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CIVILTALK 04:サンドロビッチ・ヤバ子

オリジナルのストーリーとアートとも呼べるほどのクオリティの絵がドッキングされた作品が束になって300円そこらで毎週見れる国は、世界中探しても日本だけではないでしょうか。それが今やインターネット上で無料で毎週見れる時代になったのですから、この国は本当におそろしいですね。世間を席巻し出した漫画の新たな流れ「WEB漫画」の創世記・黎明期に登場したヤバ子さんには、旧態然とした業界の慣習では計れないエピソードがありました。師匠もいない、絵も描かない、純粋なストーリーライターとも違う全く新しい文脈が流れているように思います。漫画を描き始めた理由やこれからの展望など、新時代のトップランナーが胸の内に抱く心の内側を余すところなく話していただきました。漫画家というとストーリーは元より絵も上手くなくてはなれない職業という考え方を180度ひっくり返してきたヤバ子さんには、人間やろうとしてやれないことはないという短絡的なボジティブシンキングではなく、タイミングを逃さず手繰り寄せる強さを感じました。

現在、裏サンデーで連載中の「ケンガンアシュラ」では、ヤバ子さんが原作、作画をだろめおんさんが担当されていますが、仕事でグラフィックを扱っている人間から見て、漫画の作画って本当に手がかかっているな、と思います。この「ビギャッ」とか「ゴッ」っていう効果音の部分とか、よく見るとかなり時間かかっている気がしますね。

ヤバ子:オノマトペの部分ですよね。おそらく、時間かかっているでしょうね…

以前、NHK教育で浦沢直樹さんの「漫勉」という番組を見たんですが、そこに「うしおととら」の藤田和日郎さんが出ていたんです。そこで紹介されていた、藤田さんの作画の描き込み方が本当にすごくて。つくり込まれた物語があり、さらにそれだけ力の入った作画があり、それだけクオリティの高いものが10作品くらい集まって毎週数百円で売っているというのは改めて考えてみると本当に衝撃的だと思います。今回、インタビューを快諾していただきましたが、ヤバ子さん、忙しすぎてインタビュー受けてくれるのかなって3人で心配していました。

ヤバ子:いえいえ、僕は飲みに行ったりする時間はちゃんとつくっているので。逆に、僕はプライベートの時間がないとできないんですよ。だから、どんなに忙しくても酒だけは飲むようにしています。

僕たちの世界がまだまだ狭いからだと思いますが、同世代で漫画で仕事が成り立っている人ってなかなか知り合えない、知り合う機会がないんですよね。漫画家さんや原作者さんって、作品が先行してしまうので、ご本人はなかなか表立って出てこないじゃないですか。作品は知っていても、作者の顔や性別、年齢がわからない場合も多いですよね。

ヤバ子:そうですね、出たがらない人もいますしね。出たがりも多いですが…まあ、それはどの業界でも同じですよね。

出版社がやっているイベントやサイン会に行けば、会えるといえば会えるんですが…

ヤバ子:そこで仕事の話はなかなかできないですよね。

今回は偶然、ヤバ子さんと都竹が同じバーで知り合ったことでインタビューをさせていただくことになったわけですが、普段どういう方と飲むことが多いですか。

ヤバ子:誘い合わせて行くというよりは、1人で行ってそこにいる人と話すということが多いので、いろんな方がいますよ。そういえば、伊藤さんが写真家だということで聞きたかったのですが、この間鈴木育郎さんという写真家の方と知り合う機会があったんです。今、毎月1冊写真集を出すというとんでもないことに挑戦されているんですが、ご存じですか。

知っています。鳶職の方ですよね。情感のある写真を撮られる方だと思います。

ヤバ子:僕は写真の良し悪しはあまりわからないんですが、好きでしたね。年も確か同じくらいだったと思います。

先程いただいた名刺に「漫画原作者」と書かれていますが、「漫画家」と呼ばれたり、単に「原作者」と呼ばれることもあるかと思います。肩書きに対するこだわりはありますか。

ヤバ子:特にないですね。好きに呼んでもらえれば、という感じです。ただ、一度だけ「アーティスト」と呼ばれた時はちょっと気持ち悪かったですね。僕はアーティストは名乗れないですよ。

それは人から与えられる肩書きかもしれないですね。

ヤバ子:僕の場合、格闘漫画を描いてくれと言われて制作している時点で、工業製品をつくっているのに近いと思うんですよね。アートじゃなくて商品ですよね。でも、伊藤さんは実際に写真家として作家活動をされているわけですが、周りの評論とか気になりませんか。

そうですね…見たまま感じてもらえればいいかな、と思っています。

ヤバ子:わかります。僕も客観的に紹介してくれるのはうれしいんですが、勝手にその人の主観でこの漫画はこういうものである、と言われると、ちょっと困惑することがあります。そんなこと考えてないぞっていう。

でも、ヤバ子さんはWEB漫画を描いていることもあり、ネット上での評価などはかなり盛り上がっていますよね。ああいうのって気になるものですか。

ヤバ子:こう言ってしまうと語弊があるかもしれないですが、僕って人の評判がまったく気にならないんですよ。昔は気になってたんですが、どうでもよくなっちゃいました。得にも金にもならないことをしても仕方がないな、と思って。

猛々しいですね!二次創作もPixivなどにたくさん上がっていますが、ああいう盛り上がりは漫画ならではだと思います。

ヤバ子:ああいう風につくっていただけるのは単純にうれしいですよね。

毎週連載されているのは、大変ではないですか。

ヤバ子:楽しくやってますよ。追いつめられたりはしてないです。ストックもあるし。でも、今の感じだと、僕は同時に2本までが限界ですね。それ以上は質が下がっちゃうと思います。

ストックはどれくらいあるんですか。

ヤバ子:あります。だいたい8~9話くらいは常にストックしてあるようにしていますね。

コミックス1巻分くらいストックされているんですね。

ヤバ子:そうですね。期間で言うと2~3ヶ月分くらいになりますかね。

週刊だとそれくらいの期間になっちゃうんですね…短い!

ヤバ子:そうなんですよ。だから、今、東京から離れるとすごく不安になります。自宅から遠くなれば遠くなるほど。仕事はどこでもできるんですけど、何か落ち着かないんですよね。ある種縛られているのかもしれないです。

でも、「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリさんは確か海外でお仕事されているんですよね。

ヤバ子:イタリアですよね。どうやってるんでしょうね。打ち合わせも電話だけなのかな。あの方くらいになるとそういうのも許されるんでしょうけど…僕が今、例えば沖縄の島に引っ越します、とか言ったら、いや何してんの?ってなるでしょうからね。

ヤバ子さんは今、出版社に所属されているということになるんですか。

ヤバ子:僕もいまいちよくわかっていないんですが、早い話が業務委託みたいな感じなんですよね。契約はしてるんですが、結構ふんわりしてて、出版社や担当編集によるみたいです。僕の場合は、他から引き合いが来たら絶対に断ってくれ、とは言われてますね。

法律で禁じられてるわけではないですもんね。でも出版業界って、暗黙のルールとか多そうですよね。

ヤバ子:あります、あります。ちょうど今、話に出た「テルマエ・ロマエ」が映画化した時も、原作者が100万円くらいしかもらってないってニュースになってましたけど、結局契約を交わしてなかったってことらしいんですよね。本当は交わさなきゃいけないと思うんですけど。

佐藤秀峰さんも、その辺の問題提起されてますよね。

ヤバ子:そうですね。でも基本、映画がどれだけ売れても、直接報酬をもらうということはないんじゃないかと思います。出版社側としては、映画で宣伝してコミックスの売上が伸びる、それでいいだろってことみたいですね。金が欲しかったら自分で何パーセントか出資しろ、ってことみたいです。

原作として話を提供している時点で相当な出資をしてる気もしますけどね。

ヤバ子:そういう話を聞くと、まだまだ世間ってものづくりに厳しいんだな、と思います。

でも、なぜ漫画に行き着いたんでしょうか。

ヤバ子:実は僕、もともとは小説を書きたかったんですよ。大学が文学部だったんですけど、夢枕獏さんがOBでいて、何度かお話を講義で聞いていたんです。とても面白い方で、それが刺激になっていました。

文学部に入られた時点で小説家になりたいと思っていたんですか。

ヤバ子:当時はワナビというか、夢物語を描いていましたね。新人賞に受かって文筆業だけで…みたいな。でも、在学中は書かなかったんですよ。だから、最初は漫画ではなく文章を公開しようと思っていたんです。でも、ネット小説って読む人少ないんですよね。それで、ネタでもいいから漫画を描いてみるかっていうのが始まりですね。漫画って1人でつくれますから、始めやすかったんですよ。関わる人数が少ないほどフットワークも軽くなりますから。映画やドラマは本当に大変だと思いますよ。

裏サンデーで連載されるようになったのはどういうご縁だったんですか。

ヤバ子:WEBで公開していた漫画を担当編集者が見ていてくれたみたいで、「うちで描いてみない?」っていうメールが来たんですよ。

それは、今も公開されている「求道の拳」ですか。

ヤバ子:そうです。新都社っていう、WEB漫画や小説を集めた架空の出版社みたいなサイトがあるんですけど、そこで連載してたんですよ。連載と言っても、各自自分のサイトのリンクを貼って見てもらうような、リンク集みたいなノリなんですけどね。当時は「ワンパンマン」のONEさんや、「東京喰種 トーキョーグール」の石田スイさんも同時期にいて、盛り上がっていましたね。

裏サンデーを始め、となりのヤングジャンプなど、今では出版社が運営する漫画サイトも増えましたが、その頃はちょうどWEB漫画が広まり始めた頃だったんでしょうか。

ヤバ子:そうです、まさに黎明期だったと思いますね。今は漫画業界の成り方が変わってるかもしれないですね。今までは師匠がいて、アシスタントやってっていう流れがあったと思うんですが、僕、師匠いないですし。だから、未だに知らない漫画業界のしきたりもあるんだと思います。

最初は1人で漫画を描かれていたわけですが、裏サンデーで連載が決まって、初めてだろめおんさんの作画が上がってきた時は、やっぱり感動されましたか。

ヤバ子:テンション上がりましたね。こうなるんだ!と思って。作画がついたのは初めてでしたし、貴重な体験をさせてもらっていますね。

作画によって説得力が上がる部分もありますしね。シリアスなシーンや格闘のシーンを見ると特にそう思います。

ヤバ子:ただ、難しいところもあって、僕は絵が下手なので、僕が描いていた頃は読者の想像力で補ってもらっていた部分があったんですよ。作画のクオリティが上がるとそれができなくなっちゃうんですよね。

それは考えたことがなかったです…!

ヤバ子:例えば、合気道のシーンがあったとして、僕が絵を描く場合であれば、気功みたいな感じになっちゃってもいいですよ。読者が頭の中で補完してくれますから。ただ、うまい人がそれをやってしまうと逆に違和感しかなくなってしまうんです。だから、そういう時はつくり方を変えようという風になることもありますね。本当に難しいです。

余白がなくなってしまうということですね。そういうことをお考えになるのも、もともとは小説家を志していらっしゃったからなのかもしれないですね。ビジュアルがない分、小説の方が余白が多いですから。

ヤバ子:そうかもしれないですね。小説家も大変な仕事だと思いますよ。

日本だと小さい頃から当たり前のように身近に漫画がありますが、身近に触れているからこそ、純粋な気持ちをずっと持ったまま漫画家になっている人が多いような気がするんですが、どうなんでしょうか。

ヤバ子:それは人それぞれですね。でも、編集者の方が言っていたのは、社会経験を積んでいる方はありがたいらしいです。学生からそのまま漫画家になる方もいらっしゃるじゃないですか。所謂、社会のお約束がわからないと、少ししんどいとは聞きましたね。

ヤバ子さんが、漫画を描き始めたのはいつですか。

ヤバ子:いや、僕は25歳の頃から描き始めたので、今6年目くらいですかね。

タイミングとしてはかなり遅いですよね。どうして描こうと思ったんですか。

ヤバ子:その頃は会社員だったんですけど、ある日たまたま早く仕事が終わったんですが、家に帰ってもすることがなかったんですよね。そこで学生時代にペンタブを買っていたのを思い出して、やってみようかなと思って描き始めたのが最初ですね。

すごいですね。絵を描くことに対する抵抗はなかったんですか。

ヤバ子:まあ、なんとかなるだろうと思ってました。WEB漫画って、話はめちゃくちゃ面白いけど、絵は下手っていう人が多かったんですよ。正直、ナメてた部分もあったかもしれません。これが人気出るなら、俺も大丈夫だろうみたいな。

これは最初にお聞きするべきだったのかもしれないんですが、「サンドロビッチ・ヤバ子」というペンネームの由来はあるんですか。

ヤバ子:意味はないんですよ。インパクトあるかなっていう、それだけですね。

「求道の拳」を描き始めた頃から同じペンネームなんですか。

ヤバ子:そうです。今となっては、もうちょっとかっこいい名前にしておけばよかったかな、とは思いますけどね(笑)つけた当時考えたのは、漢字だと読めないといけないので、カタカナにしようってくらいですね。

でも、極端なことを言ってしまうと、「ヤバ男」でもよかったわけですよね。

ヤバ子:そうですね。何でもよかったんですけど、「ヤバ子」の方が語感がよかったんですよね。

実際にお会いした時のインパクトもありますしね。ヤバ子さんってどんな人かな、と思ってたら、男らしい人が来た!みたいな。

ヤバ子:一度名乗れば忘れないと思いますしね。

普段の作業はどこでされているんですか。

ヤバ子:僕は家ですね。それが一番落ち着きます。

一人暮らしですよね。

ヤバ子:そうです。まだ相手はいないですが、結婚に憧れはありますよ。ただ、仕事の業務形態が一般の会社員の方とは違うじゃないですか。それがひとつネックで。

確かに、理解してもらえないこともありますよね。

ヤバ子:そうなんですよ。なかなか遊びに連れて行けないだろうし。お互い個人行動できれば一番いいんでしょうけど…今、そこですね、やらなきゃいけないのは。僕の仕事を許容してくれる人を見つける。

すぐ見つかりそうな気がしますが…

ヤバ子:でも、アイデア出しとか言って飲みに行って、帰って来ないんですよ。さすがに怒りそうじゃないですか。

仕事してるのか遊んでるのかわからない。

ヤバ子:そうなんですよ。ひょっとしたらみなさんも同じ経験をされたことがあるかもしれないですけど、仕事してないと思われることが非常に多いんですよ。「好きな仕事していていいですね」ならいいんですけど、「遊びで金もらえてていいね」っていう言い方をする人もいるじゃないですか。「社会人じゃないからわかんないかもしれないけど」とか。

社会人なんですけどね。

ヤバ子:そういう人の「社会人」は、会社に勤めてて役職があって、っていう人を指すんでしょうね。言いたいこともわかるんですけどね。会社員が出勤する時間に僕は酒飲んでたりしますから。だけど、釈然としない。当たり前ですけど、めちゃくちゃ考えて漫画描いてますからね。

それで食えているわけですしね。

ヤバ子:そうなんですよ。僕の仕事って、勤務時間が決まっているわけじゃないじゃないですか。極論ですけど、30分でいいものができるんだったら、あとは遊んでてもいいわけですからね。もちろんそんなことは不可能ですけど、そういうところは理解してほしいと思います。

ご出身はどちらですか。

ヤバ子:鳥取です。高校卒業してから東京に来ました。

いずれは地元に戻りたいと思いますか?

ヤバ子:たまに実家帰ると思うのが、田舎になればなるほど如実になると思うんですが、東京暮らしの僕と地元の同級生との価値観の違いがどんどん広がっていくんですよね。向こうに住んでいて僕らくらいの年だと、結婚して子供が何人かいて当たり前だし、実家住まいも普通だし、僕にとってはカルチャーショックの連続なんですよ。

わかります。みんな子供の話と嫁の愚痴で盛り上がってて、何か違うな…と思っちゃうような。

ヤバ子:飲みに行っても日付が回る頃にみんな帰っちゃうし。僕はせっかく久しぶりに会ったので朝まで、と思って行くんですが、時間の感覚も違うんですよね。実際、朝までやってる店がない、みたいなのもありますけど。地元の友達と会うのは楽しいんですけど、住むのは無理かな、と思っちゃいますね。

漫画って、本当につくり方が独特だと思うんですが、ネームを編集者と詰めるっていう作業が正攻法として存在するんですよね。ネームはヤバ子さんが描かれているんですか?

ヤバ子:そうです。ネームの段階で編集者と個別で打ち合わせをするんですけど、そりゃエキサイトすることもありますよ。でも、人間関係は本当大事です。こういう業務形態なので、パワーバランスが対等じゃないとキツいと思います。スタンフォード監獄実験みたいに、どっちかが偉くなって増長しちゃうと一緒にやるのが難しくなる。月並みな言い方をすると「一緒にがんばってる仲間」みたいなノリじゃないと…僕はキツいですね。

ヤバ子さんの今の担当編集の方は、担当されてから長いんですか。

ヤバ子:4年目ですね。年も1歳違いです。

同世代だとやりやすいですよね。

ヤバ子:見てきたものも近いですしね。そういう意味では、さっきお話したような悪い構造には陥りにくいと思います。どちらかに実績があったりしちゃうとやり辛い、みたいなのもあるんじゃないですかね。

まったくの新人漫画家だと、ベテラン編集者に引き上げてもらう、みたいなのもあるかもしれないですけどね。でも、今のお話をお聞きしていて、漫画家さんって芸能人に近いのかなって思いました。マネージャーさんとタレントさんが一緒にがんばって、小さい仕事からだんだんステップアップしていくような。

ヤバ子:そうですね。一蓮托生感はあると思います。今おっしゃったように、漫画家と編集者の関係って、漫画家の描いた作品を編集者が広めるっていうだけのものかというと、そうではないですよ。編集者が実質原作者っていうこともあるみたいですしね。一番有名な方だと、「金田一少年の事件簿」や「BLOODY MONDAY」の樹林伸さんですね。今は原作者として独立されてますけど、元々は編集者だったんですよ。

そんな方もいらっしゃるんですね。

ヤバ子:作品ごとに名義も違っているんですけど、名前の漢字のどこかに「木」が入っていて、わかる人にはわかるようになっているんですよね。

広告業界でもそうなんですが、樹林さんのようにあらゆるテイストの広告を変幻自在につくってしまう方もいますし、どんなものをつくってもその人だとわかる方もいます。ヤバ子さんは、樹林さんのようなやり方に憧れなどはありますか。

ヤバ子:器用だな、とは思いますが、できるかと言われると…できるって言わないといけないんでしょうかね。

こういう漫画が読みたいからヤバ子さんの作品を追っている、というファンの方もたくさんいるのではないかと思いますよ。

ヤバ子:手を変え品を変えみたいなことだと、自分の武器は弱くなっちゃいますよね。

漫画を描こうと思った時に、題材を格闘漫画にした理由はあるのですか。

ヤバ子:僕が格闘技をやっていたからです。空手をちょっとやっていまして。だから、実体験や当時妄想していたことを絵にしているっていう感じですかね。でも、漫画のキャラクターの意見イコール作者の意見だと思われることがあって、すごく困ることがあります。極端な例を出すと、超レイシストのキャラがいたとしても、作者が同じ考えなんて普通思わないじゃないですか。漫画はフィクションですから。

確かに、漫画は出回りやすいし、いろいろな人が読みますからね。でも、ヤバ子さんは今、格闘漫画を描いていらっしゃいますが、この先趣味趣向が変わって、違うジャンルの漫画を描くことになる可能性もあるわけですよね。個人的にですが、樹林さんのように匿名性のある作家さんよりも、違うジャンルでもヤバ子さんの作品だというのがわかる方が魅力的な気がします。もちろんどちらもすばらしいと思うんですが。

ヤバ子:そうですね…でも、5年後10年後って、何してるんでしょうかね。

5年後10年後はこうなっていたい、というような理想像などはありますか。

ヤバ子:ちょっと下世話な話になっちゃうんですが、安心がほしいという意味で、生涯賃金は稼いでおきたいですね。現実問題、生活できないと困っちゃいますからね。

先がわからない職業ですしね。

ヤバ子:そうなんですよ。生活の心配をせずにすむようになってからがガチでスタートかなという気がしています。本当、何があるかわからないですから。格闘技の世界などは特にそうですが、満たされちゃうと何もできない、ハングリー精神が大事だ、なんてことを言う人もいますが、僕はそんなことはないと思っています。

ガチのスタートというのは、どういった勝負に出られるか考えているのですか。

ヤバ子:僕、いずれは映画つくりたいんですよ。つくりたくてしょうがないです。以前計算したんですけど、映画って金かかるんですよね…さっきから銭の話ばかりで申し訳ないですが…

いえいえ、お金は必要なものですから。

ヤバ子:こういう仕事をしていると、お金の話を嫌がる人もいるんですよね。

ロマンだけじゃ飯は食えないですからね。でもそういう神話みたいなのってありますよね。

ヤバ子:清貧ですよね。宮沢賢治だって、生前にお金持っていたらある程度は遊んでたと思いますよ。結果的に貧乏なまま亡くなったので、美談みたいになってますが。

そういう話で言うと、最近は幕の引き方も変わってきている気がしますね。スポーツ選手を見ていると特にそう思うのですが、独立リーグへ行ってでも自分の納得のいくまで現役を貫く選手も多いですが、昔は立つ鳥跡を濁さずじゃないですけど、あまり歓迎されなかったやり方だったような気がします。

ヤバ子:そうですね。そういう方は、本当に尊敬します。

それと、野球の石井一久が吉本興業の契約社員になったり、スケートの織田信成が引退後にバラエティで活躍していたり、引退後の道も新しい動きがある気がします。

ヤバ子:いいことだと思いますよ。何が向いているかわからないですからね。僕も、一つの仕事に殉じるみたいな考え方があまり好きではないんですよ。向いてないと思ったらすぐにやめたらいいんですよ。

最近だとユーチューバーやインスタグラマーなどがありますが、想像できなかったような職業が出てきていますしね。昔はタレントが大企業をバックにテレビでやっていたようなことが、今は携帯電話で動画が撮れて公開できる場所がある。写真もそうですし、まさに漫画もそうですよね。敷居が下がっているからこそ、いいものが目立ってきている気がします。

ヤバ子:ただ、新しいものって、最初はどうしても拒絶されてしまうことが多いですからね。ユーチューバーも、テレビ関係の人から見るとあまりいい気はしないらしいですから。WEB漫画もそうだったんですよ。直接言われたことはないんですが、紙じゃないとダメだ、という人もいたみたいです。

向かい風は激しいと思いますが、後世に残る人というのは、その向かい風を受けた人なんじゃないかと思います。

ヤバ子:そうですね。僕の場合は、狙ったわけじゃないですけど、タイミングがよかったのかな、と思いますね。

ちなみにですが、別の作画の方と組んでやってみたいとは思いますか。他の方の漫画を見て、この漫画家さんが自分のストーリーの作画をしたらどうなるのかな、と考えたりすることはあるんでしょうか。

ヤバ子:それはよく考えます。鳥山明さんがやってくれたら感無量ですね。妄想の域を出ないですけど。でも可能性はゼロじゃないですからね。

あり得ない話じゃないですよね。映画も本当に楽しみですし、今日はお会いできてよかったです。

ヤバ子:ありがとうございます。映画は35歳までに形にしたいとは思っています。期限決めないとズルズルになっちゃうので。脚本の勉強もしていますし、実際に仕事で「ケンガンアシュラ」のドラマCDの脚本も書いたんですよ。映像がないので映画とは少し勝手が違いますが、基本的なお約束事はわかりました。人生って、本当に何があるかわからないですよね。面白いですよ。

インタビュー収録日:2015年12月12日

サンドロビッチ・ヤバ子
鳥取県出身。1984年11月1日生まれ。
サラリーマン等を経て、2012年漫画原作者デビュー。
原作者として活動する他、コラム等も手掛ける。
「ケンガンアシュラ」(小学館 裏サンデー、マンガワン)を連載中。

裏サンデー | ケンガンアシュラ:http://urasunday.com/kengan/
求道の拳:http://gudounokobushi.web.fc2.com/
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