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ボランティアコーディネーションに必要なもの

”やりたい人”のためのコーディネーションで終わっていなかったか。

私の今までのボランティアコーディネーションを振り返ったときに、足りなかったものは、ソーシャルワークの概念であり、援助過程の概念の導入だったと思う。

中間支援組織におけるボランティアコーディネーションにおいて私は、特定非営利活動法人日本ボランティアコーディネーター協会(以下JVCA)のHPにある"ボランティアコーディネーターの8つの役割"を念頭におき、支援をしてきました。

ボランティアコーディネーターの8つの役割
受け止める 市民・団体からの多様な相談の受け止め
求める   活動の場やボランティアの募集・開拓
集める   情報の収集と整理
つなぐ   調整や紹介
高める   気づきや学びの機会の提供
創り出す  新たなネットワークづくりやプログラム開発
まとめる  記録・統計
発信する  情報発信、提言、アドボカシー

JVCAのHPより引用:ボランティアコーディネーターの8つの役割

そして、この視点においても私は様々な気付きと学びを得てきてはいるのですが、何か根本的なものが抜け落ちている…そんな違和感を感じ始めたのは30代中盤になってからでした。

ボランティアコーディネーションにおいてもニーズとのマッチングが必要というのを頭では理解していたのですが、それでも何か、空をきっているような…感じがしていたのです。

ボランティアコーディネーションのときに、やりたい人ありきのコーディネーションになっていて、そのコーディネーションが「本当に、困っている人のニーズを満たすことができるのか」を見極めることができていたのだろうか…と思うのです。

ボランティアコーディネーションという行為は、「つなぐこと」が業務です。しかしながら、その「つなぐ」は「何のためにつなぐのか?」という視点があっただろうか。

自発性をきちんと課題解決とコーディネーションできていただろうか?

社会福祉士の相談援助過程で考えるならば、コーディネーションそのものは、介入(インターベンション)に過ぎず、そのコーディネーションによって、誰の何の課題を解決するのか、そして、それをアセスメントするため前の情報収集からモニタリングまでの展開はきちんとイメージできていただろうか?

と、思い始めたのです。

ニーズを見極める力(情報収集とアセスメント)

『コーディネーターこそ、本来、アセスメント力が問われる必要があるのではないか』

これは、社会福祉士の勉強をする中で、ふつふつと湧いてきた思いです。世間的には”社会課題”といわれていても、それは本当に課題なのか?誰が困っていて、どのように介入することが求められるのか?(ニーズとアプローチとプランニング)

被支援者は、本当にその支援を求めているのだろうか?(自己決定の尊重)

社会福祉士のクライエントの定義には、「支援ニーズがあること」だけでは、不十分であり「本人が支援を受けることに納得しているか」ということが明確に記されています。

また、そもそも論になってしまいますが、支援を欲しているだろうと思われる方の生活の状況を見る視座を持っていなければ、結局のところ、生活の質(QOL)を高めることができません。

ただ、ボランティア活動においてはこの辺りがものすごく曖昧になり、ボランティア側だけにたったマッチングの結果、モンスターボランティアの発生を助長することになるのではないかと思うのです。

人が生きること(生活)を援助する専門職

日本における社会福祉士の定義は、法律において次のように定められています。

社会福祉士とは「専門的知識及び技術をもって、身体上もしくは精神上の障害があること、または環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導、福祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者との連携及び調整その他の援助を行うことを業とする者

社会福祉士及び介護福祉士法より引用

人の生活上、何らかの問題、課題が生じた方からの相談に応じた上での助言のみならず、連携、調整などの援助を展開して支援する専門職ということになります。

その支援ニーズを見極める力が、コーディネーターの自分に本当にあったのか?

なんとなく、助けを求めている声が聞こえるから、手伝わなくては。その声にマッチングできそうな人がいるからコーディネーションだ…。

という、機械的安易なコーディネーションになっていたのではないか。

ソーシャルワーカーが歴史の中で、専門職かどうかを問われた時期がありましたが、ボランティアコーディネーターも同様に専門職といえるのか?

それを問う必要があるんだなぁと改めて思ったのです。

福祉ボランティアが重たいと思われる本当の理由

いうまでもないことですが、対人支援だからだと思います。

他者に介入するということは、それなりの反応があり、そして、責任が伴うからです。

しかしながら、もっと根本的な部分があるのではないかと最近、感じるようになってきました。

それは、支援の方法が人の数だけ存在するからではないかと思うのです。

やり方、考え方が見えないというのは、新しく取り組む側からするとものすごく高いハードルになってしまいます。

そこで、私はボランティア入門講座や勉強会を依頼されるようになってから、ICF(国際生活機能分類)ソーシャルワークの考え方には、あえて触れるようにしています。

一見、小難しいように見えるかもしれませんが、最初から「これをマスターしてください」という話ではなく、「世の中にはこんな視点をもって支援を考える人たち(専門職)がいる」ということを伝えていく必要があるのではないか、と思って伝えています。

特に現代のモラトリアム期にいる大学生とかならば、キーワードをお伝えしていると、インターネットで検索すれば、それなりの情報が出てくるので、言葉考え方の一部だけでも伝えておくことはとても重要だと私は考えます。

また、それらの視点を持って専門職として支援している「社会福祉士」の価値を高めることになりますし、先述した「支援の方法の可視化」にもつながると考えたからです。




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