朝、マスクを忘れなくなったけど
しあわせとは、を考える時に、たびたびオリラジのあっちゃんが脳裏に浮かぶ。
別に好きな訳でもないんだけど、
中学生の当時マイ・バイブルだった「セブンティーン」(あの頃の全てはセブンティーンに載っていた、毎月覚えるくらいに読み込んでいた)に
あっちゃんがコラムを寄せていて、
「しあわせって何か」という回があったのがやけに印象深かったから。
オリラジのあっちゃん、すっかり
"なんとなく胡散臭いYoutuber"(え、そんなことない?ごめんなさい!)
みたいな存在になっているけど、
彼が胡散臭いというよりも、
彼のチャンネルを観ただけで色々解ったような気になる人が胡散臭いんだよ、たぶん。
前に立つ人として残り続けていることも凄いし、
頭の賢い人なのだろうとずっと思っている(ファンな訳でもないしYoutubeを観たこともないんだけど)。
ともあれ、そのコラムは
「しあわせとは何か、を考えるために、
右手に消しゴムを握ったまま1週間暮らしてみた」
みたいな話で、
「不便からの解放」「不幸から幸福への温度差」
が、しあわせを感じさせる、というような内容だったと思う。
読んだ当時は「まさにその通りだ!」と思ったりしたけど
(たぶん、あっちゃんって人を納得させるのが上手いんだと思うんだよな)
今思うと、それは解放感であってしあわせではないよな、という気もする。しあわせって別に変化だけじゃないものね。
んだけれども。
恋しい。
おしくらまんじゅうのような立ち飲み屋で、
飛沫をとばしまくり合いながら喋る時間。
これ、美味しいよ、なんて言いながら、
同じ皿をつつき同じグラスを回し呑む夜!
衛生もへったくれもない屋台のごはん、
めちゃくちゃに狭くてめちゃくちゃに旨い店。
随分と不便になってしまった今、
それらを思い出すとき、
あっちゃんの言うとおり、コロナからの解放は最高のしあわせかもしれないなと思ったりもする。
今日、マスクを外して息を吸ったら
国道246号線の排ガスまみれの空気の奥の、
とおくの金木犀の香りにしあわせを感じたので。
息苦しいのも慣れてきたけど、
はやく思いっきり息を吸って吐きたいねえ。
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