ジュエリーには美術作品として評価されるポテンシャルがあるのか
前回の投稿に引き続き、第2回シンポジウム内で気になった内容を共有したい。
トークセッション②にご登壇いただいた岡田裕子さんは主に現代アートの世界で活躍されているアーティストの一人である。岡田さんには《アーティストが社会と接続するために》というテーマにご登壇いただいたが、その中で、“ジュエリー”を自身の作品として扱うとしたらどうするか、という意見を聞く機会があった。(これは私個人の意見だが)ジュエリーの作り手の多くは、結果として作品/ジュエリーの外殻をどのように見栄え良く見せるかに重点を置いており、宿借に見捨てられた貝殻のような空虚な作品が目立つ。そんな中、岡田さんは《“ジュエリー”の持つ潜在的な影響力とは何か》という客観的な視点から、数多ある表現手段の一つとして丁寧に考察しているように私は感じた。どのようにジュエリーを作るか、というフィジカル的な思考ではなく、ジュエリーであることがどのような効果をもたらすか、といった想像的で提案性を持った思考である。
私は常日頃からこのような距離感を保ちながらジュエリーと向き合いたいと考えていたが、彼女の様々なアイデアを聞くたびに私は感服するばかりだった。例えば、ジュエリーが持つ世間一般的に浸透しているキーワードとして、ジュエリーに付随する“価値”が挙げられる。岡田さんは人間社会、ジュエリー、価値観を三角形の関係性で結びつけ、ジュエリーだからこそ可能な表現方法として、美術作品へと昇華させる希望を私たちに提示してくれた。もちろん一つや二つのアイデアだけではない。彼女は、頭の中にどんどんとアイデアが溢れてくると楽しそうに語ってくれた。(具体例も色々とお話しいただいたが、ここでは詳細を伏せさせていただきます。)
これらのアイデアを聞いた時、私は、ジュエリーが美術作品になるポテンシャルがある、という確信を持つことができた。もちろん彼女が「現代アートのフィールドで活躍するアーティストであるから発表する作品は現代アート作品だ」という側面もあるだろう。しかし、別の視点から見てもジュエリーにはデザインやファッションの領域に留まらない、アーティストの創造性を刺激しアイデアをより強固なモノにすることが可能な手段なんだと強く感じた。
再度例を挙げてみる。
「ジュエリーはコミュニケーションツール」という各時代、各ジュエリー分野で言われてきた常套句がある。しかしながらジュエリーの作り手たちは“コミュニケーション”についてどの程度掘り下げたり、リサーチをしたり、イメージをしているのだろうか。具体的に説明すると、ここで言うイメージとは、ジュエリーをコミュニケーションツールとして想定した場合、どれくらいの範囲に影響をもたらすことができるのか/もたらしたいのか。という作品起点のストーリーである。そしてそのストーリーに重要なのが、鑑賞者の心を強く揺さぶることのできる提案性であり視点だと私は考えている。「ネガティブな感情をポジティブに変換したい」、「美しさを共有したい」、「新しいジュエリーを見せたい」、「会話のきっかけ作りを提供したい」「共通の仲間意識を…」といったコンセプト(正確にはコンセプトにもなっていないが)で満足している作り手/作品がなんと多いことか。表面的なコミュニケーションでは鑑賞者の記憶には全く残らないことは誰にでもイメージできるはずだ。
私はあくまで現代アート分野への挑戦を考えているのでこのような指摘をしているが、いわゆるジュエリーを突き詰めたいのであればここまで考える必要はないだろう。材料、技術、身体、造形を中心に考えていけば素晴らしいジュエリーは作れるのだと思う。しかし、異なった分野内でジュエリーをジュエリーとしてではなく、周囲の想定を超えた作品として評価してもらうためには、それ相応の深さと強さを追求しなければならない。現在多くみられるコンテンポラリージュエリーは、動機、機能、技法、素材がバラバラで、作品としての厚みが足りない。作り手も売り手も買い手もデザイン性を主軸で考えるような時期が長く続いているからだと私は考えている。だけれども、現在の閉塞感に疑問を持つ人がいれば“ジュエリー”を使用した表現活動は今からでも突き詰められると思う。大切なことは大衆に媚びた“ジュエリー”を目指すのでなく、作り手自身のルーツや環境や情熱や葛藤を“ジュエリー”とどうリンクさせるか、その作り手だからこそ出てくるテーマと説得力、作品を構成する様々な要素を丁寧に繋げていくことではないだろうか。
CJSTの活動を本格的にスタートしてからは“アートを身につける”という言葉に強い抵抗感を抱くようになってきた。そもそも“アート”として完結しているのであれば着用する必要など全くもってないはずだ。なぜ安易に“ジュエリー”と“アート”を結びつけたがるのだろう。表面的な発信だけでは何も変わらなかったのは歴史が証明している。絵画表現や身体表現のように、“ジュエリー表現”とは何か、私は真摯に作品と向き合いたい。
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