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20241106水

 昨日の続き。6時起き。朝方、よくない幻覚を見る。身体を乗っ取られるような感じ。自分の意思に関係なく身体を動かさせられる。
 自分がいる感覚はあるのに、自分の体が誰かわからない他者に影響されて動いていたら、それは「私は生きてる」って言えるんだろうか。

 9時に買い物。漢字学習ノートを買う。写経をするため。
 その足で喫茶店へ向かう。家から歩いて5分もかからないところ。本を1冊読み終える。これ。



 最初の方は、なぜだか嫌な文章に感じられた。読むのを放り出しそうにもなった。読み進めていくうちに勉強になる気がして最後まで読めた。

 私は、この10年以上の間、ブログを書いたり書かなかったりした中で、私に中身がなければ、書く内容は空っぽであると思った。それはブログを書き始める前からうすうすと感じていた。書くためにはネタが必要だと。
 書くことがない、空っぽの時は、その日の自分に起きた出来事だけしか書けない。その時に、起こった出来事によって思ったことをどれだけ注意深く書けるか。詳しく、わかりやすく。それだけでも記事にはなる、というのが、10年以上書いてきて学んだことである。
 描写力を上げるには観察するに限る。いかにこんにちまで鈍感に生きてきたか、私の描写力のない文章から読み取れる。私に描写力はない。
 ただ、鈍感にしか生きてこられなかった私の繊細さ(やかましいわw)は、私の生活力に直接結びついている。
 家族となかなかうまく意思疎通ができない/協力できないのは、今まで自分の欲求を上手く表現できなかったからだと思う。今もうまいとは言えない。みんなどうやってコミュニケーションをとっているんだろう? 私は、家族ともやっていけないのは、なんでなんだろう。
 本を読み終えてそんなことを考えた。家に帰りたくないな、喫茶店のはしごをしようかな。

 11時少し過ぎ。喫茶店を出るか、ここでまだ違う本を読むか。とりあえずこの記事を書いている。
 肩が痛い。違う喫茶店へ行くか? お昼ご飯は…、朝起きてすぐご飯を食べたし、家を出る前も少し食べた。着いた喫茶店でモーニングも食べた。もうこれ以上いらん。
 家のおひつに、御岳屋(みたけや)の焼肉ご飯がある。朝作った。少し食べた。あれは美味しい。夜までお腹を空かせてから、また食べたい。

 一旦家に帰る。すぐ出かける、違う喫茶店へ歩いて向かう。

 次に行った喫茶店では、3時間半くらいいた。朝読んだ本とは違う1冊を読み終える。1冊って言っても、読みかけだった本。小沼理さんの日記本。ようやっと読み終えられた。LGBTQ+が身近に感じられた。日記だからか、淡々とも感じ取れたが、熱量もあった。良かった。新刊は少し前に手に入れている。また時間を作ってそちらも読みたい。

 書きたい物語も少し書き始めてみた。長くなるかも、と思ったらすぐ終えてしまった。いつもそう。私は伝えたいことが"骨"すぎるのか。"肉"はないのか。"肉"はどうやってつけるのか。文章は具体的にかけ、と今日読んだ「みんなが読みたがる文章」という本に書かれていた。具体的書くと、読み手の想像の範囲が限られてしまう気がして書けない…とでも私は考えているのか。そんな良さげな考えは持ってない。具体的に書けるほど、日々の生活の中でものを観察していない。それが理由だと思っている。観察は、描写力に繋がるだろうに。
 頭の中に入ってくる情報が多すぎるのは、疲れないのか。慣れか?

 帰りに図書館へ寄って、予約資料を借りて帰る。

 帰ってきてから、喫茶店に長居するのは良くないと、父にも母にも言われた。だめかな? 客席も結構空いていたんだがな…。今度からは、ショッピングセンターに行こうかな?

 今日はカレーピラフとお肉ご飯。おいしかった。カレーパンも食べた。食べ過ぎだ気がする。気をつけようと思っていてもなかなか難しい。

 お風呂にさっさと入る。明日も出かけたい。家にいるより外にいる方が、集中して本が読める。もちろん場所にもよるが。

 おやすみ!

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