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肌撫でる温度が春色
言葉に映る木漏れ日と睫毛に触れる微風
ベランダで小説と日向ぼっこ
めくる一行一行の織布
削除と下書き行きの往復切符がたくさん溜まってきた。書けなくなったというよりも、書いたら特別じゃなくなっちゃうからそれが怖い、なのか、単なる執筆倦怠期なのか。感情を、閉ざしてしまったから。触れたくない部分ができたから。不公平で、狡くて、吐き気のする、やりきれないことが起きても、それでもやっぱり明日には笑って生きていかなければならない。それが大人の心構えなのかな。
大人って結局は責任をいつの間にか背負わされた子供なんじゃないか。それの詰め重なりで、自然と形が定着してきたのかな。
少なくとも今の私が見てきた範囲で言えることは、大人も子供もそんなに変わらないこと。変わりたいと思い続けながら時間が経っただけ。