<連載小説 全7回>家庭内姉弟(第7回 完結)
小学生杉田美亜、美少女・愛実は「宿敵」、弟・巧翔は――やっぱり「弟」。
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第7回(完結)
「巧翔!」
どこだ。見つからない。このあたりだったはずなのに。
「杉田」
駆け寄ってきたのは悠太だった。わだかまりなんか放り出し、美亜は問いただす。
「巧翔は!?」
「いない、見つからない。あっちはもう見た」
「探してよ、ばか!」
「探してるって!おれもっかい迷子センター行ってみるから、美亜は向こうの方探して」
返事もせず美亜は走る。
おもちゃ売り場、いない。ゴーカート場、いない。揺れるバイキングの下、いない。
あの時の絶望が、胸にひたひたとせまってくる。どうする、巧翔がいなくなったら。このまま会えなかったら、どうする。
「巧翔」
振り払うように、あらん限りの声を上げた。
「返事しろ! 命令、お姉ちゃんの命令!」
――声が、聞こえた気がした。お姉ちゃん、と呼ぶ小さな声。
美亜は耳を澄ます。何も聞こえない。けれど、感じた方へ走って行く。
スワンボートが揺れる池が見える。それを臨む丸い展望広場に人だかりがあった。
「何のキャラ?」「動かないねえ」
などとのんきな親子の声が聞こえる。携帯のシャッター音もする。
人と人のすき間、奥の方に、なんだか黄色いぽわぽわしたものが垣間見えた。
美亜は急いで人垣を突っ切ろうとしたが、なかなか通れない。
邪魔だ。なんなんだこの障害物。親子連れの間に無理やり体ごと腕を差し込んで、美亜は呼んだ。
「巧翔!」
「お姉ちゃん」
確かに聞こえた。巧翔の声が。
にゅっと細い手が差し伸ばされた。巧翔の手を、美亜は夢中で力いっぱいつかんだ。そのまま人ごみから引っぱり出す。
すべらないように両手でしっかりつかんだ巧翔の右手は細く骨ばっていて、熱かった。
勢いあまって尻もちをついた美亜の手の先で、巧翔はずべっと地面に倒れ込んだ。
左手で持っていたのか、ゲーム機が放り出されて地面をすべる。
起き上がる巧翔の頭からフードがずり落ちて、ぐしゃぐしゃの髪の毛の下で、一瞬きょとんとしたような目と美亜の視線が合う。
ああ泣き出すぞ、と美亜は一瞬後の未来を予測した。
だっていつもそうだ。
泣き虫。迷惑なばか。仕方ないやつ。手のかかる弟。
私の弟。
6
結局、美亜がクラスのスターの座に着くことはなかった。むしろ完全に浮いてしまったようで、クラスメイトたちは誰一人近寄ってこなくなった。
それどころか、家の事情が大人たちにまで知れ渡って、美亜と巧翔の身辺は一時大騒ぎになった。
言いふらしたのは、おおかた瑛か麻衣奈あたりだろう。遊園地からの帰り道、一緒にぎゅうぎゅう乗せてもらった瑛の父親の車の中で、仏頂面だったのはその二人だったから。
逆になんだか上機嫌だったのは愛実で、隣り合わせた美亜にこっそりと耳打ちしてきた。
「――してないからね」
「は?」
「キス。してないんだから。瑛となんて」
美亜はただだまってうなずいた。
「信じてないでしょ」
「べつに」
正直なところ、そんなこと美亜はどっちでもよくなっていた。
自分でも不思議だったが、わざとのようにふくれっ面をしてみせる愛実のことが、なんでか前ほどいやではなくなっていた。
*
けれど今――やっぱり美亜は、不機嫌だった。
「よし……あれえ」
カチカチとスイッチを押し、悠太が首をかしげる。畳にじかに置いたゲーム機の画面には、反応がまったくない。
「あれえって。何それ、ちょっと」
「いやいや、大丈夫だって。だいじょうぶだいじょうぶ……」
悠太はへらへらしながらむやみにスイッチを入切するが、画面は暗いままだ。電源ランプすら灯らなくなっている。さっきまでは、少なくとも電源は入っていたのに。
「よけい悪くなってるじゃんアホ悠太!」
やはりアホに任せるのではなかった。美亜は悠太の後頭部を小突く。
「ってーなー、すぐぶつなよアホ美亜、アホみ」
「アホみってなんだアホ悠!」
遊園地で巧翔が落とした拍子に動かなくなったゲーム機、まかせろなんて得意げに胸を張ったくせに。
「もうちょい待ってろよ。だいたいせっかちなんだよ美亜は」
「なにー」
いつも通りの悠太の態度に、美亜は腹立たしいと同時にほっとしたような、妙な感じがずっと続いていた。いつの間にか名前呼びになっているのも、もやもやする原因のひとつだろうか。
「見てろよ、もうすぐもうすぐ。巧翔も、そんな泣きそうな顔すんなって」
心配そうにこちらをうかがう巧翔に、悠太はⅤサインを作る。巧翔は弱々しくうなずくが、その目はすでにうるんでいる。
ああ、また泣くぞ……と美亜が顔をしかめた時、横からすっと白い手が伸びて、巧翔の頭を優しくなでた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。もうちょっと待ってようねー」
「うん」
なんで愛実までいるんだ、と美亜は苦い顔になる。
巧翔も巧翔だ。あれ以来、頻繁にアパートを訪れるようになった愛実に、人見知りのはずの巧翔はずいぶん簡単になついてしまった。
ふん、おまえは知らないんだろう。愛実のはどうせ弟の予行練習なんだから、本物が生まれたらおまえなんかなあ……。
悠太、愛実、巧翔。頭がぐちゃぐちゃしてきた。
そうでなくても扇風機すらない部屋に四人も座り込んでいては、蒸し暑くて考えもまとまらない。立ち上がって無理やり思考を切り替えようとしたとき、妙にさっぱりした調子で巧翔が言った。
「いいよ、直んなくても」
「え、いいの」
途端に明るい声になる悠太をもう一度小突く。
「うん、いい。もう飽きたし」
「たっくんえらーい」
愛実の甘い声にも、巧翔は興味なさそうに顔をそらす。
何をかっこつけてるんだか。あの時は、ぐしゃぐしゃに汚れたクマの格好で、ゲームがゲームがってべそをかいていたくせに。
そういえばあのクマパジャマ、と美亜はふと思い出した。
洗いもせずに丸めてほったらかしたままだ。巧翔が何度も転んだせいでひざに小さな穴が開いてしまってはいるけれど、まだ十分使えるのだが。
どうせ美亜には着られないし、巧翔にはトラウマになってしまっただろうし、洗うのも面倒だ。たぶんそのうち捨てるだろう。
どうせ荷物をたくさんは持っていけない。
美亜にはわからない大人たちのやりとりで、美亜と巧翔は市外の施設に移ることになった、らしい。両親が行方不明ではそうなるしかないのだという。
本当はすぐに移動しなければいけなかったのだが、巧翔がぐずり、美亜が噛みついた。
なんでか悠太と愛実が毎日のように家に来て、いっしょに大人たちを説得してくれた。階下で怒鳴り散らす瑠美に撃退される人もいた。
少しの猶予が(やむを得ず)与えられて、表面上美亜と巧翔は平穏に過ごしている。
それでも期限は刻一刻と迫っている。
引越しは来週の終業式翌日、夏休み初日の予定だ。二学期からは、巧翔も美亜もそこから新しい学校に通う。
「そこってね、すごい大きいんだってよ」
ことさらに明るく、愛実が巧翔に話しかける。
「子どももいっぱいいてね、おっきい家族みたいなんだって。みんな兄弟みたいだって。私、見てみたいな。遊びに行くね、夏休みのうちに」
巧翔はうなずく。不安なくせに。
美亜だって、まったく不安じゃないなんて言えるわけはないけれど。そんなこと認めたくなくて、美亜は愛実につっかかる。
「そんなのなんでわかるの」
八つ当たりするみたいになってしまったが、愛実は負けずに唇を突き出して言い返してくる。
「調べたもん。だめだよ、杉田さんもちゃんと調べなきゃ。自分のことなんだから」
「う……」
そうだ、そのとおりだった。ぼやぼやしている場合ではない。
新しい学校で、新しい施設で。自分と巧翔がどうすれば人気者の姉弟になれるか、策を練らなくては。
思考が回り出し、加速を始める。いつもの感じ。この感じだ。不安なこと、もやもやしたことは放り出して、美亜の頭は走り出す。
「美亜、なんかアホなこと考えてないか。やめろよな、また痛い目見るぞ」
ゲーム機を置いて、やることがなくなった悠太が伸びをしながら言う。
むかつくセリフだが、なんだか少しさみしそうな声だ。
けれど美亜は気になどしない。
「アホなことじゃない。痛い目なんか見たことない。な、巧翔」
「うん」
「巧翔まじかー?」
すでに今、新しい計画は始動したのだ。
もちろん美亜は、今度も成功させるつもりだった。
(了)