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自宅が火災に巻き込まれて知った世界③

現実を受け止める暇はない

翌朝になって動物病院から連絡があり、ヒナの容体が良くなったので退院ができるという。
昨晩から続く予想外の出来事の連続の中ではじめての希望の光。
急いでヒナを迎えに行った。ヒナはようやくサチと再会できる。

ヒナは呼吸の度に少しウーという低い音が混ざることもあったが、それ以外は元気でホットした。シャンプーをして煤の汚れを取った。

家の様子は、被災した当日の夜に消火作業が終わった家へ向かった夫曰く悲惨な状態だったと言う。
放水しっぱなしでそのまま水浸しのリビング、完全に焼け焦げた風呂と洗面台、プラスチックの溶けた嫌な匂い…何から手をつけてよいのか分からないほど変わり果てた姿は想像したくないものだった。

特に水浸しの床は水位が3センチほどあり、このままでは床が腐ってしまうと思った夫は深夜に一人で水掻きで水をかき出していた。

私はこの年、地域の子ども会の会長をしており、一緒に役員をしてくれていた3人の友人たちが翌朝に掃除をするよ、と申し出てくれた。

夫婦だけだといつまでも途方に暮れてしまいそうだったから声をかけてくれてありがたかった。
娘たちとヒナ、そして段ボールの中で眠るサチを義母のマンションに残して被災した家に向かうと、使い捨てできる大量のウェス、私の化粧道具にと下地やファンデーション、そして生理用品を買い出しして3人が来てくれた。

自分が化粧をしていないことにもその時初めて気がついたくらいで、女性ならではの視点と気遣いの厚さに感動した。

友人たちはまだまだ煤の匂いが充満する中、煙が通過して煤で汚れてしまった廊下の床や壁などを拭き上げてくれたり、部屋の中の荷物を段ボールに入れて室外へ出す作業を手伝ってくれた。

「誰かと一緒に作業ができてとても助かったよ。ありがとう」
と夫が3人に言っていて、昨日からの突然の状況にいつも冷静に対処しているように見えた夫も、私と同じ不安の中にいたと感じて涙が出た。

室内の空気はまだよくないので長く作業はできず、3人と玄関先に出て話している時、見慣れない若者3人が長い自撮り棒を持ってニコニコとこちらに向かってきて
「昨日火事があったのってここらへんですか?」
と聞いてきた。
「そこを曲がったところ」
と短く答えると、「ありがとうございまーす」楽しそうに角を曲がって
「うわっ!すげー」
などと声を上げている。

野次馬、もしくはユーチューバー。
わざわざこんなところにもやって来るのかとビックリした。
彼らにとっては真っ黒に崩れ落ちた火元のみが興味対象であり、近隣で静かに深いダメージを負った人がいることなんて知る由もないのだ。

そんな想像力のかけらもない残念な人たちにこれ以上少しの傷もつけられたくないと、私は身を固くしたが
「さいってい!」と友人の一人が怒りを露わにして大きな声で言い、
「あんな最低な人がいるんだね!よくない!」と他の2人も私の気持ちを代弁してくれたので救われた。
ほんとうに、人がいてくれてありがたかった。

帰り際に、副会長の子が
「何か必要なものがあったらLINEしてね。自分からみんなに申し出るのは言いにくいだろうから、私に言ってくれたら私が預かって発信するから」と言ってくれた。

落ち着いて考えると、たしかに色々なものが必要だった。
子どもたちの洋服(2歳差の姉妹は背丈がほぼ同じなので130cmの女の子服なら季節問わずなんでも)、小学校の体操着セット×2、上靴×2、体育館シューズ×2、手提げかばん、靴下、ヘアゴム、タオル、私の上着、洋服…
副会長の言葉に甘えて、これらの必要リストを送らせてもらった。

サチとの最期の別れ

家から一番近くの動物火葬場を調べると、受付時刻の締め切りが17時ということだったので、ギリギリまでサチと過ごし、みんなで庭の花を摘んでサチの周りに飾って最期の時間を過ごした。
サチの身体はまだ少し煤で汚れていたけれど、顔はキレイで静かに眠っているようだった。それでも最後は苦しくて怖い思いをさせてしまった…そのことを考えると辛かった。
でも私よりももっと辛かったのは煤に覆われた部屋の中で一人倒れたサチを助けに行った夫で、見つけた時のサチは意識が朦朧としていて、すぐ近くにウンチをしていたそうだ。
その最後のウンチを処理した夫の悲しみは深かった。
その光景が頭から離れないと言っていた。

車で火葬場に行く間も子どもたちはサチの名前を呼び続け、撫で続けた。
動物火葬は毎日受付終了後にまとめて行っているようで、火葬炉の中には段ボールがもう二つあった。
「サチは一人じゃないね」
と長女が言い、みんなで「バイバイ」をした。
子どもたちは思ったよりも冷静に見えた。
現実をどこまで受け止めているのか分からなかったけど、怖がらずに最後までサチを撫で、「ありがとう」と言っていた。

けれど、火葬炉から煙が上がり始めたときから二人の娘たちは泣きじゃくり、座り込んで動けなくなってしまった。夫は長女を、私は次女を抱きしめみんなで泣いた。

帰りの車の中でもみんな泣いて何も話さなかったが、当時小学1年生だった次女が
「すごくさびしくてくるしい時は、こうやってゆっくり息をするようにしてるんだよ」
と言って深い深呼吸をしてみせた。
「そうだね、自分で見つけてすごいね。苦しいと呼吸が浅くなっちゃうもんね」
そう言いながらたまらなくなり、子どもたちを強く抱きしめた。

地域でうちだけ被災。ありがたい地域のつながり。

副会長へ必要なものリストを送らせてもらった夜、19人が登録する子供会グループラインへ副会長が呼びかけてくれた。

〇〇さんのお宅が昨日火災に巻き込まれてしまい、住まいの一部も被災してしまいました。〇〇さんに伺ったところ、以下のものが必要な状況とのことですので、みなさま何か協力できることがあれば11月21日、午後13時より△△公園にて受付いたします。

すると、数分と待たずに
「体育館シューズあります!22cmじゃ大きいかな?とりあえず明日持って行きます!」
「〇〇さん心配していました!タオルいっぱいあるので持って行きます!」
「洋服あります!旦那さんの分はいいのかな?」
「当日のお手伝いもできます!」
と次々とメッセージが送られてきて、地域の方々のありがたさを痛感して感動して涙が出てきた。

しかし21日は、長女の絵が学校で選ばれて市内の優秀作品が博物館で飾られる展覧会の最終日で私の両親や義母が揃って行ける唯一の日だったので、△△公園には一足早く展示を見てきた夫に行ってもらい、私は子どもの晴れ姿となる作品展を優先させてもらった。

子ども会グループラインでみんなへお礼の言葉と、私たち家族はみんな無事なこと、しばらくは義母の家に身を寄せているが、落ち着いたら子どもたちも今まで通りに学校に行くこと、明日の公園には私は行けないが感謝していることを書いている最中もメッセージが次々と届き、人の温かさに涙が止まらなかった。

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