔と腕を組む。誰が見ても、強制連行しているようにしか見えなかった。

「彼氏って……子どもじゃん」
「クマじゃんやっぱ」

クマという根強い意見は無視して、美亜は気取って人差し指を頬に当てた。

「子ども? うん、年下だけど、関係ないっていうか。私たち、ラブラブだしー」

さあ見てろ。子どもでも、おまえらみたいなお子様じゃないところを見せてやる。
巧翔の肩をつかみ、美亜は頭を振りかぶる。

「……!」

巧翔はさっと首を引いて逃げる。だまったままだ。さっきの言いつけ通りではある、が。

「巧翔、ほら、おい」

顔を上げさせようとするが、ぷいと首をひねってしまう。

「なんだよ、おい、こら!キスだって!」

見かねた様子で、彩乃が割って入ってくる。

「ちょっと、やめなさいよ。なに小さい子いじめてるの」
「いじめって、や、ちがくて。ばか巧翔、練習したろ!命令!」
「……」

巧翔は答えない。

「練習?」
「命令?」

瑛と蓮が怪訝そうに首をかしげる。愛実の目が、うかがうようにじっと見つめてくる。

「あ、その……」

くそ、早くしなくては。とその時。

「うーい、ごめんお待たせー」

美亜にも聞き覚えのある調子はずれな声が、彼らの後ろから飛んできた。
声の主の肩に、蓮が気軽くパンチする。

「おせえよ、でっかい方か?」

相手はにっと歯をむいて笑う。一本分すき間の空いた歯を。

「ちげえーし。トイレ混んでて。何やってんの、早く行こうぜ……ってあー!杉田!」

美亜はかちっと固まった。
悠太。なぜここに。

そういえば、グループ交際にしては彼らは一人少なかった。瑛と愛実がペア、蓮の相手が彩乃なら、麻衣菜の彼氏は。
美亜が正解に思い至った瞬間、麻衣菜が流れるように悠太と腕を組んだ。

「ゆうくん、今杉田さんがね」

あちー、はなせよ、などと悠太は腕を振り、麻衣奈は離れまいと余計にくっついている。
悠太……! 美亜は歯ぎしりする。なんだこれは。最近寄ってこないと思ったら、いつの間に。麻衣菜に土下座でもしたのか。ゆうくんだと?
予想外の感情の波にのまれて美亜は戸惑い、その場を取り繕う機会を逸してしまった。
一方の悠太は、半泣きで上目づかいの巧翔を一瞥して、すべてを悟ったようだった。

「杉田、まさかほんとに」
「ばっ……や、ちがっ……」

巧翔はまだ言いつけを守ってだまっている。だがこのままではまずい。わたわたと無意味に両手を動かす美亜のあせりもむなしく、悠太は言い捨てた。

「いいかげんにしろよ。弟おもちゃにして」

さらに悠太は巧翔の肩を叩き言ったのだ、皆に聞こえるほどにはっきりと。

「巧翔、姉ちゃんの言いなりになってないでいいんだぞ。やなことはやだって言ってやれよ、姉弟なんだから」

真昼だというのに目の前が真っ暗になりそうだった。観覧車が落ちてきそうだった。
瑛が、麻衣菜が、彩乃が蓮が、しらけたような目を美亜に向けてくる。

「弟?」
「姉弟?」
「ち、ちがう!弟じゃない!」

泡を食って否定する美亜を、あきれた顔で悠太がたしなめる。

「杉田、ひでーぞそれ、いくらなんでも。弟にあやまれよ。うそつき」
「そうよ、あやまりなよ」
「うそつき」

麻衣菜と彩乃が尻馬に乗ってくる。こいつら、何も知らないくせに、流されることばかり得意な、こいつら、こいつら……。
いいや、何より美亜をおびやかすのは愛実の視線だ。憐れみをすら含んだようなその視線。
まずい。泣きそうだ。泣き虫の巧翔ではなく美亜自身のまぶたが、かあっと熱くなってくる。

「ちがう!」

美亜はさけんだ。涙なんて気合で引っ込む。まだこんな状況なんて吹き飛ばせる。
吹き飛ばせるのだ、大丈夫だ。なぜなら。

「ほんとにカレシで、ほんとに姉弟じゃなくて。ほんとに弟じゃなくて!」
「まだそんなこと」
「ちょっと、もうやめなよ……」
「ちがうの!ほんとなの!」

美亜は息継ぎもせず、早口でまくしたてた。

「だってね、巧翔が来たのは去年の八月だし、それまでママと二人暮らしだったし、うちのママは巧翔のママじゃなくて、巧翔のパパも一緒に来たけどすぐどっか行っちゃって、ほんとに、だってこれ」

皆は口をつぐんだ。美亜の混乱した言葉を飲み込むのに、時間がかかっていた。美亜は、巧翔のポケットからおもむろにゲーム機を引っぱり出す。

「――!」

取り返そうとする巧翔の手の届かない高さに腕を上げながら、美亜は続ける。

「このゲームはアイツの――巧翔のパパのだし!こいつ、学校行かないでずっとゲームしてて、でも親が怒るから音消してて、いなくなったのに、そのあとも巧翔はずっと消してて、それで、でもいっしょにママもいなくなっちゃったから、私たち二人だけで、家で、私がお姉ちゃんだって思って、お姉ちゃんって呼べって、巧翔は学校行かなくても、私が、私の――」

巧翔の頭を押さえて、美亜は言い放った。

「だから本当は弟じゃないの!」

べち、というおかしな感触があった。
驚いて美亜は巧翔を見た。巧翔の手のひらが、美亜の頬に半端に当たって止まっていた。
また泣いている。ぼろぼろと涙をこぼしながら、巧翔は美亜を強くにらみ上げている。「お姉ちゃんの命令」通り、ずっとだまって。
美亜はとっさに声も出ず、思わず腕を下げてしまった。巧翔はゲーム機をひったくり、だっと走っていく。行き交う人に紛れ、黄色い背中は一瞬で見えなくなってしまった。

                        <第6回へつづく>


いいなと思ったら応援しよう!