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シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第16回 鐘築一雄氏『私の人生は二毛作』

この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。

株式会社アテナ 代表取締役
1943 年、島根県松江市に生まれる。大阪工業大学卒業後、日本道路株式会社へ入社、道路建設に携わるが、1年で退社。松江に戻り、エイトコンサルタント(現、エイト日本技術開発株式会社)に入社。
橋梁設計に携わる。1990 年に独立し、松江市に株式会社アテナを設立。以降、地域計画やまちづくりに係る。
インタビュー日: 2015 年 6 月 11 日
聞 き 手 : 高橋麻理、玄間千映子、松本健一

再掲載に当たって(委員会より)
仕事のやりがいとは何だろう。
若い時は残業も多いがやりがいもあり仕事も充実していた。40後半で新たなやりがいを求めて独立。地元行政からの要望もあり、それまでの橋梁設計からまちづくりへ変更。未経験の分野ではあったが若い頃から読んできた様々な本が活かされる。また業務での失敗もあったが、それも良い勉強になる。仕事も面白くなり70過ぎても現役経営者として活躍。
経験して気づいてことは、幅広く勉強しておくことの重要性。将来どの分野で開花するか分からない。現在の仕事にとらわれなくてよい。哲学、文化、音楽、美術なども役に立つ。未来はあらゆる可能性があると鐘築さんは言っている。
組織に頼らず自分の力で道を開いてきた人の力強い言葉である。
                            2024.5.16 Y

橋梁設計とまちづくり

これまでの経歴を教えてください
 1966 年に入社した道路建設会社では体を壊し 1 年で退職しました。松江に戻ってコンサルタントに就職し 20 年以上橋梁設計に携わりました。高度経済成長期で残業続きでしたが、やりがいがありました。この間、社内外で技術者としての評価も得、30 代の終わりには設計のトップに立ちました。
 一方で、管理の仕事が増え、設計の実務に携わる面白みが少なくなりました。その後、役員が見えてきたのをきっかけに 47 歳のとき退職し、現在の会社を作りました。
 独立後、最初は、橋梁設計をと思いましたが、依頼したいという発注者の思いとは別に、できたばかりの個人の事務所では仕事は取
れませんでした。そんな時、行政から、ソフト系のまちづくりや地域計画をやってみないかと引き合いがありました。やり始めると面白くなり、今に至っています。橋梁設計は十分にやったと満足感があり、未練はありませんでした。
 私の人生は二毛作だと考えています。技術者として橋梁設計とまちづくり、会社員と経営者、二つの分野・立場でそれなりに成果を挙げることができ、幸せに思っています。

現在のお仕事は何ですか?
 まちづくりや合意形成、地域計画などの提案を行っています。住民との間で、行政が抱える難題を持ち込まれることが多くあります。
合意形成にあたり、行政の意向に私自身が納得できない場合には、まず、行政に再考を促します。
 また、合意を得るには時間が必要で、合意形成にかかわる時間を延ばしても結果的には事業全体の進捗が早くなることを説明し、行政の理解を得て進める場合が多いです。コンサルタントは設計会社ではないので、発注者の言いなりになる必要はないと考えています。

使う人の立場で考える

思い出に残るプロジェクトは?
 30代に設計した橋が「設計者は白鳥を意識して設計した」と郷土史に載っていました。設計者の私には「白鳥」の意識が全くなかったのですが、地域に受け入れられているのを知り、地域の人に愛される景観の意味を考えさせられました。
 40 代では、管理業務が多くなったものの、年に 1 つだけ自分の裁量で設計する業務を持つことができました。山陰道のルート選定では、現実の車の走行状況を配慮し、設計速度以上での走行が可能なように平面・縦断線形に余裕を持たせました。現在、この区間は、走りやすく事故の話は聞きません。
道路は建設費だけでなく、長期にわたる環境や安全性・走行性・快適性などを総合的に考えて設計するべきと考えています。
 独立後の 50 代には、ダム建設による移転地域のまちづくりに関する合意形成に関わりました。移転に際し、行政の約束は地域にとって夢のある施設でしたが、将来的に重荷になると予想され、施設建設をやめるためのものでした。要は行政の後始末です。合意を得るには住民の冷静な判断が必要で、前半のワークショップでは勉強会を 1 年間おこない、知識レベルを上げた後に次の討議に入りました。最終的には住民は納得して施設建設は中止となりました。ダム建設でこれだけスムーズにいった例はないといわれています。
 最近の成果は、松江市の 20 年後のまちのビジョン作りです。たくさんの市民と共にワークショップを行い、最後に市長に市民がプレゼンしました。参加した市民は、新旧のものが共存するまちに強い愛着を持ってくれました。

現在の職場で必要な経験、スキルは?
 若い頃から様々な本をたくさん読んできました。これは街を考える上で生かされています。最初のワークショップでの失敗が良い勉強になりました。言葉遣い・意見を出せる雰囲気・行政と住民の時間の流れなどです。
 まず、誰のための事業なのか考え、住民が何を求めているかを見つけ出し、合意を得るためのプログラムを作ります。ワークショップは住民の考えが熟成されるまで時間をかけ、段階を踏んで進めます。反対・賛成のどこかに共通のものを見つけてお互いが納得する点を探ります。参加者が自分たちで結論を導き出せるところまで持って行くのが私の役割です。

生まれ変わっても土木を

土木を目指したきっかけは?
 高校時代には造船をやりたいと考えていましたが、造船の学科があるところは限られていました。それで、構造設計をやろうと思い土木を選びました。時代の流れを説く父親の勧めもきっかけとなりました。
 その後、造船業が伸び悩んだことを考えると土木に進んでよかったと思いました。今は、生まれ変わっても土木がやりたいと思っています。

生涯現役が基本

現在の仕事を何歳まで続けたいとお考えですか?
 基本的には生涯現役ですが、体力などから 75 歳くらいまでと考えています。体力と気力のバランスです。
 引退したら趣味の帆船模型作りに没頭したいと思っています。

技術伝承にあたり心掛けること
 年齢と共に衰えた分を若い人に手伝ってもらいながら、合意形成のテクニックなどを伝えていこうと思っています。
 現在は、幸いにして社内に有能な人材がいるので、技術継承については心配していません。

退職前に身につけておいたほうが良かったことは?
 技術士を土質及び基礎でとりました。現在のような仕事をするのであれば、都市及び地方計画でとっておけばよかったと思っています。大学時代にも都市計画の勉強をしませんでした。自分には都市計画についての核がないことを少し残念に思っています。
 誰しも、どの分野で開花するかわからないものですから、幅広く可能性をとらえて、勉強しておくことが重要だと考えます。

看板なしでも生きる力と広い視野を

次世代のエンジニアにメッセージを
 人に負けない何かを持って欲しいですね。退職したとき会社の看板がなくても生きていけるような力を、会社にいる間に身につけてください。
 技術以外に哲学、文学、音楽、美術など他の分野についても学んで欲しいと思います。自分の哲学をもった技術者となり、自分で考える癖をつけて欲しいです。
                         (文責:高橋麻理)

委員会からのメッセージ
 鐘築一雄さんが、生まれ育った地・松江に密着して、地域のために生涯現役を貫かれる姿に心酔しました。基準やガイドライン類の呪縛、発注者の考えとの相克、あるいは利益確保の壁にも屈することなく、使う人の視点でインフラを考え続ける姿勢には、郷土を愛する気持ちと、土木屋魂がなせるものだと感じております。

インタビューを終えて(聞き手から)
 25 年前、まだ、携わる人がいなかったまちづくりという新たな大海原に船出された鐘築さん。その航海は決して順風満帆ではなかったはずですが、持ち前の気力と体力で乗り越えてこられました。
 住民が納得して造られたまちや施設は、長く愛され、自然と手入れが行き届き美しくなる、とうれしそうだったのが印象的でした。

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#道を切り開く

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