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失敗

最近絵を描くという行為がつまらなくなった
幼少期の物心ついた頃からずっと絵を描き続けてきた。授業中は先生の話も聞かずにノートに絵を描き続けたし、休み時間もずっと絵を描いていた。成人してからも好きな表現を求めて描き続けた。最初は一人で満足していたが、段々と人に承認されたいと思うようになる。いや、元から承認欲求は強かったのかもしれない。小学生の頃模写したアニメキャラの絵を黒板やポスターに貼っては、あいつは変なオタクだと馬鹿にされていた。陰キャながらに自己顕示欲や承認欲求が強く、窓際でぽつんと絵を描くオタクではあったものの自己アピールが強かったので鬱陶しがられた。

成人してからも絵を描いていたが、ネットにあげても評価はなかなかつかない。それでもいいと思う自分と、もっと評価されたいというアンビバレントな感情に悩まされる。しばらく壁打ち運用をしていた私だが、自分の絵をもっと広く見てもらう方法を考え繋がりたいタグを使ってみることにした。これが失敗だった。

初めは同じ一次創作を愛する絵描きと繋がれて嬉しかった。これで人目に触れる機会を増やそうと思っていた。相互を増やせばRTしてくれる人もいるだろうし、他人のおすすめ欄にだってのるかもしれない。タグをするだけでも3桁いいねくることがあるので宣伝にもなる。実際フォローしてくれる人は増えたと思う。
しかし、自分のための発信の場である壁打ちと、他者との繋がりや評価を前提とした交流垢は違う。承認欲求が強めだった私は交流垢に移行したことにより、他人の反応に一喜一憂することとなる。可愛いと思ったイラストをあげてもいいねが増えない。FF外にも届かない。イラストをあげるたび精神が擦り減っていく。壁打ちでは気にならなかったことでも、交流垢では「人の心に刺さらなかった」「魅力的に映らなかった」という現実をダイレクトに突きつけられるのだ。これでメンタルをやられない人がいるだろうか?
もちろん、少なからず私の絵にいいねやリプで反応してくださった方はいる。その人たちには心の底からありがとうと伝えたい。ちゃんとみてます、ありがとう。

ストレスを抱えながらも我慢して続けていると、イライラしてくる。「もう自分が描くのは苦しい、AIに描かせて評価を貰おうか」などという思考が頭の中を巡る。そうして12月は殆ど絵を描かずに過ごした。
年が明けると、自分が絵を描きたいと思わなくなっていることに気づく。あんなに表現したいものがたくさんあって、描きたいとウズウズしていた感情がどこかへ消えてしまったのだ。絵を描くことがアイデンティティだった自分にとって、絵を描かなくなることは存在意義を失うことと同じだ。悲しかった。あんなに好きだった絵が、描くことが、つまらないと思えてしまう。液晶の上にペンを走らせても、なんの感情も湧いてこない。つらいとか苦しいとかもない、「無」である。かつて人に"好き"を伝えたいと感じていた情熱が完全に冷めてしまった。冷や水をぶっかけられた。こんなのはただの作業だ。
私のような承認欲求の塊の人間は、安易に人の輪の中に入るべきではなかったのだ。孤独に創作に励み、自分のために技術を磨くべきだった。
これが去年の失敗。

私は今だに今後どうするべきか悩んでいる。また壁打ちに戻るのもアリだが、この広いネットの海で見つけてもらうには、壁打ちは神レベルの画力でもないと厳しいものがある。私は誰かに自分の作品をみてほしい。自分が好きだと思ったものを人にも好きになってほしい。そんな日がくるのは、あと何十年後だろう。もちろん、単純に自分の作品に魅力がないこともわかっている。画力を磨いて、人の心を動かすような魅力をつけないといけない。

絵を描くのはつらい。
とにかく今はまた、「絵を描くことが楽しい」と思えるようになってほしい。楽しいってなんだっけ。思い出せない。評価に囚われてるというよりは、本質はSNSの人間関係への向いてなさだとも思う。壁打ちのままだったら、多分こんなことにはならなかった。お前、SNS向いてないよ。

ちなみにこんだけ書いておいて、実は絵がつまらなくなった本当の理由は別にあるという可能性もなきにしもあらず。

また、楽しくお絵描きがしたい


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