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シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第7回 岩本 樹雄氏『土木の面白さを伝えたい』

この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。

どぼくおもしろクラブ堺 代表
1934 年生まれ。大阪大学工学部構築工学科(土木コース)卒。1957 年に南
海電気鉄道株式会社入社。鉄道構造物建設に携わる。1985 年に取締役、常務、専務を経て 1995 年に監査役、2001 年に退職。2007 年にどぼくおもしろクラブ 堺を設立。CVV 所属。その他、在職中は関西鉄道協会技術委員長、日本鋼索協会関西支部長、土木学会関西支部副支部長等歴任。
インタビュー日: 2013 年 6 月 11 日
聞 き 手: 高橋麻理、加藤 隆、山登武志

再掲載に当たって(委員会より)
インタビュー記事を改めて読み直し、岩本さんの土木愛を強く感じました。特に「土木の面白さ」や「やりがいを子供たちに伝えたい」という思いを感じました。私たちもその思いを引継ぎ、土木の魅力を分かりやすくアピールしていきたいと改めて思いました。また、これからの技術者へのメッセージとして、「在職中から地域との繋がりを作っておくことが大切、それと人に自慢できる趣味を持ってください」とのコメントがとても印象に残りました。私も退職後に心豊かな人生を過ごせるように新しい趣味を見つけていきたいと思います。(まずは料理からチャレンジ・・・)     
                                                                                              (2023/1/18 A.K.)

どぼくおもしろクラブ堺

現在の活動内容は?
 2007年に、土木・建築の専門技術者が一般市民や子供たちを対象に土木の面白さを伝える活動をする「どぼくおもしろクラブ堺」を設立しました。現在、2ヶ月に1度、14名で活動しています。地域のイベントに参加して、レンガでアーチ橋を造ったり、液状化の実験や耐震模型でゆれ方を見せたりして、楽しみながら土木や建築の正しい知識を普及させようとしています。こ
の団体は、2006年度に堺市高齢者就労的生きがいづくり活動実施支援事業に申請して100万円の補助を受け活動しています。
 このほか、地元の赤坂台子どもひろばで就学前の子どもたち、その保護者や放課後の子どもたちの遊び相手をしています。また、土木学会関西支部から発生したCVV(Civil Veterans & Volunteers)にも参加しています。
 子どもたちの反応は、正直言って、芳しくありません。土木は人気ありませんね。レンガアーチも喜ぶのはお母さんと小さな子ばかりで、小学校高学年になると興味を持ってくれません。

土木の面白さを伝える

伝えたいことは何ですか?
 土木の面白さや、やりがいです。社会に必要な大切な仕事をしているのに、土木関係者は説明不足、説明嫌いですね。
 友人達との家族旅行でダムや大スパン橋梁などの土木構造物を見せるとみな感激してくれるのに、その他の活動ではなかなか反応がありません。子どもたちにもなかなか土木の面白さが伝わりません。

活動を始めたきっかけは?
 在職中から、土木に対する不人気や理解が少ないことが気になっていたことです。連れ合いが元教員で、退職後に子供たちの世話をするボランティアを始めたこともきっかけです。
 子どもたちに伝わりやすいものをと考え、レンガアーチや液状化模型を同僚や関係諸機関のご協力で工夫しました。土木の説明をするには、まずは家族から説得しないといけません。私も家族に建設現場を見せたりしてようやく支持を得ました。

飛行機から鉄道へ

経歴を聞かせてください
 戦前の生まれで飛行機少年でした。目が悪くて飛行機乗りはあきらめましたが、機械いじりも好きでした。進学を考えていた航空工学科が無くなってしまったので、その流れを汲む構築工学科に進み、少しでも飛行機に近い鉄道工学を専攻しました。
 南海電鉄在職中は、車庫建設、高架化工事、ホテルの建設など、土木から建築まで幅広く都市近郊鉄道の建設に携わりました。
常務、専務取締役を務めて 60歳を過ぎて常任監査役になりました。その 6 年間に役割柄、会社全体を俯瞰できたこと、時間の余裕ができたことで、退職後の生活に軟着陸できました。

各年代での思い出は?
 20 歳代では、最初で最後の手作り仕事ができました。スパン数メートルの橋梁の架け替えでしたが、計画から調査・設計、予算書、施工まで携わりました。
 30 歳代から、鉄道の高架化工事にかかわりはじめました。
 40 歳代、高架化工事が本格化しました。地権者、他の鉄道会社、自治体、建設省などとの折衝を行い、費用分担を決めました。苦労しましたが、これが現在の高架化工事費用分担の基本になりました。
 50 歳代では、ホテルの建設やなんばの再開発に携わり、大学での建築関係の勉強が役立ちました。

鉄道会社での経験を活かして

現在の活動のための準備はいつごろからどのように?
 折衝や交渉は仕事でやっていましたが、それは関係者だけが相手です。一般の人への説明等は全く行ってきませんでした。地域活動に取り組むようになったのは退職して老人大学などに入ってからです。

退職前に身につけておいたほうが良いことは?
 絵を描く、歌を歌う、踊ることができると本当に重宝です。私はどれもできません。こういうことが得意な人がうらやましいです。

若いシニアの入会を

今後の予定は?
 今年 80 歳になるので、現在の活動は一区切りと思っていますが気力・体力があればその先も続けるつもりです。
 レンガのアーチ橋は経済的で良いのですが、重くて、運搬や後の清掃が大変です。60 歳代の若いシニアの参加を期待しています。

在職中に市民活動を

これから退職を迎える技術者へのメッセージを
 退職後に市民活動を行おうと思っても、なかなかきっかけがありません。在職中から、講座や講習会などで地域とのつながりを作っておくことが大切です。その際、自分の専門分野をはっきり言いましょう。それと、人に自慢できる趣味を持ってください。
                         (文責・高橋麻理)

COLUMN
岩本樹雄さんの魅力

 南海電鉄の鉄道技術分野、特に連立事業の展開に力量を発揮し、関係
機関の間では、口八丁手八丁のハードネゴシエイターとして勇名を馳せ
ていた。多彩な人脈交流、厚い人望の故に、土木学会関西支部副支部長
や大阪大学構築会会長などの経歴がある。地域の市民活動にも意欲的
で、堺市の「どぼくおもしろクラブ堺」を設立して、親子の「橋づくり
体験学習」など、指導に奔走している。土木学会関西支部 FCC から芽
生えた CVV の活動にも積極的に取り組み、重鎮的存在であるのも頼も
しい。少年時代からの飛行機マニヤが高じた趣味の航空機模型蒐集や航
空ショーのビデオ撮影などの幅広い知識も、土木ファンを増やすのに役
立っている。
                         金山正吾(CVV)


インタビューを終えて(聞き手から)
飛行機にあこがれる少年がそのまま土木技術者になったような岩本さん。自分史年表を持ってインタビューに来てくださいました。(写真・下)
岩本さんの活動をきっかけに土木に興味を持つ子どもや、岩本さんと一緒に活動してくれるシニアエンジニアが 1 人でも増えるといいですね。


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