溶けゆく想い

 バレンタイン。本命チョコは毎年同じ人にあげてきた。手作りチョコに、小さな市販のチョコの詰め合わせ、ブランドチョコに、一緒にチョコを作ったこともある。今年は卒業して初めてのバレンタイン。少し趣向を変えて、二人で過ごすチョコフォンデュパーティーだ。

 「見て見て、エリ〜」
 サヤはそう言って、今しがた買ってきた物をテーブルに並べ始めた。
「鈴カステラにミックスナッツ、あとチーズでしょー。そしてお酒はねえ、スパークリングワインにサングリアに、ロゼワイン!」
 うきうきした声に、私は思わず苦笑する。
「またワインばっかり買ってきたの?」
 当然、とサヤは胸を張る。自慢気な顔が可愛い。
「好きなものが、たくさんあった方が幸せでしょ? 私、エリの好みはよーくわかってるんだから! それにワインなら、チョコにもよく合うと思って」

 テーブルの上、今日のパーティーの準備はすでに整っている。フォンデュポットは、ぽってりとした丸みがあり、あたたかみのある赤色。小さなボウルには刻んだ板チョコ、先ほど冷蔵庫から出したばかりの牛乳と生クリームが隣に並ぶ。大小様々な器に盛られた、イチゴにバナナにオレンジ、マシュマロに小さなドーナツ。
 私はスパークリングワインを開けて、グラスに注いだ。ワインとチョコのマリアージュは最高。確かに、今日という日にはぴったりなお酒だ。
「さすが、私の彼女〜。それじゃ、始めてこっか!」
 フォンデュポットに牛乳を入れて点火する。牛乳が温まるのを待って、刻んだチョコを入れる。甘いチョコの香りがふんわりと漂ってきた。
「いい匂い〜。もう食べたい」
 サヤがそわそわし始める。
「まだだよ。サヤ、ステイ」
「犬じゃないもん」
 ふくれっつらもまた可愛い。とろりとしたチョコレートに、ほんの少し生クリームを入れ、ゴーサインを出してあげた。
「はい、どうぞ」
「じゃあ、最初はいちごから!」
 サヤは子供のような歓声を上げて、ピックに刺したいちごをチョコにつけ、頬張った。チョコといちごの組み合わせも鉄板だ。美味しいとほっぺたを抑えてもぐもぐしている姿は、まるでハムスターのよう。
「エリも食べようよ〜」
 微笑ましく眺めていると、サヤはマシュマロをチョコに潜らせ、私に差し出してきた。少し考えて、差し出されたマシュマロをそのままぱくっと食べる。
 口の中でチョコレートの甘みがとろけて、マシュマロのもっちりとした食感に満たされる。
「おいしい!」
「おいしくないわけなーい」
 フォンデュしただけで、こんなにも変わるものなのか。さすがチョコフォンデュ、侮れない。
 鈴カステラにチョコをつけて、アラザンを振りかける。いちごにはカラフルなチョコスプレー、バナナには砕いたアーモンド、オレンジにはピスタチオ。マシュマロをほんのり焦がしたら、とろとろとした食感でまた違った美味しさがある。

 スパークリングワインがなくなって、次に開けたロゼワインが半分ほど空いた時のことだった。
「うーーーーー」
 膝を抱えて、サヤが小さくうなった。
「大丈夫?」
 飲みすぎて気持ちが悪くなったのだろうか。いや、どうやらそういうわけではないようだ。
 何かを言い淀んでいるような態度に、私も黙って静かに待つ。
 しばらくうーうーうなって、サヤはようやく、ぽつりと口を開いた。
「仕事がね、今ちょっとしんどくてーーけっこう、私、仕事が遅いって、怒られてて」
 職場に一人厳しい先輩がいること、きびきびしていて仕事もできる人だけど、口調が強いこと、同じ業務量のはずなのに、自分だけ遅くなってミスも増えてしまうこと。サヤは辛そうな声で、静かに話してくれた。
「サヤ、あんまりしんどかったら、辞めた方がいいよ。もっとサヤに合う職場があるって」
「うん……」
 合わないところで、無理に働き続けることもないだろう。けれどそれは、サヤが求めていた答えではなかったらしい。
 私はサヤの髪を優しく撫でた。
「大丈夫! もし次が見つからなかったら、私がサヤのこと養うから!」
 わざとらしく明るく。まるで冗談のように。嘘なんて何一つない言葉をかける。「えーん、エリ〜」
 サヤもわざとらしく泣く真似をして、私に抱きついてきた。その手にぎゅっと力が込められる。
「ーー私、もう少し、頑張ってみるね」
「うん」
 震えるその手を撫でながら、サヤの言葉を肯定する。サヤがそう決めたのなら、私はそれを応援するだけだ。

「あ、ちょっと待ってて」
 ふと思い立って、サヤの手をそっと外して立ち上がる。フォンデュポットの中は空だが、テーブルの上には板チョコがまだある。私はそれを持って、キッチンに向かった。
「何か作るの?」
 背中に弱々しい声がかけられる。
「できてからのお楽しみ〜」
 そう言って、小鍋に牛乳を入れて温め、チョコを入れて溶かしていく。仕上げに生クリームを少し入れて、ホットチョコレートの完成だ。
 お揃いのマグカップにホットチョコレートを注いで、シナモンを振る。
「これを飲んだら、サヤは私のことがもっと好きになってしまいます」
 そう言いながらマグカップを渡すと、サヤもふふっと微笑んだ。
「飲まなくたって、もう大好きだよ?」
「知ってる。もーっと好きになるの」

 甘く、あたたかく、少しだけほろ苦く、今年のバレンタインが終わっていく。

いいなと思ったら応援しよう!